二人の女
五年ぶりにラインの領地まで帰ってくると、彼は既にここを発っていた。帝都で戦後の処理に追われているらしい。
ライラック・ラインは王になる。
これだけ身内で殺し合ったあとでは、どの有力者を皇帝の後釜に選んでも新たな火種になるだけだ。故に、新しき統率者は皇帝ではなく王になる。人々にそうあれと望まれて、職業として玉座につく存在になるのだ。戦乱を終えた英雄には、ぴったりの仕事ではないか。
私は帝都、いや、新しき王都に向かう前に、魔女の小屋へ寄って行くことにした。それなりの年月は経っているから、もう次の街へと流れていってしまったかと思っていたが、彼女はまだ森に暮らしていた。
少し老けたな、と思う。
しかし、以前と変わらぬ剽軽さで、魔女は私を出迎えた。
「お久しゅうございますね」
「ああ、もう他のところへ行ったかと思っていた」
私が率直にそう述べると、魔女はクスクス笑った。
「いいえ、私は最早どこにも行きません。終生この地で過ごすと決めましたもので」
またあの日と同じ茶を淹れてくれた魔女は、青い目を瞬かせて私を見つめた。
「案外、英雄が王になるものですね」
「そうだ、貴女の星見とやらも存外あてにならないと言わねばなるまいと思って訪ねたのだ」
「おや、酷い御仁」
そう言いつつも魔女はどこか嬉しそうに口元を隠す。それから私に、三ヶ月後の舞踏会については知っているかと尋ねてきた。
「舞踏会? 初めて聞いた」
「新しい王様を祝うパーティーだそうで。貴女が訪ねてきたら、これを渡してくれと頼まれておりました」
差し出されたのは招待状だった。封蝋にはラインの印章。しかし、私は受け取るのを躊躇ってしまう。魔女が怪訝そうにこちらを見ている。
「どうなさいましたか」
「舞踏会……舞踏会か……」
「もしや、ダンスは得意でない?」
「ダンスというか、そもそも着ていける服が一着もないし、言葉遣いもなってないし、見世物にしかならないというか…………」
愛する男の前で後ろ指さされるのは流石に恥が過ぎる。そう思うとどうしても手が伸びなかった。
「それなら、三ヶ月で準備すればよろしいだけでは?」
「準備…………?」
「私なら、ひと月もあればドレスの一着仕立てられましょう。宮廷式の言葉遣いも教えてさしあげられますし、武芸が得意な方なら舞踏会の足捌きくらいすぐに覚えられますとも」
舞踏会に来てくれなかったら、ライン卿は貴女にフラレたのだと思って、失意のあまり、他の素敵なご令嬢に誑かされてしまうやも、とまで煽られては、私も引き下がる訳にはいかなくなったのである。
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「いやっ…………これは……少し腕とか背中とか出し過ぎなのでは」
「何を仰る、夜会用のドレスなのですから、これくらいは」
本当に一月で完成させてきたドレスは、今まで鎧で全身固めていた私からすると、とんでもなく不安になるデザインだった。薄いし柔らかいし色々出てるし、これでは化け羊の頭突きだけで致命傷を喰らうに違いない。
「折角よく鍛えられて引き締まった身体をお持ちなんです、アピールしていきましょう」
「えええ…………」
というか、そもそもよくこんな高級そうな素材を持っていたものだと感心した。それを尋ねると、
「自分用に持っていたのですが、使い所もなくなってしまいまして」
等と言う。びっくりして、それを私なんかに使って良かったのかと重ねて問うと、彼女は少しだけ悲しそうな顔をした。
「私が着飾った姿を見せたい相手はもうどこにもいらっしゃいませんから。このボロ屋に仕舞われているよりは、
深い青に染められた生地。彼女の青い瞳によく似合っていたことだろう。どうして愛する人を失ったのかは分からないが、きっとそれも、この内乱のせいなのだ。そんな気がした。
私は一月かけてダンスのステップを覚え、一月かけて淑女らしい言葉遣いを覚え、一月かけて王都に向かうことにした。魔女は私に手取り足取り教えて、文句のつけようがない令嬢に仕上げてくれた。まるで魔法のようだった。
出発する前の晩、私はとうとう我慢出来なくなって、どうしてそんなに良くしてくれるのか聞いてしまった。この二ヶ月で随分仲良くなったが、それまでは多少言葉を交わしたくらいの関係だった。
なのに、どうして、と。
「私は、嬉しかったのです」
魔女は何でもない風に言った。
「私が愛した人は、何よりこの国を愛していました。だから私はそれを蔑ろにする騎士たちに失望していました。でも、貴女はその状況に憤ってくれた。民のために戦ってくれた。それがただ嬉しかった。そのお礼、と言えば良いのでしょうかね。ええ、本当にありがとう。貴女が守った少しの平和があったおかげで、私は
その時、私は彼女の澄んだ青い目を、どこかで見たことを思い出し、どこで見たのか気がついた。そう、ラインの屋敷で、子どもたちの中にいた。
「もしや、ユーウェインは貴女の……」
ユーウェインは貴女の子、そして、父親はかの皇帝なのではないか。そう言い切る前に、彼女は私の口を指で抑えた。
「おしゃべりが過ぎました。私はただの占星術師。孤独な女でございます」
女二人の秘密なのだ。私はそう直感した。これは後の話になるが、私はこの秘密を一切口外しなかった。成人した後のユーウェイン自身にさえ、決して打ち明けることはなかったのだと、記しておく。
私はこうして、ラインと再会するための準備を終えたのだった。
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