《見習いの半亜人》:ギルドマスター

 「あの婆さん、八割から譲れないなんて……許さないニャ!」


怒りに身を戦慄かせているシエラを横目で捉えながら、内心で溜息をつく。

危うく、都市警備隊が呼ばれる寸前の騒動にまで発展した値下げ交渉は店側が八割負けるという、こちらにとって破格の条件で幕を閉じだ。

しかし、何かに納得しないのか、シエラの怒りは収まらないままだ。

ティルはシエラの怒る姿に戸惑いはしたものの、次第に可愛らしく思えてきてしまい、両頬を膨らませている姿はまるでリスのようで、愛嬌があった。


「あ、ティル君。今、とても失礼な事を考えていたニャ」


シエラの鋭い眼光に射抜かれ、反射で謝りそうになるが、ティルが毅然であると考えている態度で答える。


「いえ、そんな事考えてませんよ。それより、お店はどちらなんですか。中央広場から歩き始めて、かなり時間が経ちますけど……」


これ以上歩き続けると外周に出てしまうため、治安の悪いところへシエラを連れて行きたくないというティルの思いがそこにはあった。


「もうすぐニャ。あそこの角を曲がったら、お店があるのニャ」


道を進み、角を曲がるとそこに店があった。


「『ディレークタ』ですか」

「そう、『ディレークタ』。遠い国の言葉で、美味しいっていう意味のお店だよ。扉のノブは葉っぱの後ろに隠れてるニャ」


店に入るために何故、隠されたドアノブを探せばならないのか分からないが、ティルはドアを押して店の中に入る。


「いらっしゃい」


驚いた、それがティルの率直な感想だ。


外の作りはとても簡素なもので、店兼家の建物の周囲はツタ植物が覆っており、外から見ただけでは手入れが行き届いてないように見える。

しかし、ツタも簡素な作りも、ここの店主が考えた物に違いないとティルは店に入った瞬間、確信した。


よくワックス掛けされた床は間接照明によって輝いており、窓から陽光や街灯の光が入ってこないため、落ち着く光量に保たれている。

程よく間隔が空けられた丸テーブルの周りには、一つひとつが手作りであろう様々な種類の椅子が並べられている。


壁にはダーツ、空いたワインボトル、観葉植物など棚にが飾られており、天井からは水色の空き瓶や貝殻が麻布に入れられ吊るされている。

窓辺には色々な種類の花々が飾られ、どれも美しく咲き誇っている。

客席から見える作りになっている厨房にはピザ窯の他に魔晶石を使う焜炉や直接火を焚べる竈がある。

客は大勢入っているものの、酒に酔って意味の分からない事を叫んでいる泥酔者や大声で踊ったり、喧嘩をしている者がいない、とても静かな空間だった。


「シエラ、それにベイリーさんね。いらっしゃい」


落ち着いた雰囲気の猫人族が厨房からエプロン姿で出てくる。

シエラに似た紅緋色の長髪を後ろで纏めている。


「お姉ちゃん、今日はありがとニャ!」


シエラがその姉の胸に飛び込んで抱きつく。


「あ、あの…ティル・ベイリーです」


何を言えばよいのか分からず、相手が自分の名前を知っているが自己紹介をする。


「私はソーイ・イリル。このヤンチャな妹の姉でここの店の料理を担当しているのよ。今日は妹が突然呼んでごめんなさいね、サービスするから楽しんで。それと、シエラ…」


そう言うとソーイが抱きつているシエラを静かに、且つ容赦なく引き剥がす。


「みっともない姿を人前で晒すのはやめなさい。女の子らしく振る舞うことも大切よ」

「はいニャ〜」

「……」


流石の姉であったとしても、シエラの語尾を矯正するのが諦めているのか小さな溜息と苦笑いにとどまっている。

だが次の瞬間には笑みを浮かべ、ティルを二階へと促す。


「今日は大切なお話があると聞いているから、二階の個室を使ってね。料理が決まったら呼び鈴を鳴らしてね」


床へ降ろされたシエラの背中を押し、二階へと続く階段を上る。

階段の片側には湖畔が描かれている小さなタペストリーが吊るされており、ソーイの品の良さが伺い知れる。

品という言葉とかけ離れたシエラがようやく自立歩行に移り、ティルに自慢気に話し出す。


「私のお姉ちゃんはオットリそうに見えるけど、すごく実行力がある人ニャ。このお店を立ち上げる時だって、両親の大反対を押し切ってたニャ。お姉ちゃんの長年の夢はマグノ・ヴィアにお店を構えることだけど、必ずできるって私は信じてるニャ……ここが個室ニャ」


二体の天使が彫られている扉を開けると、そこは幻想的な部屋だった。

屋根を突き抜けるようにしてある球体状のガラス張り天井からは星々が見え、壁に立てられている燭台の上で揺れている蝋燭の炎が優しく円形の部屋を照らしている。

奥はバルコニーとなっており、そこには望遠鏡があった。

四脚の椅子に囲われた、重厚な木製のテーブルの上にも蝋燭があり、蝋受けにはロウが溜まっている。


壁際にある小さな卓の上には難解な文字が記された厚い本が積み重ねられており、その横の卓には所々空白のある地図やコンパス、書き途中の日記が置かれている。


「な、なんか……冒険をしているような気分になりますね」


航海中の船にいる気分になる。

一度も旅に出たことないティルであったが、冒険者はこんな家で暮らしていそうという幻想をいだきながら気づく。


「ティル君は毎日冒険しているニャ。冒険しているような気分っておかしな話ニャ」


クスクスと笑いながらシエラがティルの言った矛盾点を指す。

ティルは冒険者だ。

毎日、要塞都市の外へ出てモンスターを討伐し、それを生業としている人間だ。

だが、本当にそうだろうか。

冒険しているだろうか。


「改めて冒険の事を考えると違和感があるんですよね。僕がしているのは冒険じゃなくて、モンスターをひたすら討伐することじゃないですか」

「んー、ティル君の悩みは殆どの冒険者がぶち当たる事ニャ。一部の高レベルの人達だけが未開拓地域へ進入し冒険してるだけで、低レベルの冒険者は傭兵や軍人と変わらないってニャ。でも、考えてみて欲しいニャ。毎日、モンスターと命の取引をしているだけでも、こんなに大変なんだニャ。死んじゃう人だって沢山いるニャ。それに加えて未開拓な地域での戦闘、帰還できるか分からない状況、支援がない環境、生存率は著しく低いニャ」


シエラが外を眺め、窓に手を伸ばす。

その先には銀色に輝く月を掲げた冒険者組合があった。


「本当の冒険は強い人達に任せて、君は堅実に生きるのがベストニャ!」


くるりと振り返り、にっこりと微笑むシエラを見て、思わず頬を染めてしまうティル。だが、部屋が暗かったお陰で気づかれなかったようだ。

何か答えねば不自然なのだが、変な事を言わないように用意されている椅子に座り待ち人を待つ事にする。


「確か……なんていう名前のギルドの方が来られるんでしたっけ」

「《エーデルシュタイン》っていうギルドニャ。構成人数はギルドマスターとメンバーの二人だけど、ギルマスの方は優秀な冒険者だから何も心配することはないニャ」

「むしろ、どういうギルドが心配なんですか」


シエラがティルの斜め前の椅子に腰掛け、頬杖をつく。


「最近は合法スレスレ、もしくは非合法なギルドが増えてきているニャ。勿論、組合でも審査はしているけど、法の裏をつくようなギルドには対処できないのニャ。私も何度か審査には立ち」

「た、たとえばどういうギルドが」


ティルにとってギルドはどこか神聖なものと言って良い程にまで憧れを抱いている。

兄弟の契を交わした仲間と共に、いついかなる時でもお互いを助ける、云わば共存共栄の関係で落ちる時もまた同じといった印象だ。


「ギルドは毎月、組合に対してその規模に見合ったお金を登録料として支払わなくちゃいけないニャ。そのためには、ギルドメンバーの稼ぎから少しずつ集めて払うのが普通ニャ。その制度を悪用してメンバーからお金を必要以上に集めて幹部たちだけ儲けようとしているギルドがあるニャ。街に来たばかりの新人エルフやドワーフが被害にあっているのが、この一ヶ月で何件もあって、ギルドも頭を抱えているニャ」

「そんなギルド、すぐに辞めちゃえば良いじゃないです」


無理して同じギルドに留まり続ける意味など無い。


「実はギルドの加入に関してはルールがあるニャ。ギルドとしても優秀な人材は手放したくないし、組合としても収入が減るのを防ぐためにギルドを脱退するときはペナルティがあるニャ」

「ペ、ペナルティですか」


ティルにとっては初耳なのだが、もしかしたら一般常識なのかもしれない。


「ギルドから脱退するにはギルドと組合、両方の承認が必要ニャ。もし、組合が脱退するほうが冒険者のためだっていう判断を下した場合も脱退できるけど、かなり厳しい審査になるニャ。脱退できたとしても、その後一年間はどのギルドにも加入できなくなるニャ。ティル君は始めからソロだから関係ないかもしれないけど、普通の冒険者にとってソロでモンスターを狩るのは命取りニャ」


ギルドから脱退後の一年間は他のギルドに所属できない。

この規則は冒険者がギルドを転々として、それぞれのギルドが収集した情報を得られないようにするために作られた。


しかし、その原理を逆手に取り、駆け出しを集めては脅し口調で金を奪い取るギルドが近年、要塞都市の中で増えており、組合や議会は頭を抱えている。

再三にわたり注意するようにと組合は通達しているのだが、ギルドを断られ続けた駆け出しが疑いつつも加入することが多く、これといった対策がなされていないのが現状である。


「勿論、《エーデルシュタイン》はそんな悪い事を企むギルドじゃないニャ。ギルマスと私は昔からの付き合いだから、安心して欲しいニャ」


慌ててシエラが付け加えたところで、扉の外から女の人の笑い声が聞こえる。

それが徐々に近づいてきている事から、《エーデルシュタイン》のギルドマスターが店に来たのであろう。

緊張と期待で高ぶる鼓動を抑えるようにグラスにつがれた水を飲み干すと、席から立ちあがり歓迎する準備を整えた。

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