2036年からのメール

倉桐マヨナカ

2036年からのメール

 1


 壁にぶち当たっていた。

 頭上の空には月が登っているはずだったが、今は薄い雲の向こうにいて見えない。時折、夜の風にそよぐ枝から白い花びらがはらはらと落ちてくるのを、桜の樹の根元に座り込んだままぼけーっと眺めていた。向こうに見えるのは年季の入ったレンガ造りの建物。近くに灯りはなく、それでも敷地外の道路からおまけのように届く光で薄ぼんやりと照らされている。バイクのエンジン音が遠くから聞こえてくるが、うるさいほどではない。

 ほとんど無意識に手の中にあった端末の表面を撫でる。ぱっと時間が表示された。二十三時。気がつけば一時間近くも経過していたらしい。はじめの頃の、迫る締め切りに焦る気持ちはだいぶ落ち着いてた。幸いまだアテは残っているのだし、なるようにしかならない。諦めの境地とも言うが。

「あんたまだいたの?」

 呆れたような声に振り返ると、トレーニングウェア姿の友人が立っていた。所属する演劇部の仲間だ。だらんとした右手にビニール袋を下げている。

「色々考えることが多くて」

「ふーん」

 適当な受け答えをすると、適当な相打ちが返ってきた。別に何でもいいのだろう。言いながらガサガサとビニール袋から缶ジュースらしきものを取り出して投げ寄越してくる。

「ほら。戦利品分けてやるわ」

「戦利品? 走り込み行ってくるって去って行かなかったっけ?」

 危うく落としそうになりながらそれを受け取り、まじまじと眺める。描かれたロゴとデザインは青いオレンジぽいのだが、よく見れば見たこともない。文字も読めない。この国の言葉はどこにも書かれていなかった。

「なにこれ」

「走るのにソッコーで飽きたので、その辺にあったディスカウントショップの『激安☆海外果実酒祭り』ってコーナーで一番売れ残ってるのを選んできた」

「返す」

 半眼になって即座に投げ返す。しかし友人は器用にそれをキャッチすると、飛んできた勢いそのままに再度放り投げてくる。

「いらないー」

「こっちがいらないんだよ」

 キャッチボールじゃないんだよ。

「えー」

「えーじゃない」

「せっかく不味そうなの買ってきてやったのに」

「ケンカ売ってんの?」

 はぁ、と小さくため息をひとつ吐き出し観念し、缶の口を開ける。炭酸系かもしれないので慎重に……そして「カシュ」という音と共に爽やかな柑橘系の匂いが漂ってくる。幸いにも溢れ出たりはしない。口にすると普通にオレンジジュースの味だった。若干青臭い気もするけど、警戒したほどではない。というかアルコール本当に入ってるのか?

 もう一本あった同じものを飲みながら、友人はハズレを買ってしまったとわざとらしく肩を落とし嘆き悲しんでいた。やはりケンカ売ろうとしていたらしい。

 そうやってしばらくどうでもいいやり取りをした後、友人は飲み終えた缶をビニール袋に片付けながら思い出したように聞いてくる。

「そういえば色々考えることがあるって言ってたけどさ、夜の大学の構内で一人ぼんやりと考え事? なに青春なの? 部室行ってトランプでもする?」

「なんで青春だとトランプなんだよ」

「そりゃあ徹夜で大富豪でもすれば立派に青春じゃん。それで?」

 促してくる友人の言葉で、自然と手元の端末に視線が降りていった。

 画面の隅にメールの受信を示す封書型の白いアイコンが点滅している。

 それを見るともなく見ながら、大したことじゃないんだけど、と前置きをする。

「悩んでる事があってね」




 2


 最近、2036年から頻繁にメールが届く。

 何を言っているのかという顔をされたが、本当のことだ。未来の日付で、確かにメールが送られてくる。

 でもおかしなことに未来からのメールのくせに、それらしいことは何一つ書かれていない。久しぶり!とかやけに親しげだったりするだけ。どうせなら映画などのように、信じさせるために当たりくじの番号を言い当てて、五千兆円とはいかなくても、五千円くらいくれてもいいものだろうに。むしろ逆にお金を振り込んで欲しいと訴えてくることもあるのだ。

「それただの迷惑メールじゃん」

 呆れた顔でそう言う友人は、多少なりとも心配げに続けてくる。

「まさか返信とかしちゃってるわけ?」

「してない。返信しても未来に届くわけじゃ無いんだし」

「……届くなら返信するわけ?」

「しない理由がなくない?」

「即答なの? バカなの?」

 ともかくそんな感じで、悲しいことにメールの内容は基本的には胡乱なものばかりなのだが、その中に一通だけ気になるものが混じっていたのだ。

 表情で続きを促してくる友人に、端末を操作して問題のメールを開きながら答える。

「それがさ。今日、ここで連絡を待ってるんだって」


 >from:203-603-3123-1257@d4c.wffto.int 

 >date:2036-03-31 23:12:57

 >subject:電話して

 >メールを受け取った日の

 >このメールの時間に

 >部室の桜の木の前で


 この簡素な内容のメールを理解するのにたっぷりと時間をかけた友人は、ゆっくりと画面からこちらに険しい表情を向けた。

「やっぱりただの迷惑メールじゃん」

 あんたホントに大丈夫?という顔をしてくる。

 その気持は分かるが、それでもやはり違和感があるのだ。

「二行目までだったら、確かにそのままゴミ箱行きだったけど。不特定多数に送りつけるような迷惑メールでさ、こんな『部室の桜の木』なんて条件狭めること書くもんかな」

「実際に書かれてきたメールが届いてるんだからあるんでしょ」

「あ、最初からスパム認定してる」

「だってそうじゃん。悩みってまさか、今から電話かけようってんじゃないでしょうね」

 まあ今この時間にこの場所に居る時点で、そういうことになるのだが。

 実際のところ、この三行目についての違和感をどう扱えばいいものか分からなかったのだが、電話したら分かるだろうくらいの軽い気持ちもあったりするのだった。なにより、

「実は明日の昼が期限になってる脚本案の提出、ネタが浮かばずにまだ手つかずなんだよね、俺」

「まだ出してなかったの! 先輩に半殺しにされるでしょ……」

「だから何でもいいからネタが欲しくって」

「ウソでしょ。あー、信じらんない。こんなしょーもない理由で、今どきこんな分かりやすい迷惑メールに引っかかる人間が私の周りから出てくるなんて! あんた仮にも情報ナントカ学科でしょ。一番引っかかっちゃ駄目なやつでしょ」

「それなりに分かるから大丈夫だって」

「知ってる。中途半端に知識あるヤツが痛い目を見る流れよねこれ」

「そういうのやめてくれない? 本当に大丈夫だって。このために使い捨てるSIMカードも準備したし」

 それを聞いた友人は、ますますくらくらする頭を振り払うようにすると、それでもう心配するのはやめたようだった。両手を頭の上で引っ張り上げるようにして背伸びをする。

「まあいいわ。それでダメージ受けるのはあんただけだし、横から見てれば面白そうだし。……それでどうするの? このメールには電話番号なんて書いてないけど」

 そうなのだ。

 電話してと書いてあるくせに、肝心の連絡先が見当たらない。

「試しにメール返信してみてもいいけど、メールアドレスっていくらでも偽装できるからなあ。送ってもエラーですぐに返ってくるかも。それに、電話しろってはっきりと書いてるし」

「じゃあどうすんの」

「うーん……」

 端末に改めてメールを表示させる。何回も見たが、日付はあっても他の数字は無かった。メールアドレスに使われている数字も同じ日付を使っているようにしか見えない。

 友人も顔を寄せて来て同じ画面を覗き込んできた。そして特に悩むでもなくメールアドレスを指差して言ってくる。

「ハイフンが付いてるからこれに電話すればいいんじゃないの?」

「いやだって桁数多くないかこれ」

「いいじゃん、どうせ他に番号なんてないんだし。打ってみなよ」

 どうしたものかと迷いながら端末の画面隅の時計を確認する。

 現在、二十三時十分。

「……まあ、確かにそろそろ指定の時間だし、そもそもダメ元だしね」

 友人の案を採用し、画面を操作してメールアドレスからコピーした十四桁の数字を打ち込む。

 203-603-3123-1257。

 一瞬躊躇ってから、コールボタンを押す。

 普通であればすぐに「おかけになった電話番号は現在使われておりません」となるはずだ。

 そして、少しの間を置いて。

 呼び出し音が始まった。


 ルルルルルル ルルルルルル


 全く同時に友人と目を合わせる。

 目を丸くした友人が、びっくりしたように呟いた。

「かかっちゃった」




 3


『こちらWFFTOサービス案内センターです。おかけになった電話番号に従い自動案内メッセージをお伝えいたします。メッセージに沿ってご希望の番号を選択してください』

 スピーカーモードにした端末からそんな音声が流れてくる。

 事務的な女性の声。日本語の案内放送だった。

 まさかあの番号で本当に電話が通じると思っていなかったし、聞こえてくる内容も予想外ではあった。何サービスって?

 虚を突かれた気分で友人の方を見やると、やはりそちらも似たような気持ちなのか困惑の表情だった。お互い、数度まばたきをする。

「なにか言いなさいよ」

「どうしよう」

 いや、このまま聞くしか無いのだが。

 そうこうしている間にも自動音声は次に進んでいく。

『サービスの概要を確認する場合は1を、未来のご自分とお話される場合は2を押してください』

 その後に、もう一度繰り返しメッセージを聞く場合には3を、というよくある案内が続いていく。

 普通にすごいのぶっ込んできた。

 日常的に触れている端末から聞こえてくる言葉にしては、いささかSFにすぎる。

「未来の自分って……」

「さ、最近の迷惑メールって凝ってるのね?」

 友人の言う通り、コレがスパムの一種である可能性は普通に高いし、それでもネタになると思って電話をかけたつもりだった。しかし、なんというか、怪しすぎて逆にこれは。

「……まず案内を聞くよ」

 そして端末を操作しようとして気付く。通話時間の表示が、よく見ると左端にマイナス表記が付いている。時計がマイナスに進んでいる。ように見える。

 ぞっとしながらも操作を続けた。数字を表示させて、そっと1を押す。

 自動案内は即座に次のメッセージを返してきた。

『本サービスは、時間通信技術を用いた現在と過去、未来のあなた様本人同士を結ぶ事で、お客様にひとときの非日常をご提供する10分間の通話サービスです。ただしこの通話において、未来を知る、あるいは過去を変えるといった直接的な発言は制限させて頂いております。なお、未来との通話となる場合、繋がるのはあくまで可能性の未来となっておりますのでその旨を十分にご了承ください』

 淡々とメッセージを読み上げる音声。そしてまた、もう一度繰り返す場合は……と続いていく。

 いささかどころではなかった。これは完全にSFだ。

 むしろこれが迷惑メールから始まる特殊詐欺なのだとしたら、誰を狙った詐欺なのか。ターゲット層が狭すぎる。台本のネタとしては十分面白い展開だったが、いや、これどうするの? 続けていいの?

 友人はというと、眉間を寄せてぷすぷすと頭から煙を吐いていた。

「ごめん、何言ってるのかぜんっぜん分からない」

「あー」

 もう一度しっかりと聞くつもりなのだろう、横から伸ばした友人の手が繰り返しボタンを押すのを見ながら内容を頭の中で噛み砕く。

「パラレルワールドの未来の自分と話せるけど、未来の情報は教えてもらえない、ってところかな。宝くじとか」

「宝くじこだわるの小市民すぎない?」

「いや当たりくじは欲しいだろ」

「そうだけど……でも、じゃあ本当に話するだけ? 私達からは何も聞けないし、世間話するにしてもそれ向こうも全部知ってることでしょ? 過去なんだから。意味なくない?」

「確かに。だから非日常を提供って言ってるのかも。ただのアトラクションというか、そういう……いや、そうか。メール送ってきたのは向こうなんだから、電話したがってるのは未来の方なんだ」

 スピーカーの音声は、ちょうど繰り返しが最後まで来たところだった。

『もう一度お聞きになる場合は1を、未来のご自分とお話される場合は2を押してください』

 ここまできたら押さずに済ます選択肢はないと思った。友人を見やるとこちらも無言で頷いてくる。

 知らずツバを飲み込んでいた。数字を押す前に、口を小さく開いて息を吸い込む。

 さあ、何がでてくるのやら。




 4


『やあ、俺』

 通話が繋がっての第一声は、そんな短いものだった。

 客観的な自分の声を聞いたことがない人は、それなりに多いのではないかと思う。しかも電話越しの声だ。これが本当に自分の声なのかを判別するのは難しい。ただ、今は隣に友人が居る。

「一応、あんたの声……に聞こえる。たぶん」

 端末のマイクに拾われないように、口に手を当てて小声で教えてくれる。

 わざわざ似せた声を用意した詐欺師集団、という可能性は果たしてまだ残っているのだろうか。よくわからない。

『もしもし。聞こえる? 俺だよ俺』

 こちらが応答しないので通話状態を確認してくる。確認の仕方が完全に振込詐欺だったが。

「聞こえている。それわざと言っているんだよな?」

『せっかくの機会だからネタの提供もしておこうかと。確か部内の脚本コンテストの締め切りが近かったろ? 苦労したから覚えているんだ』

「…………」

 未来からの通話だと認識させるためだろう。相手はそんなことを言ってきた。確かに第三者は普通そんなこと知らない。

 なんとなく薄い氷の上を歩いている気持ちになりながら聞き返す。

「それで誰の話が選ばれたんだ? どうせ副団長のだろ?」

『どうだったっけ、確かあの■■■■の……じゃない、話せないんだった。先にこの通話サービス概要聞いた?』

「聞いた。あと今の会話も肝心の部分が聞き取れなかった」

 聞き取れないというか、その部分だけ加工され、意味のない音に勝手に置き換えられているという感じだった。案内音声の『ただしこの通話において、未来を知る、あるいは過去を変えるといった直接的な発言は制限させて頂いております』というのはこういう事なのだろう。この調子だと、いつの未来から通話しているのかも聞けないに違いない。それにしても、こんなリアルタイムの会話に規制をかけることが出来るというのが本当にSFらしい。

「まず先に一つ聞きたいんだけど、あの迷惑メールみたいなの、お前が送ってきたということでいいのか?」

『そう。俺が、未来からお前にメールを送った。テンプレから文章選ぶしかなかったからあんなだったけど』

「……わかった。じゃあもう一つ、これが未来からの通話だって分かる話をしてほしい。それで信じる。話を聞く」

『いいけど、でもそれお前だけしか知らない秘密を暴露するとかしか出来ないけどいいのかな。そこにいるの一人じゃないだろ? 一緒に何か飲んでたんだろ』

 二人して驚いて顔を見合わせる。さっきの友人の声が聞こえたのだろうか。

 いや、こいつは未来の自分なのだから、むしろこの場に友人がいるのを知っているのが当然なのか。

「何を飲んでた? ジュース?」

『いや、なんか外国のお酒。味は……そう、普通の味で、あいつがすごくがっかりしてたんだ』

 そう懐かしむように言ってくる。ここまでの内容ともなれば、近くに一緒にいなければ分かりようがない。

 そっと周りを見回す。もちろん周りには他に誰もいなかった。夜風に周囲の桜の木が揺れるだけだ。少し離れたところまで行けば国道に面しているが、さすがに会話を拾える距離でもない。

 これは疑ったらきりがないのだとようやく納得した。

「オーケー、とりあえず話を聞くよ。用事があるんだろ」

『ありがとう。あと先に言っておくけど、これはあくまで本人と話すサービスだから、お前以外に話しかけることは制限されてる。無視してるわけじゃないよ』

「本人としか話せない、未来のことも話せないってどんな意義があるんだか」

『だからあんまり人気ないんだよね、このサービス。過去と話しても現在は変わらない。実利がないんだ』

「そんな無意味なサービスを使って電話をする目的は?」

『■■■■■■■■■。■■■■■■■■■■。■■■、■■■■■■■』

「……え?」

 よどみなく答えてくるそのすべてが、まさかの全文規制だった。音声としては聞こえても、意味が取れない気持ち悪さに思わず呻いてしまう。

 聞こえた?と隣の友人にも表情だけで尋ねるが、さっぱりと首を振るだけだった。

「悪いけど全く聞き取れなかった」

 そう返すと、あちらは数秒黙ってから、

『そうか』

 とだけ言ってきた。

 それは心なしか苦しみを背負ったかのような声音に感じた。あるいは単に疲れきっているかのような。両方かもしれないが。

『つい余計なことを喋ってしまったみたいだけど、突き詰めてしまえばなんてことはないんだ。昔の自分と話すことで、俺はケジメを付けたかった』

「ケジメぇ?」

 黙って聞いていた友人が身を乗り出して来る。

「もしかしてあんた、もうすぐ何かやらかすんじゃないの?」

「何かってなんだよ……」

「聞いてみればいいじゃない」

「規制案件だろどうせ」

 その会話が(半分だけ)聞こえていたのだろう、端末の向こうからも同意の声が流れてくる。

『そう。未来のことだから話せないんだ。大したことかもしれないし、そうじゃないかもしれないし、もしかしたらお前の未来では起きないかもしれない。だから気にしなくてもいいよ。もしそれが起こったら、お前もまた過去の自分に通話するのかもしれないけど……そんなのは誰にもわからない話さ』

 その物言いに友人が少し頬を膨らますようにしてつぶやく。

「なんかさ、すべてを知っている相手と話すのって結構イライラしてくるのね。向こうのほうが立場が上っていうか、こっちが何をしても『ほぅほぅ、そうきましたか』みたいな感じするの」

「それな。で、未来の『俺』様におかれましては、ケジメとやらはこれで付けられましたか?」

『付けられるといいなと願っているよ。心から。……ところで、いまそっちの時間を教えてくれないか』

「時間?」

 言われて端末の時計を確認する。

 23時27分。

 それを告げると、また数秒の沈黙が返ってくる。

『……うん。そろそろサービス終了の時間みたいだ。俺はもう満足したけど、そちらからは何かある? 折角の機会だ、答えられることは答えるよ』

 もう10分経ったのだろうか。少し早い気もするが。

 だが改めて聞きたいことと言われても、自分の知らないことは何も教えてくれない相手に対して有意義な質問なんて思い浮かばなかった。

 意味のないことを聞くしかない。こんなの、占いに行って助言をもらうのと何も変わらない。

「いいんじゃない? 占い気分で。そのほうが気楽に聞けるでしょ」

 あっけらかんとした友人の物言い。まあそうかもしれない。

「じゃあ、明日ロト6買いに行くから、適当な番号言ってくれよ。それにするから」

 本当にそんなことでいいのか?とスピーカー越しの声。未来の自分は少し悩んでから、いくつかの番号をあげてくれた。

『じゃあね。当たるといいな、それ』

 そして意外なほどにあっさりと、通話は切れた。

 画面には通話終了の文字。

 通話時間は、17分42秒。明滅するようにマイナス記号が見える。

 端末から目を離す。友人はなんとも言えない表情をしていた。

 さらに視線を上げる。距離のある街灯から届くぼんやりとした明かりの中、かすかな風に揺れる桜の枝と、その先に見える夜空。雲が流れて今は少し欠けた月が出ていた。離れた国道の方からは何やら騒がしい音が聞こえてくる。春休みの、こんないい天気の夜だ。きっとどこかのサークル連中が飲み明かして大騒ぎでもしているのだろう。まさしく見慣れた現実の風景だった。

 さっきまでの通話は何だったのだろう。本当に未来からの電話だったのだろうか。いや、それは間違いないんだろうと思う。

 ふと思いついて、さっきの何とかサービスにかけた番号を履歴からリダイヤルしてみる。

 間を置かずに自動案内のメッセージが返ってきた。内容はもちろん、おかけになった電話番号は現在使われておりません――だった。

「結局、未来のあんたって何がしたかったのかな。あれで何か得るものあった?」

「あったんだろうよ」

「まあ本人そう言ってたけども」

「それよりもせっかく当たりくじの番号聞いたんだから、しっかり買いに行かないとね」

「明らかに適当に言ってた番号でしょそれ」

「まー、明日買えば分かることさ」

「あっ。でもさ、あの番号言ってる時に規制入らなかったってことは、逆に絶対に当たらない番号ってことじゃない?」

「なるほど! たまには頭いいな!」

「たまにとか言うな!」

 ずっと座っていた桜の木の根本から立ち上がってズボンをはたく。

 考えていたよりもずっと面白いネタをもらった。帰る気も無くなったので部室で提出物をさっそく作ることにしよう。

「あれ、部室行くの? 私は帰ろうかと思ってたけど、でもこの時間だとまだなっちゃんたちがスマブラやってるんじゃない? 混ざりに行こうよ、あんた昨日勝ち逃げしてそれっきりじゃん。許されないよ」

 友人は言うが早いが、身を翻して部室棟のある方へ駆けていった。身軽なやつである。

「それ明け方まで遊んで課題出せずに終わるやつだろ……」

 まあいいか、と思う。

 よく考えたらこんなの創作でありがちなネタだ。きっと他の連中はいつものように、もっとえげつなく面白い脚本案を持ってくることだろう。

 友人を追おうとして、ふと思いついて端末のメール画面を開く。例のエセ迷惑メールを選び、間違って削除したりしないように保護マークを付けた。

 未来の自分が連絡をしたかった理由。

 自分には関係のない未来かもしれないけれど、そのうちゆっくり考えてみよう。

 意味はないけど。まあ、何かはあるだろう。きっと。




 2036


 俺と友人の関係は同学年の部活仲間以上のものではなかった。

 その頃、友人はひとつ上の先輩をいかにして陥落させるかに頭を悩ましていたし、俺は俺で学外での人間関係で色々とトラブルを抱えていたのだ。

 真面目に部活して、メンバーで遊ぶのは楽しかった。

 それは何十年も経った今でも思い出せる、とても輝かしい記憶の一つだった。

 その大切な記憶の一部である友人は。

 あの夜に、死んだ。

 交通事故だった。あの時、友人が俺に外国産の果実酒を投げて寄越した後、程なくして俺たちは分かれた。俺はその場で課題のネタを考え続け、友人はランニングを続けながら帰宅したのだ。いや、帰宅しようとした。

 敷地の正門から出た所で、酔っ払った馬鹿がバイクで突っ込んできたらしい。あたりは騒然となった。

 だが、俺はそれに気が付かず、馬鹿みたいにぼーっと月を眺めてネタを思いつくのを待っていたのだ。

 翌日になってようやく事故を知った。悔やんでも悔やみきれないとはあのことだった。あと少しでもその場で長話していれば、友人は生きていたかもしれなかった。部のメンバー全員がショックを受け、次の脚本案を作るなどという場合ではなくなった。

 それでも時間は流れ、次の公演は残った全員でやりきった。

 誰かが居なくなっても時間は進むし、物事も回っていく。そうしないといけない。いつまでも立ち止まっては居られないなんて、それこそ数多の創作で訴えてくるような話だった。

 でも、それでも。

 自分が少しでもその場に友人を引き止めていたのなら、その後の輝かしい記憶の中にも友人の姿はあったのだ。

 それがずっと過去の出来事になった今でも、燻りは胸に抱えられたままだった。

 結局、燻りは消えなかった。でも間違いなく軽くはなった。

 何をしても過去は変わらない。

 それでも、この通話を終えて、こうはならなかった世界は間違いなくそこにあったと思えるようになった。これで充分。もちろんただの自己満足だ。

 だがこれがケジメでもあった。

 時間通話は禁則事項がある。いたずらに時間の流れを乱さないためとされているが、実際には過去を変えても現在とは違う別の現在が生まれるだけで、今あるこの世界はなにも変わらないということが分かっていた。でなければこんなサービスは一般向けとしてリリースできるはずもない。

 規制のために本当の望みを話すことはできないけれど、ただ彼らの時間をその時まで引き止めておければ良かった。

 10分間、友人を正門に近づけなければそれでいい。

 そのための通話だった。

 あの会話中に事故の起きた時刻が過ぎたのを知った時の、己の中でぐるぐると渦巻く感情はうまく表現できない。

 あの時をやり直せたような錯覚、友人を救えた歓喜、変わらない現在への諦め、そして……

 タイムトークアウトサービスの施設から出ると、その足でマーケットに向かうことにした。まずそうな果実酒を買いに行こう。もちろん二本。

 歩きながら空を見上げる。

 今ではない時間をそこに見るように。

 あの春の夜に、また会いたいと思った。

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2036年からのメール 倉桐マヨナカ @mayonaka4

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