6 真実
少女の名は、ミューと言った。この年にして天才学者という肩書が最も似合うとは、一体どこの誰が想像できるだろうか。孤児として集落の外に捨てられていた彼女を、セトは「容姿端麗さ」を理由に研究施設へと誘拐し、醜い欲望の捌け口とした。そうして巨大なストレスに押しつぶされた彼女には、表情も、それを表出する感情も無い。心を固く閉ざした代わりに、ミューは生まれながらにして持ち合わせていた研究者気質な物事の捉え方と、生物学の才能を開花させた。
ㅤ彼女が様々な情報を知っているのも、あの荒廃した施療院にいたのも、セトがその才能を買い、自らの計画を完成させるための研究に利用したからだという。
「セトは、私たちを作られた存在と呼称した。それに、復活させたジャックをウォーカーに搭載し、人々を施療院の地下に監禁していた。君が知る『計画』に、この不可解な事象は果たして関連しているのか」
ㅤミューはいささか怯えて頷く。ここの雰囲気に気圧されたのか、セトの計画がえげつないものなのか。前者なら、あとで笑いとばすことも容易いのだが。
「まず、彼はヘイルの思想に基づいた支配体制を確立しようとしていて……、どっちが考えたかは分からないけど、とにかくジャックを人民統制に利用しようとしているのは確か。でもね、その、決定的に異なる点は二つ、セトはヘイルと違って、人々の脳を操ることで支配を創出しようとしてる。もうひとつは、地上に生きる、全人類の支配」
ㅤそんなこと、できるはずが無い。マインドコントロールに、人類の支配?ㅤまるで子供向けアニメの悪役。サージュもさすがに疑問を解消しきれないらしく、支離滅裂なことをさんざん質問している。そこへより懐疑的なクラージュの反論が加わり、机上の議論はいよいよ迷走する。ここまできたら、お話はひとまず頭を使いたがっている三人に任せて、一服しておこう。長らく品切れだった葉巻か、気軽なたばこか……。そこまで考えて、幼い子供が目と鼻の先にいることを思い出す。そうだ、いくら知性的な振る舞いをしているとはいえ、彼女はまだ子供だ。観念して、最寄りの兵士にコーヒーを淹れてもらう。
「ど、どうぞ、クイーン!」
ㅤ礼をしたにも関わらず、給仕した兵は気弱な草食動物のようにそそくさと立ち去る。これを見るともう色んなことに溜め息をつきたくなるが、コーヒーは負の感情を抱いたまま飲むものではない。ひんやりとした空気で肺を洗ってから、的確な表現が未だに出せないままでいるコクや苦味・酸味、香りを楽しむものだ。飲み込むと、鼻腔を取り巻く風味が鈍く発光しているようだ。クラージュから聞くところによると、人間が楽しむ風味というものは、食べ物から
いや、知ったところで、コーヒーがさらに美味しくなるということでもないのだが。
「僕たちが、人工知能だって言うのか……」
ㅤ絶望に沈んだ独り言を発した張本人は――サージュ。その後に言葉を続けようとする者は、誰もいない。コーヒーはまだ半分ほど残っているが、三人はあらかた話し終えていた。改めて、状況を整理して何が起きているかを伝えてもらう。
ㅤまず、地球は現在二〇四〇年代で、ちょうど私たちが火星にやってきたとされる時期と一致する。科学は発展する一方で、人工知能が人間に対して反乱を起こすシンギュラリティ思想が世界中を掻き乱した。そこで、人類の平和をより強固なものとするため、人間の複製体が人工知能とナノ再生医療技術を用いて開発された。パラレルと呼ばれるそれは、人工知能と人間を本質的には分離させながらも形式的に融合させる。人工知能に滅ぼされないためには、それが人間の知性以下でも以上でもいけないし、形而下の繋がりを保っていることが必要だ、学者たちはそう結論付けた。
ㅤそのパラレルのプロトタイプこそが私たちで、地上への導入の前段階として地下で「動作チェック」をされている。セトの言っていた「私たち=作られた存在」理論は、こういう寸法だった。
次にケビンを巡る問題は、まずアンダー全域を巻き込んだ大戦の後、僭王ヘイルが彼に目をつけたことから始まる。最初こそ共同統治の道を歩んでいた二人だが、平和のための四国統一の方法で次第に対立していく。ヘイルはケビンをジャックという
ㅤこの、一連のことの流れの背景に、セトの暗躍があったのだ。マインドコントロールの体系が、ひそかに埋め込まれている。
「セトがヘイルに従わざるを得なかった理由、それは脳を掌握するためのB2システム起動のトリガーがジャックの声紋にあるから」
「彼の声で、何かしらが起動する?」
「体内のナノマシン。次にそれが、脳に寄生したウイルスを操作する」
ㅤサージュは研究者としての性なのか、はたまた魅了されて敵ながらあっぱれと感じたか、とにかく今までのどんな会話よりも歯切れよく、次のように解説してくれた。
ㅤミューの言うセトの「B2システム」には、二段階あるという。ひとつはニューロンにのみ感染する人工の
「ニューロンに寄生するということは、ドミネーターは神経細胞単位で脳に影響を与えられるんだ。僕の憶測では、究極的には脳の破壊も可能なんじゃないかと思う」
「血流に乗るナノロボット……、脳を破壊。もしかして、例の全滅した集落の人々は!」
エヴォーカーとドミネーターを体内に保持しており、その状態でジャックの「声」を持つウォーカーに遭遇した、ということだろう。血小板の値が妙に高いと言っていたことを思い出し、エヴォーカーが血小板に擬態していたのではないかと指摘すると、ミューは首を縦に振って肯定している。彼女はこう続けた。
「多分、脳細胞のアポトーシスを引き起こしてる。エヴォーカーがニューロンへ送る信号は通常紫外線だけど、遠距離操作で近赤外線を放射するように設定すると、被射体のドミネーターは酵素を放出する。近赤外線が細胞内に照射されると、シトクロムCの異常活性が連鎖反応をおこして細胞を破壊する」
聖書の一節を読むが如く、ミューは二息でこの長い説明を言い切ってしまっていた。いや、実のところ、この現実は旧約聖書並みに神話的で、物語チックだ。そして創造主がセトというだけ。地下の監禁された人々は遠隔マインドコントロールの情報源とされていた。何の画像を見たとき、そしてどんなことをしたときに、どの脳神経領域が発火するか。それを調べるためだけに、彼らは死ぬまで拘束されるのだろう。けれど、それは
「僕たちは、思ったよりもまずい局面まで来ているんじゃないのか? そして、これを止められるのは、僕たちだけなんだ!」
サージュは興奮のあまり、電動車椅子の操作を誤り地面に転がる。どちらが大人なのだろう。
「ありがとう」
床から移乗してくれたクラージュに礼を言うが、返事はまるで聞こえない。サージュも、ミューも、皆がクラージュを見るが、彼の背中からは凍てつくような拒絶が見て取れた。
「俺は信じない」
「え?」
「いくら合理的で、いくらつぶさに理論の説明をしても、何も変わらない。何もできていないのと同じだ! それに、機械に感情が? 俺たちが人間だということは、歴然として明白。そうだろう。なあ、あんたは一体、何を根拠に俺たちが機械だと言い張る?」
あまり強く当たるな、相手はまだ幼い。頭の片隅ではそう思っていても、一方ではクラージュの言い分にも若干の共感を抱いており、結局何もすることが出来ずにいた。ミューは、しかし少しも怖気付くことなく、淡々と言い放つ。
「私は、私たちが作られた存在ではないと証明することが、できないから」
ㅤミューは今までに、どれほどの苦難を乗り越えてきただろう。もちろん、アンダーテイカーにいるならず者の中にも聞くに耐えない過去を持つ者は多くいる。が、一人前になれば誰しもが必ず世の不条理にもがき苦しむもの。ミューは、彼らと比べれば年端もいかない、いたいけな娘、まだまだ楽しいことしか知らなくてもいい……、いや、そうでなくてはならないのだ。皆それをわかっていた。思わず怒鳴ったクラージュさえ、ミューの無抵抗さがまき散らす「すごみ」に対峙し、何も言い返せないでいる。この場に彼女を責めるものはおろか、慰める権利のあるものもいるはずがない。
すべてが無の中で進行する。息苦しいほどの重くよどんだ空気に耐え切れず、コーヒーを口へと運ぶ。まずい。さっきまでこんなにも、苦いだけの汁を飲んでいたのか。すっかり冷めてしまった黒い液体を、また机に置く。コトンと、木製の机とカップとが接触する音が合図になったのか、一人、また一人とこの場から去りゆく。もちろんクラージュも、サージュも。ミューと私の二人きりになった頃には、コーヒーカップの底が見えていた。
「難しいことはさておき、要はセトを倒せばいいんだな? やってやるさ」
ㅤ私には、慰める権利はなくても、義務がある。権利は行使者本人だけに向かう力。義務は、第三者にも向けられる。だからミューが何も言わなかったとしても無意味ではない。義務に従い、声をかけたという事実そのものが重要だった。それに、今の発言は、自分に向けての言葉でもあるのだから。
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