《駆け出しの半亜人》:アレイア
「ちょっと…ちょっと待ちなさいよ、そこのクオ……パン屋にいたやつ!」
ティルは後ろから声をかけられ、慌てて振り返ってみるとパン屋にいたエルフが紙袋を持ち、肩で息をしながら立っていた。
白魚のように透き通った肌に汗が浮かんでいる。どうやら全力疾走してきたようだ。
「あなた、見かけによらず、足速いのね」
走ってはいないが、考え事をしているうちに早歩きになっていたようだ。
それを裏付けるように、すでにパン屋から家までの行程を半分ほど消化している。
「ご、ごめんなさい」
釣り上がった眉にアーモン型の瞳。
苛立っているエルフの少女の態度にティルは反射的に頭を下げる。
「頼まれて、これを持ってきたの」
エルフが右手に持っていた紙袋をティルの方へと突き出した所で、ティルは自分が買ったものを忘れたことを思い出した。
「ご、ご、ごめんなさい。わざわざ。ありがとうございます」
紙袋を受け取り中身を確認するが、パンは一切崩れておらず、注意しながら運んできたことが伺い知れる。
治安が悪いここで失くしたものを見つけることはまずない。
「それじゃ。私は帰るから」
次の言葉を探しているうちに痺れを切らしたのか、あるいは面倒になったのか、エルフの少女が踵返して立ち去ろうとする。
「あの! 名前!」
どうして引き止めたのか、ティル自身も理解できなかった。
純血を何よりも大切にするエルフがクオーターであるティルを嫌悪するのは理解できたとしても、走ってパンを届けてくれたのか理解できなかった。
誰かに言われたのかもしれない。
沈黙が破られたのはティルが引き止めてからゆうに三十秒が経過してからだった。
「名乗らせる前に名乗りなさいよ」
冷たいが怒りを含んでいない声音でエルフが答える。
胸を安堵で満たし、ティルはなんとか笑顔を浮かべて名乗った。
「ティル。ティル・ベイリー」
「私はアレイア・イグレシアス」
アレイアが会話を続けていく。
「初対面でこんな事を聞くもんじゃないと思うんだけど。あなた、クオーターでしょ……そんな警戒しないでくれる。私はクオーターに対して特段何も思ってないから」
たじろいだティルを落ち着かせるように、アレイアが手のひらを下に向け、それを上下させる。
悪意はないようだが敢えてクオーターという話題を出してきたアレイアの真意を計りかねていた。
「……信じられないかもしれないけど、僕の両親は二人ともヒューマンで、エルフやドワーフの血は混じってないはずなんだ。それなのに、ここに来てみたら周りからクオータークオーターって言われ続けてて」
「そりゃそうね、あなた匂うもの」
「臭う?」
ティルが目を白黒させる。
「魔法のね。エルフは魔法のオーラっていうのを感覚的に感じ取れるの。魔力の匂いと説明したら一番分かりやすいでしょ。あなたからはエルフの魔法、そしてドワーフの魔法の匂いがする。それを繋いでいる微弱だけどヒューマンの匂いもするわね」
魔法の匂い。
今まで聞いたことのない話だが、特段エルフに詳しくないティルにそれが正しいのか正しくないのか判断する基準がないため、今はそれを事実と認めるしか方法はない。
「匂いのことはわかりました。だったら尚更、イグレシアスさんは何でクオーターの僕を嫌わないんですか」
「だって、意味分からないと思わない」
即答。
「え」
「確かに私達エルフとドワーフは大昔戦争をしていた。でも戦後生まれた世代、特に私のようにドワーフと一緒に育ったエルフは殆ど戦争のことなんて気にしてない。一部の過激な人たちに扇動されて、意味のない攻撃的な事を行っているのは事実だけど、ドワーフ・ハーフ・クオーターのことを種族として嫌いになる理由はないと思わない」
「そ、それはイグレシアスさんやイグレシアスさんのご家族が先進的な考えを持っているからではないのですか。僕は行く所行くところで白い目を向けられ、クオーターという理由でパーティーにすら入れてもらえず…」
「ストップ!」
突然、アレイアが声を上げティルの発言を強引に止める。
「君はあれだ、卑屈なんだね。周りが見えてないんだと思う」
「なっ!」
先程まで、あれほどティルを庇っていたにも関わらず、次はティルを卑屈と言う。
流石のティルも頭に血が上り、怒りに支配されいく。
「イグレシアスさんは、そういう目で見られてないから気づかないだけで、都市民の殆どがクオーターっていう、あなたの言ったとおり意味の分からない理由で……」
「でも、本当にそうかな。君は都市に住んでいる人たちにクオーターについてどう思うか聞いて回ったことがあるの。それもしないで、断定するのは良くないと思うよ」
ティルは自分が抑えの効かない状態になりつつある事を悟り、残りの理性を総動員して頭を下げる。
「紙袋を届けて下さい、ありがとうございます……それでは」
そして、ティルはアレイアの顔を見ることなく、走り去っていった。
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