神泉(責任)
午後に再び倉庫作業をして、一段落するとミコさんから誘われて、神社の中の階段から降りていく。
静かで俺たち以外誰もいない。
ただ長い階段を下りていく。
ランタンをミコさんが掲げて、明かりのない階段を一歩一歩進んでいく。
村よりも深く潜ったころ、ミコさんが「ユグドラシルは強い魔力の塊です。他の木と違って、これは植物魔法を基礎に作られたもの」と言った。
「突然何を言っているんですか」
「今から行く場所の説明です。ユグドラシルは普通の木ではないのです。だからユグドラシルには特殊な効能があります」
「どういう事なんだ?」
「すぐにわかりますよ。ほら、着きました」
ミコさんが言うと同時に、階段が終わっていた。
でもその向こう側は暗闇で全く見えない。
ミコさんは近くの壁にある何らかの装置を弄ると、小さな明かりがついた。
光の魔法を使って、電気のようにしているのだろうか。
そしてそこから少し前に進むと、大きな池に出た。
鍾乳洞のように見えるが違う。この部屋の材質は石ではなかった。
壁や天井が木の年輪のようなものが見えている。
これはユグドラシルの中のようだ。
「ここは?」
隣に立つミコさんに質問しながら、水の中を覗く。
水の透明度がかなり高い。
深いところまで見えている。
「ユグドラシルの神泉です。ユグドラシルの中に雨水や根から吸収した水などが、ここに溜まっているのです」
「ふぅん、何かおめでたい水なのか?」
少しだけ手ですくって、掌で作った器に溜まった水を見る。
とても透明度が高い事以外は普通の水に見える。
ユグドラシルの中にあるってことは、縁起がいい感じなのだろうか?
「綺麗でしょう」とミコさんの声に、「はい。とてもきれいな場所です」と素直に答えた。
そしてしゅるしゅると衣擦れの音がする。
「えっと、ミコさん?」
「はい。何でしょう」
いたって普通の声色で返事が返ってきた。
ポスッと布が落ちる音が聞こえる。
「服脱いでますか?」
「脱いでますよ」
だから何故普通に返答してくるんだ。
俺がおかしいのか。
「だって、水浴びに来たんですから、当然でしょう。新川さんも脱いでください。倉庫作業で汚れているでしょう」
「いや、そうですけど、別にお風呂とかありますよね。わざわざ、ここにくる必要はありますか?」
「体験した方が良いと思います。この神泉には、少し効能があるんですよ」
ざぱぁ、ざばざば。
ミコさんが水の中に入っていく音が聞こえる。
「ふぅ……」
ミコさんが吐息を漏らす。
ばしゃばしゃと水の音がする。
「足だけつける感じでも大丈夫ですよ」
そういわれて、近くに置かれている椅子を見つけて、裸足になって座り水に足をつけた。
水は少し冷たい。
少し身体がほてっていたので冷えて、気持ちがいい。
そのおかげか分からないが、気分がすっきりしたような気がする。
「神泉は心の淀みを洗い流してくれるんですよ」
「心の淀み?」
なんだ、その曖昧な効能は。
「そうです。心の淀み……、例えばうまくいかない苛立ちや嫉妬心です、そういったものを、このユグドラシルからもたらされる水はぬぐい落してくれるのです」
ぱしゃぱしゃとミコさんが水をかき回す音が聞こえる。
「他にも、憎しみとか悲しみとか……」
ぼそりとミコさんはつぶやく。
それを聞き取ったが、どう声を掛けたらいいのか迷い、結果無言になった。
「遠くに湖が見えたでしょう。あれもこの水がたまったものなので、少し薄まってはいますが、入ればちゃんと効能はあるんですよ。エルフは1年に1度は、水浴びをして心の淀みを洗い流しているのです」
「なぜ、そんな事をするんですか。確かに効能が本当なら、犯罪とかがなくなりそうですけど……」
人間にもエルフにも感情はあるはず。
数日だけど確かに感情は変わらずあることは分かっている。
悪い感情とはいえ、そういった感情を道具を使って欠落させるのは、どこか恐ろしく感じる。
「エルフの在り方……いえ、種族特有の問題です。ただこのように定期的に心の淀みを洗い流さないと、私たちは生きていけないと思います。すぐにできる気分転換と思ってください。ただ新川さんには、少し私たちの事を知ってほしいと思ったんです」
水の波紋が俺の足元まで広がってくる。
ミコさんがどういう恰好をしているかは、見ないようにしているが水を通じて何かが伝わってくるような気がする。
「新川さん、少しだけ私の愚痴に付き合ってくれませんか。出会って、すぐの人にこんなことを言ってしまうのは、いけないことだって分かっているんですけど……」
「どうぞ、なんでも」
短く先を促した。
少しの間があった。
水の波紋が、何度も俺の足にぶつかる。
そして足を少し動かすと、水の波紋が足を中心に円状に広がっていった。
ミコさんから伸びてくる波紋とぶつかり、不可解な形を作る。
「私は、この里が……好きではないのです」
思いがけない内容だった。
てっきりミコさんは里が好きなんだと思っていた。
昨日の夜も、里を好きだと言っていた。
それとも特定の誰かが嫌いだからとか?
「私のこの力、植物魔法や、古代文字の知識は、自分が望んだものではないのです」
「何かあったのか?」
「これ以上は言えません。外に出してはいけない、絶対の秘密です。ただ私は後天的にこの力を手に入れました。それは世界を存続させるためには必要で、光栄なことです。しかしこれは私一人ではどうにもできない巨大で重い足枷に感じるのです」
「その力を手に入れたことを後悔しているのか」
沈黙が下りた。
ミコさんの小さな吐息が聞こえてくる。
それは苦し気だ。
「もしも」とミコさんが言った。
俺は耳を澄まして、ミコさんの返答を待つ。
「もしも、後悔していると言えば、あなたは私を怒りますか?心が弱い、責任感がないと」
「そんな事を誰かが言ったのか?」
「いいえ。ガリアもカエデも言わないでしょう。しかし私はそう思いません。これを手に入れた以上、役目を果たすべきだと。アリスと同じように、自分から危険へと飛び込み、そして皆を助けなければならないのだと」
ミコさんの話を聞いて、昨日の話とほとんど同じだという事に気付いていた。
きっとミコさんの根幹にあったのは、この愚痴なのだろう。
それが昨日の戦いのミスで、表に出てしまった。
だったら、俺がやることは一つだ。
水浴びをしているミコさんのいる方へと手を伸ばした。
「これは……その……」とミコさんの戸惑う声が聞こえる。
気恥ずかしいけど、言ってあげないといけない。
「ミコさんが、困っている時に手を握って助ると言っただろう」
「そうでしたね……」
ちゃぷ、じゃばじゃば。
水の中を歩いて、俺の傍に近付いてくる。
「本当に優しい人ですね」
ぎゅっと手が握られた。
「本当に、本当に……」とミコさんが繰り返し、手が少し冷たいものに包まれる。
ミコさんの手は水に入っていたせいで、冷たく冷えていたが、握っているうちに暖かさが戻って来た。
「後悔するな、なんて俺は責任もないただの一般人だから言えないよ。ミコさんはこれまでその重さに耐えてきたんだから。そしてこれからも続いていくはずだ。だからいつでも助けを求めてくれ。手はいつだって貸してあげられる」
俺らしくもないようなカッコつけた言い方になってしまったような気がする。
「少しだけ手をつないだままで良いですか?」
「もちろん。それが約束だよ」
「ありがとうございます。愚痴はもうやめましょう。もっと他の事を話しましょう。せっかくの……二人きりですし……」
変な言い回しをミコさんが使う。
「そ、そうだな……。えっと、じゃあ、ダークナイト・グランドの対抗策とか、技の発動条件とか……痛っ!」
何故か、ミコさんに手の甲をつねられる。
「そういう話ではないでしょう。まったく、仕方のない人ですね。私もその件については、他人ごとではないので、話しましょうか。一番の戦力のアリスがいないのは、残念ですが」
ミコさんが何かぶつぶつと言っている。
何を言いたいのか良く分からないが、とりあえず無言になって変な空気になることは回避できたようだ。
それから水に足をつけながら、昨日あまりできなかったダークナイト・グランド戦の分析をミコさんと二人きりで行ったのだった。
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