第21話 必要なものを必要なだけ
レックスの投手陣の調子が、ことごとく好循環している。
先発が踏ん張って、早い回で崩れずに、五回までは着実に投げる。
そこからロングリリーフか、あるいはイニングごとにピッチャーを代えるかして、とにかく試合を最後まで崩さない。
特に直史がほぼ完投と言える試合で三勝したため、この期間はリリーフ陣がほぼ休むことが出来た。
リードしている状態から、リリーフ陣が崩れて、先発の勝ち星を消すという試合がない。
とにかく負けるにしても、先発はある程度投げて、最後まで緊張感を持った試合を展開する。
一度ボロボロに負けた試合があると、そこから立て直すのに時間がかかることがある。
直史が蹂躙したチームは、その後しばらく調子を落とすことが多い。
そんな中でレックスは、17勝4敗。
いくらなんでもプロ野球では、ありえないほどの勝率を誇っている。
もちろんこれはスタートダッシュに成功したというだけのこと。
だがそれにしても、NPBの平均からしたらありえない勝率である。
レックスは負けた試合にしても、その点差は最大で四点差。
勝った試合は最大で七点差、そして一点差で競り勝った試合は一試合。
また一点差の競り合いで落とした試合はない。
勝つときも負けるときも、試合を壊すというほどではないが、数点差がついている。
レックス首脳陣は、色々と考える。
各種データを見て、当然ながら気づくというか、思いつく。
直史をクローザーにすれば、リードして最終回に持ち込めば負けないのではないか。
ただクローザーの条件としては、直史にはまだ体力の裏づけがない。
連投や三連投することのあるクローザーは、肉体にある程度の耐久力と、回復力がなければいけない。
高校時代や大学時代を見ても、直史が連投をした記録はあまりない。
ワールドカップや大学リーグ戦のクローザー、そして高校三年の15回パーフェクトの後の翌日完封。
おそらく適性はあるのだろう。
だが今はまだ、先発として投げて貯金を作っていってもらう必要がある。
しかしシーズン終盤、もしもゲーム差のない展開が続けば。
上杉の一年目のような、クローザー起用はあるかもしれない。
前回の三連戦では、初戦を武史に抑えられて、本多の好投を無にしてしまったタイタンズ。
とにかくこの数年間は、補強したはずの戦力が上手く運用できなかったり、得点と失点のバランスが悪い。
せっかくピッチャーがクオリティスタートを決めても、打線が一点も取れていない。
逆に打線が爆発していても、ピッチャーが崩れてそれ以上に点を取られている。
特に本多が一点に抑えた試合は、絶対に勝たなければいけなかったのだ。
本多は今年で海外FA権が発生する。
去年の国内FA権を行使しなかったのは、そのあたりも理由であるのだ。
背中の張りを理由にして、今回の初戦の先発を拒否。
一軍登録日数などを考えても、今年はローテを完全に回さなくても、FA権の日数にはまず問題がない。
もしタイタンズが嫌がらせで一軍登録日数を無理やり下げたら、国内FA権を行使すればいいだけだ。
そして他の球団に、一年間お徳の年俸で働いて、そこからポスティングという手段がある。
まあどちらにしても、本多の離脱は避けられなかっただろう。
元々本人の性格的にも、MLBの方が合っているとは思えるのだ。
そのあたりのことも考えていないのが、今のタイタンズのフロントか。
そして現場との情報交換も、上手く行っていないように感じる。
この三連戦初戦でタイタンズが用意したのは、ベテランの荒川。
黄金時代のタイタンズを知ると共に、FAで移籍してきてからは、他の投手陣が崩壊する中でも、タイタンズの屋台骨を支えてきた。
そこまで献身的になれたのは、タイタンズとの契約において、恩があったからだ。
難病によりあまり動けなくなった母。
その傍にいるためにタイタンズにFAでやってきて、遠征の免除や在京球団以外へのトレードなしなどと、様々な特別措置を受けていた。
母が亡くなった後も、それを恩に感じて、二度目のFA権なども行使していない。
今年38歳の荒川であるが、さほど衰えていないのは、その若い頃に無茶な登板間隔であまり投げていないこともあるのだろう。
タイタンズはFAなどでどんどん補強をし、あまり生え抜きを大事にしないというイメージもあるかもしれない。
だが実際にはこのように、選手の要求に応えるだけのチームの余裕がある。
「実際のところどうなんだ?」
直史の問いにも、樋口はちゃんと答える。
もっとも荒川の全盛期は、樋口ですらプロ入りする前のことであったが。
それでも今もまら、戦力補強を行うタイタンズの中で、年間20登板以上をするエースクラスのピッチャー。
「まあ家庭の事情がなければ、MLBに行ってた人材だな」
樋口としてもその評価は高い。
一つの基準である、大介との対戦成績。
荒川はかなりそれで、大介を抑えているのだ。
サウスポーの有利というのもあるが、昔から超一流のピッチャーではあった。
ただ直史は高校時代から一貫して、日本のプロ野球には興味がない。
ただプロの投げる球は参考にしていたし、荒川はサウスポーではあるが、参考になるところは多かった。
それでもさすがに全盛期の力は持たず、技巧派とはなっている。
若い頃にMLBに行っていたら。
これは時代によっては、NPBからMLBの道筋があったら、と言われることも多い。
いまや日本のプロのトップレベルが、当然のようにMLBに行っては活躍する。
レックスの東条も、アメリカに渡って先発として活躍している。
樋口が知らない時代のレックスであるが、その先輩がMLBでも通用するというのはたいしたものである。
樋口にも直史にも、MLB願望はない。
それよりも重要なのは、今日の試合である。
現在でプロナンバーワンのサウスポーが誰か。
既に引退を意識するような年齢で、まだ二桁勝利を続ける荒川。
そして国内最速のストレートを持つ武史。
「勝てるだろうし、負けても問題はないかな」
樋口の割り切りの早さは、直史でも驚くところがある。
奇しくもサウスポー対決となった、武史と荒川。
日程の関係で、ある程度対戦頻度に偏りはあるが、それはセ・リーグであれば仕方がない。
甲子園を代表するように、アマチュア野球に球場を使わせることがあるからだ。
舞台は神宮球場。
タイタンズとはこれまで六回の試合をしているが、レックスが全勝している。
そんな中の三度目の三連戦。
こういう状況では荒川は、本人の力の限界以上にまで投げてしまうことも少なくない。
武史がまだ小学生だった頃に、既にプロで投げていた荒川。
その登板事情が特殊なため、キャリアの割には勝ち星の数は伸びていない。
だが勝率においては、先発投手としては歴代でもトップ30に入るほどである。
佐藤兄弟を両方とも手に入れたレックスは、今年の優勝候補になっている。
樋口がリードすることで、この二人は大学時代に圧倒的な成績を残した。
最優秀バッテリーを獲得したこともある、武史と樋口という組み合わせ。
だがそれはあくまでもレックスの守備面の話。
レックスの打線を封じるのは、自分の役割だと気合を入れる荒川。
一回の表、タイタンズはそれなりに粘れはしたものの、ランナーが出せずに三者凡退。
そしてマウンドに登る荒川は、レックスの陣容を見る。
一番西片はともかく、そこからは生え抜きの選手が四番まで続くレックス。
対するタイタンズは、先頭から移籍選手が続き、三番の井口を除けばまた移籍選手が続く。
勝利のためには戦力を整えるというのは、確かに常識である。
だがタイタンズのこの戦力の整え方は、果たして合っているのだろうか。
とにかく出塁率の高い西片が、粘った末に甘く入った球をヒットにした。
そして二番の緒方が、またヒットを打つ。
初回の先頭から連打される荒川というのは、実はかなり珍しい。
ノーアウト一二塁で、三番の樋口。
レックスの打線の中でも、一番厄介なバッターである。
樋口の特徴は、均衡している状況で打つ。
ランナーが多い状態でも打つし、決勝打になる場面でも打つ。
とりあえず勝負強いということだけは間違いないのだ。
厄介だな、と荒川は思っているが、樋口としても荒川はあまり得意なピッチャーではない。
昔日の球威はないが、制球力と変化球を磨いた。
(う~ん)
さっと自分の方からサインを出すと、木山も少し考えてそれに頷いた。
ランナーへもサインが出て、樋口は無警戒な荒川の初球を、バントでこつんと転がした。
絶妙なバントでなくとも、進塁させればいい。
ファースト前へのバントは、二塁や三塁には間に合わない。
一塁へ投げて、ここはアウト。
まさかの樋口のバントであるが、実はバントヒットも時々決めているのが樋口である。
ワンナウト二三塁。
内野ゴロでも西片の足なら、ホームに帰ってこれるだろう。
あるいは外野フライのタッチアップもある。
そしてバッターは四番の浅野。
タイタンズの戸島監督も考えざるをえない。
レックスの先発は武史で、その調子がいいことは、一回の表の攻撃で確認した。
スロースターターなので、ここから調子を上げてくるかもしれない。
そうなったら一点で試合が決まりかねない。
普通ならまだ一回であるのだから、一点は取られても確実に、一つずつアウトを取っていく。
だがここで監督が、完封されてしまう可能性を考えるところが、タイタンズの弱さと言えるだろうか。
ピッチャーが相手をロースコアに抑えているのに、打線の援護がない。
今年だけではなく、ここ数年は目立っている現象だ。
なので戸島は、内野も外野も前進させて、一点を守りにかかる。
そしてそこまでが、樋口の予想通りであった。
一点を惜しむあまりに、大量点を許す。
ここは味方と敵の戦力を、正しく分析できていたら、リスクやコストがしっかりと分かるはずなのだ。
ただこれは分析と言うよりは、打線への信頼の問題だったのかもしれない。
逆に木山監督は、浅野のバットに全てを託す。
荒川の投げたスライダーを、浅野は大きく打ち上げた。
確実に外野までは飛ぶが、外野のグラブでキャッチ出来るかどうか。
四番の一撃は、ボールをフェンス間際まで運ぶ。
結局捕球出来なかったセンターを見てからでも、西片と緒方はホームへめがけて発進。
打った浅野も二塁に到達する、タイムリーツーベースでレックスは先制。
そしって、これで勝ったと思える樋口であった。
いくら武史が防御率の低い投手といっても、だいたい一点前後は取れるはずなのだ。
だからこれは結局分析とか見通しではなく、選手への信頼の問題となる。
打率の高い樋口が、わざわざ送りバントをしたこと。
一点を取れればそれでいけるというサインを、タイタンズに教えるためのものだ。
じっさいのところ樋口は、そんな楽観論者ではない。
普通にランナーが進塁し、そして浅野に打順が回る。
ここからならもっと確実に点が入ったと思っているのだ。
タイタンズの成績が、この数年低迷している原因。
それは補強が上手くいっていないということではあるが、ではどうして上手くいっていないのか。
樋口は自分なりに、それを推測している。
単純に首脳陣と選手、そして選手間同士で、コミュニケーションが取れていないのだ。
ミーティングなどでの戦力分析や、戦術などの伝達とは全く違う。
選手の調子が上手く把握できておらず、そのためどの選手の調子がいいのか分かっていない。
選手を入れ替えすぎた弊害と言えるだろう。
補強というのは、必要なものを必要なだけ加えることだ。
とにかく戦力をなんでも手に入れればいいというわけではない。
控えとして使えるではないかという話にもなるかもしれないが、それは違うのだ。
元々FAでやってくるような選手は、既に成功している選手。
待っていても機会は与えられる成功者で、ハングリー精神はそれほどない。
だから控えに置くべきは、チャンスを逃すまいとしている若手。
だがタイタンズは実績のある選手だけを置いて、この先はどういったチーム作りをしていくのか。
対するレックスは、若手の育成もしっかりとしている。
だがきれいごとではなく、純粋に資金的な問題であるところが大きい。補強をFAなどでは頻繁にしすぎないのではなく、できないのだ。
ただそんな前提があるため、監督をはじめとする首脳陣も長いスパンで選手を見ているので、自軍の戦力に自信がある。
この場合、浅野ならば打てるという信頼で、とりあえずランナーを三塁まで進めた。
最低でも外野フライで一点は取れると信じて。
そしてその信頼以上の結果を、浅野は出したのである。
こっそりと楽な、それでいて戦略的にこの試合を見て、バントをした樋口は、ベンチの中からタイタンズベンチを観察する。
(タイタンズは泥沼だな)
本当に、どうしてこうなったのか。
樋口にとってもタイタンズというチームは、ずっとプロ野球においては、強いチームだという認識が子供のころからあったのに。
今の状況をまともにするには、果たしてどうすればいいのやら。
樋口であってもさすがに、プロの監督のチーム作りにまでは想いが及ばない。
ただ普通のやり方では無理なのかな、とは思う。
ともあれこの試合も、レックスは先取点を奪った。
荒川もこの後は好投を続けるが、タイタンズの戸島の考えは、結果的に正しかったと証明される。
九回138球を投げて、武史はタイタンズを完封。
リリーフ陣を休ませることの出来る、完璧なピッチングであった。
そしてタイタンズは、続く第二戦も落とす。
先発の金原はまだ、佐藤兄弟に比べると常識的なピッチングをしたのだが、今度は取った以上に点を取られた。
野球の単純なルールで、いくら打線が頑張っても、ピッチャーと守備がそれ以上に点を取られれば負ける。
このあたり、現在のタイタンズのピッチャーとバッターの噛み合わなさは、本当にひどいものである。
これまでの試合の総得点と総失点の差はそれほどでもないのに、全体的に試合を見れば、はっきりと負けているのだ。
なぜここまでひどくなるのか、分かっている者はいるだろうか。
そして追い討ちとばかりに、第三戦の予告先発には、中五日の直史。
日程上、中六日だと試合がなく、中七日になってしまう。
だから中五日にした。タイタンズとしては、ルーキーなのだから少しぐらい、登板間隔を長めにとってもいいだろうと思ったのだが。
タイタンズがさらに絶望するには、充分すぎるほどの条件が整っていたのであった。
ここからが本当の地獄である。
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