新たな王の誕生

 舞踏会の会場は、既に大勢の客でごった返していた。

 青いドレスをひらめかせ、湖を征く一艘の舟のように歩む私を見ると、人々は口々に騒ぎ立てる。


「見て、あの白い髪、『白鷲の騎士』よ」

「本物なのか?」

「あれが『怪物』?」

「怪物なものか、これ以上なく美しい女性ではないか」


 幸か不幸か、エルリンテンという愚か者の代名詞みたいな家の名を覚えている人は誰もいないらしい。それか、そんなことはどうでも良くなるくらい、皆浮かれているのかもしれなかった。


 少し遠くの壇上で、他の貴族と談笑しているらしきラインの姿が見える。早速この姿を見せに行こうと足を早めて、ふと、近くに見覚えのある顔がいることに気づいた。


「ユーウェインか」

「おや、騎士様。お変わりなく」


 ラインの弟、チビのユーウェインはもうすっかり背も伸びて、礼服が様になっていた。まだ幼さの残る顔立ち、精悍な騎士というより柔和で貴族らしい立ち姿。遠巻きに沢山の令嬢たちが熱い視線を送っている。


「僕なんかに先に話しかけては、兄上が嫉妬してしまいますよ」

「構わん、私だって本当は直接迎えに来て欲しいくらいの気持ちだったのだ。ちょっとくらいやり返したって良かろう」

「ああ、それは確かに兄上が悪い」


 懐かしい顔につい口調が戻ってしまい、慌てて声を小さくする。

「あ、私の格好、変じゃない?」

「よく似合っていますよ、自信を持って」


 ぐっと親指を立てられる。

 緊張と期待で頭の先まで熱くなった。ようやく、ようやく会えるのだ。一言目には何を言おうか。彼は私に何と言ってくれるだろうか。


「アステリア!」


 私と目が合ったラインが、今まで話していたボルドヴァルを押し退けてこちらに寄ってくる。抱き締めようとでもしたのか、腕を大きく開いたものの、周りの目に気がついて、そろりそろりと下げて誤魔化す。


「来ていただけて幸いです。その装いもとても美しい」

「折角来ても放ったらかしなものだから、拗ねて帰ってしまおうかとさえ思いましたのよ」

「……ふふ! それは失礼を!」


 冗談めかして口を尖らせると、ラインも大仰な仕草で謝罪の一礼をする。ずっと会っていなかったのに、まるで昨日もこうして笑い合っていたようだ。

 私達の時はずっと止まっていたのかも知れない。


 ラインは私に囁いた。


「改めて、正式に求婚しても構いませんか?」

「今、この場で? こんなに人がいるのに」

「勿論! むしろ見せつけてやりたいくらいです。私が剣を取ったのは貴女のため、つまりこの国に平和が戻ったのは貴女のおかげといっても過言ではありませんから」


 ラインはいたずら小僧みたいな笑顔を見せる。

 しかし、一変。笑みは悲嘆の表情に反転すると、彼は私を骨が軋むほど強く抱き締めた。


「い、痛いぞライン卿!!」


 そのまま横に回すように投げ出され、私は酷く尻餅をつく。顔を上げた私の視界に、見慣れた赤い液が映り込む。


「ライン卿?」


 崩折れた体の脇に、小柄な影が立っている。手には大ぶりのナイフ。返り血が跳ねたマントの紋章には見覚えがあった。小川に牡鹿はツェルンの紋章。

 ツェルン家の少年がラインを刺したのだ。

 会場に悲鳴があがる。


「取り押さえろ、ヴァヴェルスモーク!!」


 ユーウェインが、血相を変えて従者に指示を出す。命令された以外にも何人もの騎士が少年を押さえつけ、少年は床に這い蹲りながら叫んだ。


「父上の仇だ、ライラック・ライン! 先に地獄へ行っていろ!!」


 まさか、かの英雄ともあろうものが、こんなナイフのひと刺しで逝く訳がない。そう信じたい一心でラインに駆け寄った。


「ライン卿、ライン卿、ライラック!」

「ああ、手を、触れないで……毒が、塗って……あるようです……」


 構わずにドレスの裾を引き裂いて、傷口に押し当てる。薄っぺらい生地はすぐに濡れきって、何の役にも立たなかった。


「ライラック、私は、どうしたらいい、ライラック……!」


 縋るように問う。

 傷つけることで人々を救ってきた私には、傷つけられた人の救い方が分からない。


「私は……既に騎士ではなかったのかも知れません」

「何を言う、貴方は、誰より善き騎士だ」

「民のためではなく……好いた人のために…………手を汚しました。英雄と呼ばれようと、我欲の末の殺人者であることは変わらない事実…………。こうなることも、また必然だったのやも」


 私の頬に、冷え始めた手のひらが触れる。

「アステリア、美しいアステリア。愛しい雷光の子。私を愛するはずだった分、この国の人々を愛していただけますか」


 私の返事も聞かないうちに、英雄は息を引き取った。


 会場では既に、この顛末を巡って言い争う声が出始めていた。剣を抜いた音もする。あちこちで北方貴族が取り押さえられ、抵抗している。

 十数年殺し合って、ようやく掴んだ平和は、今にも壊れてしまいそうだった。


 激昂した若い騎士が、下手人の少年の首を叩き斬ろうと刃を振り上げた。

 堪らず、私は騎士を怒鳴りつけた。


「いい加減にしろ、愚者共が!!!!」


 この期に及んで、まだ復讐を繰り返そうという快楽殺人者しかいないのか。騎士の使命を忘れた獣共。ここに私の槍があれば、全員串刺しにして焼き捨てていた。


 だが、そうはならない。

 ならないのだ。

 怪物の封印は英雄によって解かれた。

 私はただ、救うだけのモノである。


 時の流れすら止まったように静まり返った会場に、私の靴音だけが響いた。


──────────────────────


 そんな訳で、今にも暴動が起きそうだった舞踏会は、意外なことに英雄以外は誰も死ななかったんだぜ。


 それから、エルリンテンの主導により騎士たちの間で協議が行われ、三つの派閥で国を分けることになったのさ。

 北は、穏健派のアーシュライエン家がツェルン一族に代わって取りまとめ、東はライン家のユーウェインが若き新当主として統率した。

 そして西は、民衆たっての希望で、エルリンテンが治めることに!


 後の世の人々は、彼女エルリンテンのことをこう呼んだんだ。


 美しくも冷徹な『怪物の女王』ってね。

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