第22話 記録への道
現在の無失点イニング記録は、上杉がルーキーイヤーに作った71イニング連続無失点というものだ。
単純に言えばほぼ八試合連続で、無失点だったわけである。
実際には点差のついた終盤をクローザーに任せた試合もあるので、九試合ほどを無失点で抑えた。
「このへんの記録、なんか達成したいのあるか?」
そう言って樋口はタブレットで、直史に各種プロ野球記録を見せたものである。
「歴代記録は昔のピッチャーが異次元すぎて、ほとんど更新できないだろ」
そう言いつつ画面をスクロールさせていると、打者のところで大介の名前が出てくる。
「あいつもう通算記録ここまできてるのか」
「高卒だからってのを差し引いてもおかしい数字だな。今年中にホームラン数は歴代五位までは上がりそうだし」
「いや、通算でもう今年中に三位には上がるんじゃないか?この調子なら……あと四年今までの調子で打てば、打点は更新できるわけか」
「や~、こうやって数字にすると何度見ても化け物というか、絶対に無理だと思われてた記録も、誰かが超えていくもんなんだな。それはともかくお前に関係しているのはこっちだな」
樋口がスクロールさせていくのは、ピッチャーの記録である。
直史は現在27歳で、40歳まで毎年20勝したとしても、280勝にしかならない。
そもそも昔と違って、年間に30勝もすることがないのだ。
大介とした約束は五年間。
一シーズンごとの記録はともかく、累計記録では何も達成出来ないだろう。
「ておい、上杉さん、もう通算奪三振ランキングに入ってるじゃないか。え~と、37歳まで今のペースで投げてたら、通算一位になるのか?」
「そこまで今の調子で投げてたら400勝が見えてくるけどな」
「そうか、もう220勝……あれ? 上杉さんって今年が11年目だよな? 平均で毎年20勝以上してるのか?」
「そうだぞ」
「……世界記録どんだけだっけ?」
「そっちは500勝超えてるからさすがに無理だぞ」
「そうか」
自分のことでもないのに、残念に思う直史である。
樋口が示したのは、主に連続記録の部分である。
「今お前は、三試合連続で完封してるけど、連続完封記録は六試合が最高なんだよな」
「上杉さんあたりがもっとやってそうな気もしたけどな」
「勝也さんは勝てそうな試合はリリーフに任せてるからな。四試合連続完封が最高だ。ただし完投した試合の連続記録なら、八試合連続完封がある」
「八試合も一点も取られなかったのか。さすがだな」
直史が感心すると、樋口は他のウインドウを開ける。
「お前、自分の記録見てみろ」
「……大学野球とプロじゃレベルが違うし」
「プロでまだ一点も取られてないもんな。え~、六大リーグでは完投した14試合全てで完封しました、か。すごいね、この佐藤直史って人」
「……き、キャッチャーのリードが良かったから」
「それな」
樋口はびしっと指差してきたが、あまり気にしない直史である。
樋口としては上杉には確かに恩があるが、一番長く組んでいたのは直史である。
その直史が更新できそうなプロ野球記録を調べているわけだ。
「とりあえず連続完封記録は目指してみようか」
「まあ七試合なら出来なくもないか」
普通はできねーよ。普通ならな。
「他には、と思ってもだいたい上杉さんがやってる記録が多いのか。一シーズンとか一試合とか連続となると他には……シーズン防御率とか? 上杉さんの0.47抜けそうだ」
「それを抜けると思う、お前が怖いよ」
まんじゅう怖いの類であろうか。
「あとは年間19完封勝利、更新できないか?」
「19勝するのがそもそも大変……いや、今でも普通に24先発ぐらいするから、それを全部完封すればいいわけか」
「全部は無理にしろ、20試合ぐらいなら完封出来るだろ」
「どうかなあ。シーズン終盤でスタミナ切れとかにならないか心配だけど」
お前なら大丈夫、と心の中で突っ込む樋口である。
あと、意外と簡単そうなのが一つある。
パーフェクトの複数回達成だ。
ノーヒットノーランの複数達成者はいる。パーフェクトも含めて、上杉が四度達成しているのが最多だ。
ただパーフェクトに限って言うなら、上杉も一度しか達成出来ていない。
「そんなに難しいのか?」
「難しいらしいんだけどな」
直史は当たり前のように、大学野球ではパーフェクトピッチングを達成していた。
そして既に一度のパーフェクトとノーヒットノーランを達成している。
さらにもう、事実上のパーフェクトだろうという試合も開幕戦であった。
加えてもう一つ、壮行試合で事実上のパーフェクトを達成している。
パーフェクトとは直史にとって、完全なオーバーキル。
野球は勝てばいいのだ。完封でいい。
ただ相手の心を折るためには、パーフェクトの達成もいいだろう。
士気が崩壊したチームは、その後のシーズンも与しやすくなる。
さすがに全試合とまでは無理だろうが、直史にはかなわないという意識。
それを植えつけられれば、レギュラーシーズンもプレイオフも、有利に戦えることは間違いない。
一シーズンの中で直史が達成出来そうなのは、他にもある。
連続イニング無失点記録は、直史としても目指したい記録である。
連続イニング無四球というのも、直史ならば可能だろう。
ただしボール球も上手く振らせるのがスタイルなだけに、それを上手く使えないのなら、球数が増えてしまう。
「じゃあとりあえず、どこまで無失点が伸ばせるのか挑戦してみるか」
かくして邪悪な企みは計画された。
神宮球場におけるタイタンズ相手の三連戦。
武史が完封勝利した翌日には、金原が六回までを投げて、そこから勝利の方程式になりつつある、豊田、利根、鴨池で封じ込める。
佐藤兄弟以外にも、戦力がいるという事実。
タイタンズはおそらく、一番先に心が折れるだろう。
現在の直史には、明確な目標がある。
完封勝利記録、ではない。
ピッチャー一人の力で、チームを優勝させること。
まさに上杉がプロ一年目にしたことである。
スターズはあの年、上杉が一度も負けないピッチングをしたことによって、他の球団の打線の戦意を失わせることに成功した。
直史としてもリーグ優勝するためには、自分の試合だけではなく、他のピッチャーの試合も勝たなければいけないと分かっている。
一試合におけるピッチャーの重要度はアマチュアと変わらないが、プロは興行のために年間で143試合も行う。
そのためには多数のピッチャーが必要で、無茶な理屈を立てれば、直史が全勝しても、他のピッチャーが全敗したら優勝できない。
なのでチーム内のピッチャーに影響を与えると共に、相手のチーム全体に絶望を与えなければいけない。
だがそれでもシーズンを通してならば、メンタルを戻してくる人間はいるだろう。
全ての打者に対して、シーズンを通じて完璧なピッチングをする。
それは直史でも不可能と言うか、やったことがない。
だが対戦チームの主砲にだけはしっかりと対策をして、気持ちよく打たせない。
そういった地道なことを繰り返して、シーズンを終わらせる。
この試合でもそうであった。
初回から一番二番と内野ゴロを打たせて、三番に入る井口は三振。
そして次の回には四番から五番までを手玉に取り、六番打者にこの日初めてのヒット。
早めの回でのノーヒットノーラン阻止に、わずかにタイタンズのベンチが湧く。
いやヒット一本を出しただけでどうなのだろうか。
ランナーがいる状況で、万一の長打が出たら一点。
冷静に三振を狙いつつ、最悪でも内野ゴロになる組み立てを考える。
ショートの横を抜けそうな球を、緒方が飛びついてキャッチ。
なかなかいい当たりだったが、バックの堅守で無失点である。
「ナイスショート。助かる」
「いや~」
照れる緒方であるが、高校時代にはこれまた対戦相手であったのだ。
真田の控えピッチャーとしては、武史の代の方が印象は強いだろう。
プロに入って完全に、ピッチャーではなく内野一本と決め手からは、これも一年目から三割を打つ好打者として活躍している。
ショートを酷使するのが、直史にとっての打たせて取るピッチングであった。
白富東においては、守備範囲内の高速打球に追いつくのが大介で、外野の広い範囲を守るのがアレクであった。
レックスの守備の要は、樋口、緒方、西片というラインになっている。
西片は全盛期に比べれば衰えたとも言われるが、それは打撃の話。
配球を読んで出塁し、状況によって盗塁し、また守備に関しては年々勘を鋭くさせている。
彼に聞けば、体力的なことはともかく、技術的には今が全盛期だと言うだろう。
一巡目は快音の聞こえなかったレックスのバットだが、二巡目にはまさにボールを選んで、西片が出塁。
次の樋口にバッテリーの注意がいきすぎたのか、甘く入ったボールを緒方が痛打し、ボールはスタンドへ。
年間二桁はホームランを打っている選手を、甘く見すぎである。
これで2-0とレックスが先制点を上げた。
さて、どうするべきか、と直史は考える。
両者無失点のままなら、このまま無失点の記録を続ければよかった。
二点差というのは一点だけなら、まだ取られてもいい数字である。
高めに投げて空振りかフライアウトを取るのは、わずかだがホームランの可能性はある。
そのあたりは樋口に任せようかな、と他人任せの直史である。
その樋口は普通に凡退してきて、直史に告げる。
「もちろん無失点を狙うぞ」
樋口は直史の力を信じているが、だからこそ中途半端に打たせることも出来るのだと理解している。
タイタンズのバッターが下手にアッパースイングをすれば、それがホームランになってしまう可能性はあるのだ。
無失点記録は継続する。
それでも樋口はこの二点差で、ピッチングの自由度は広がったなと感じる。
一本はヒットを打てたのだ。
フェニックスも二本打っているのだから、タイタンズの選手たちも、一発を狙っていく。
足のある選手であれば、まず塁に出てという考えもある。
だがレックスは樋口がキャッチャーなので、盗塁阻止率は高い。
どうでもいいところでは、明らかにやる気がなくて走らせるので、数字としてはあくまでも普通に高い盗塁阻止率。
だがランナーを本当に進めたい場面では、七割ほど失敗させているのではないだろうか。
そのあたりは樋口の考え次第なので、どうだかは分からないが。
二点差ならワンチャンスで、しかも今日はもう一本ヒットが出ている。
タイタンズの打線が、希望を持っていられたのはどこまでであったのか。
三回から五回まで、また一人のランナーも出ない。
その間にレックスは追加点を取る。
六回には下位打線でヒットが出たが、後続が打てない。
ランナー残塁のままで、試合も終盤へと入ってくる。
七回、クリーンナップから始まるタイタンズの攻撃は、内野フライ一つに、三振が一つ。
まさかとは思うのだが、あえて下位打線には打たせているというのか。
だがこの打たせて取るピッチングのせいで、直史の球数を増やすことが出来ない。
七回終了時点で球数が70球以下であるというのは、まるで魔法である。
待球策を意識させると、初球から普通にストライクを取ってくる。
いや、元々ほとんどをゾーンで勝負しては来ているのだが。
落差のあるカーブは打っても、浅い内野フライかボテボテのゴロにしかならない。
八回にはまたランナーが出たが、そこで代打を出しても結果に結びつかない。
下位打線では打てているのに、上位打線では打てていない。
それがタイタンズの現実である。
本気で投げたなら、三振も取れるしゴロやアウトも打たせられる。
だがパワーで外野まで持っていけるバッター相手には、三振かゴロを打たせていく。
タイタンズの首脳陣もプロなので、直史のこのピッチングのパターンには気づく。
しかし気づいたところで、普通に打っていく以外に何が出来るのか。
直史と樋口は、直史のストレートの威力を過信していない。
組み立てて使えば確かに使えるが、それは必殺の決め球ではない。
あくまでもコンビネーションの中で使うことで、決め球になりうる。
それこそがまさに、決め球と言ってもいいのだと思うが。
この日、結局のところタイタンズは、ピッチャー三人を使って四失点。
直史は一人で三本のヒットを打たれながらも、無失点である。
だが重要なのは完封ではない。
今日の直史の球数が、91球で終了したことだ。
パーフェクトやノーヒットノーランよりも、さらに少ない球数で抑えた。
それにはどういう意味があるのか。
打たせて取る場合には、大前提として打たせなければいけない。
基本的にはゴロになるように調整しても、その打球の勢いがわずかでも強ければ、ヒットぐらいにはなる。
ただ試合の終盤になってからは、かなりフライを打たせることに成功している。
長打を打たれて点数が入っても、逆転まではされないという計算があるからだ。
確かに理論上は、ゴロよりもフライの方がアウトへの道のりが短いので、フライを打たせればいいのだが。
これに失敗するとフライボール革命の餌食になり、ホームランや長打になってしまう。
だが上手くすればフライとゴロの、二種類でアウトを取ることが出来るようになるのだ。
九回29人被安打三91球。
ただし四死球は出しておらず、三振は10個を奪っている。バッターの数が合わないのは併殺が一つあったからだ。
終わってみれば三本もヒットを打ったと言うよりは、より少ない球数で抑えることの、練習台にされたとしか思えない。
開幕戦の勝ち星も直史についているので、これで既に五連勝。
この調子の球数で投げて完投していくのなら、どこまででも投げていけてもおかしくはない。
リリーフ陣に経験を積ませようとも考えた木山であったが、球数の少なさがが継投の必要性を認めなかった。
それに時代は変わっても、完封はピッチャーにとっての名誉である。
一点でも入れられたら、とは考えていた。
だが結局は一点も入れられなかったのだ。
四試合完投完封。開幕戦も実質的には同じものだ。
投手部門での月間MVPは、間違いなく取れるであろう。
無安打記録は途切れたものの、無失点記録は継続中。
デビュー戦からずっと、まだ一点も取られていない。
伝説がどこまで続いていくのか。同時代の人間は、貴重な目撃者となっているのだ。
いとも簡単に、と見ているだけの人間には見えるかもしれない。
だが実のところ、直史がほとんどのリードを樋口に任せているため、キャッチャーの方は大変なのである。
(シーズン序盤だからいいけど、中盤から後半には、少し休ませてもらわないとな)
最も負担の激しいといわれるポジションのキャッチャーは、勝ってもなお嬉しさ半分であったのだ。
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