それでも半亜人は英雄を目指す
きぃつね
プロローグ
町の外れにある教会。そこはいつも、大勢の子供たちで賑わっていた。
毎朝、シスターが短いお祈りの後、神話や伝説からお伽噺を語るのが慣習となっている。文字の読めない子供たちはそれを聞くために町中から集まってきているのだ。
町民からは教会のシスターがそんな俗世の話しを聞かせるなんて、という非難を受けることもあるが、シスターがこの時間を欠かしたことはない。
「シスター、今日はどんなお話を聞かせてくれるの!」
活発そうな男の子がシスターの手を引き、早く話してほしそうにその手を振った。
シスターは慈愛に溢れた笑みを変わらず浮かべている。
たとえその修道服が汚れたり破れたりしても声を荒げることはないだろう、そんな印象を与える表情だ。
「今日は、何にしようかしら。大昔にいた、英雄様の物語なんてどうかしら」
子供たちから賛成の声があがる。
シスターが子供たちに半円に座るように告げ、子供たちの反対側に座り物語を紡ぎ始める。
「まだ大空に竜が舞っていた大昔、年を取られた英雄様が神様へお祈りしました。『私の亡き後、誰がこの世界を救えましょうか。私の代わりとなる存在を与えて下さい』。すると、英雄様の祈りが聞き届けられたのか、神様からの使者と名乗る人が現れたのです。その方は英雄様と約束し、世界を悪から守ると誓われました」
声音と表情を変化させ、抑揚をつけて語るシスターに子供たちは引き込まれる。
子供たちの眼の中にあるのは見慣れた小さな教会や芝生の禿げた庭ではなく、魑魅魍魎が闊歩する魔の世界と輝かしい鎧に身を飾った英雄の姿が映っていた。
「でも残念な事に、英雄様と誓約を立てたのは神様からの使いに扮した悪魔だったのです! 英雄様が天へ旅立った後、世界は混沌に包まれてしまいました。悪い人々が世界を支配し、世界は悲しみと絶望の暗闇に満たされてしまったのでした」
子供たちは息を呑み、物語の続きを静かに待つ。
「そんな暗い時代を終わらせたのが、とある冒険者様たちです。勇敢に悪魔と戦い、それを滅ぼして平和を手に入れられたのです。その瞬間、世界中が求めていた新しい英雄が誕生しました。その方々のお陰で今の世界があって、私達は平和に暮らせているんですよ」
シスターの話に聞き入っていた子供たちは物語の余韻を噛みしめるように、子供らしからぬ表情で過ごしていたのも束の間、矢継ぎ早に質問を繰り広げる。
「シスター! 英雄様たちは今どこにいるの?」
「悪い悪魔はもういないのかな、私怖いよ」
「僕も英雄様たちみたいに強くなりたい!」
すると、教会から神父の服を着たファーザーが出て来た。両手に携えた木の籠には焼き菓子がぎっちりと詰まっている。
ファーザーが甘いお菓子を子供たちに配り、その日はお開きとなるのがお約束だ。
だが今日は、ファーザーだけではなく後ろに五人の男女が付き添っていた。
様々な鎧やローブに身を包んでいる五人だ。騎士のように洗練されているようで山賊のように野性的な雰囲気を醸し出している。
このような国の外れにある村ではまず見かけない恰好である。
「皆様、わざわざ辺境にあるこんな小さい村までご足労いただき、本当にありがとうございます。なんとお礼を申し上げればいいのか分かりません」
ファーザーが頭髪の薄くなった頭を下げ、五人組に感謝を伝えた。
すると、一人の痩躯、それでいてしなやかな筋肉の男が手を大袈裟に振る。
「いえいえ、これは私達の仕事ですし。お呼びとあらば、何時でもどこへでも駆けつけますよ。それに報奨金も頂くのですから、こちらこそ感謝しています」
それに同調するかのように他の四人も頭を軽く下げた。
神父や司祭は神の伝言者として村民だけではなく、統治者にすら敬われている存在である。その一人であるファーザーに対して横柄と言えるような態度をとる五人組だが、誰もそれを咎めることができなかった。
ありがとうございます、と何度も頭を下げ、感謝を伝えるファーザー。
少しだけ困ったような笑みを浮かべる男に対して、最初は警戒心を抱いていた子供たちであったが、その柔和な態度に打ち解けて、痩躯な男に次々と駆け寄っていく。
「お兄さん! 冒険者様だよね」
最初に駆けつけた少年が男のライトアーマーに触れながら、満面の笑顔で聞いた。
ここらでも稀に見かける衛兵は革のアーマーを着用している。だが、一目見ただけでも男が身に着けているライトアーマーが革製や鉄製のものではなく、少年の知らない素材で作られていることが分かる。仄かに輝いているのも目の錯覚ではないだろう。
「そうだよ。よく僕たちが冒険者だって分かったね」
「うん! なんかそうだと思った!」
「そうかそうか」
男が少年の頭を撫でながら、中性的な声で優しく答える。
それを機に、少年少女たちが我先にと五人組の元へ早足で近寄っていく。
全身鎧を着け、大剣を背負っている男にはもうすぐ青年へとなりそうな少年たちが。
藍色のローブを身に纏い、不思議な形をした杖を持っている女には少女たちが。
身体に似合わないサイズの大戦斧を掲げている女には幼い少女たちが。
もう一人、先程までいた小刀を腰に携えている女はいつの間にかどこかへ消えていた。
お話から飛び出してきたような冒険者たちに心躍り無邪気そうにその装備を眺めたり触れたりしている子供たちの中に一人だけ、好奇心とは別な感情を宿らせた男の子がいた。シスターの傍から一歩も離れないようにスカートの裾にしがみついている。
そんな男の子の姿を見つけたのか、痩躯な男が手招きした。
少しずつ歩み寄る少年を見て男は笑みを浮かべる。
「どうしたんだい。何かお話したいことでもあるのかな」
「あ、あの……僕は冒険者になりたいんだけど。その、なれるかな」
まだ幼い、十歳にも満たない男の子が痩躯な男の袖を握りしめながら問う。
瞳が不安で揺れている。
「冒険者はモンスターをやっつけなくちゃいけない。戦うからケガもするし死んでしまうこともある。君はモンスターが怖くないのかい」
男が片膝をつき、男の子の目線へ合わせ、両手を握る。
答えを躊躇っているのか、男の子はなかなか答えようとしない。
「怖いかい」
「……怖い」
男の子が絞り出すように小さな声で答える。
だが、それを聞いていた数人の子供たちが悪意のない笑い声を上げる。
男の子は笑われてしまったことが恥ずかしかったのか、顔を俯けてしまった。
またもや、困った表情を浮かべた男は、口を男の子の耳へ近づけ、耳打ちする。
「怖いことは良いことだ。僕だってモンスターのことは怖いよ」
それを聞いた男の子は信じられないという表情をし、顔を上げる。
腰に携えている緋色の直剣と幾つもの傷跡が残るライトアーマー。人々が憧れ、尊敬する冒険者がモンスターを恐れるなんて夢にも思えない。そんな表情だ。
「モンスターが怖くない人は冒険者には向いていない。だけど、君のようにモンスターをちゃんと怖いと思える人こそ、冒険者に向いているんだ」
忘れないでね、と男に言われた男の子は一つ、大きく頷いた。
「ほら、あなたたち、冒険者様のお邪魔になっているでしょう。ファーザーからお菓子を貰って、お家へ帰りなさい」
両手を腰に当て、怖い顔をしているシスターを見て、子供たちは文句一つ言わずに大人しく言うことを聞く。
男の子もすぐに男から離れるとお菓子を貰うために並んでいる列に加わる。
男は名残惜しそうに宙に手を彷徨わせていたが、手を一つ叩くと立ち上がった。
「では、ファーザー。私達はご依頼通りにことを進めます」
「よろしくお願いします。皆様の上に神のご加護があらんことを」
「ありがとうございます。それにしても……」
「どうかなされましたか。何か気になることでもありましたか」
「未来ある子供たちが平和に暮らしている姿がとても尊く思えた、それだけです。遠くの国では魔物が氾濫し多くの村々がその毒牙にかけられたと聞いています。平穏な日常すら与えられない人々のことを考えると胸が痛みます」
「しかし、世界にある小さな平穏が守られているのも事実。そして、それはあなたのような冒険者が身を粉にして働いておられるから、と言ったらあなたはまたご謙遜されてしまうのでしょうな」
「……これは一本取られましたね」
「人々に安寧を与える働きも十分に尊いもの。皆様方のご活躍をお祈り申し上げます」
再び頭を下げるファーザーのことを半ば諦めつつ、四人と姿を消した一人は町の外へ向けて歩き出した。
その後ろ姿を眺めながら焼き菓子を頬張っていた男の子は意を決した表情で指先の砂糖を舐めとると、シスターに向き直る。
「シスター、シスター」
冒険者。
どんな強敵を前にしても決して屈さず、誇りを失わない人たち。
「どうしたの、ティル。あら、お鼻とお口にもお砂糖がついていますよ」
冒険者。
それは弱き者に手を差し伸べ、奮い立たせる人たち。
「あのね、あのね!」
ティルと呼ばれた男の子は、輝かしい笑みを浮かべてシスターに告げる。
「僕、冒険者になる!」
お伽噺の英雄でさえ、最初は誰もが幼子だった。
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