私が仕返し・復讐をしない理由
今まで「私はこんなにひどい目にあったんだ!」とわめき立ててきた私だが、実際、私をイヤな目に合わせた相手に復讐したいかと思っているか、と言われるとそうでもない。
しかし、世の中を見ていると、自分をひどい目に遭わせたやつには天の裁きを的な考え方の人が結構多いように見える。こういうのは価値観の問題なので何が正解なのかとかはないし、別にそういう人に対して復讐は無意味だとかいうつもりも毛頭ない。
それでもなぜ私は復讐・仕返しをしないのかについて考えてみた。
①結局、「被害に遭ったことで失ったもの」を復讐によって取り返すことができない
これに尽きるかもしれない。
例えば、最愛の妻や愛する我が子を殺されたとして復讐に走る気持ちは普通に理解できるのだが、例えば犯人を見つけ出して殺したところで死んでしまった妻や子供自体は生き返らず、すべてを被害にあう前の状態に戻すことはできないのである。
(逆に例えば100万円を盗まれてしまって、盗んだ相手から同額のお金を取り返そう、というのならまだ意味があるかな、とも思える。完全にではないが、被害が起こる前と同じ状態にできるからである)
②復讐によって相手を反省させることができない場合が多い
何か嫌なことをされたら「なぜこんなことをしたんだ?」と思うのは当然だし、それをしてきた相手に「お前は悪いことをした」と理解させ、反省させたいと思う気持ちは100%理解できるのだが、残念ながらそもそも他人が嫌な気分になることをするような人(という言い方がよろしくないかもしれない)が多く「反省」という思考回路を全く持ち合わせていなかったり、たとえ心のどこかでは自分が悪いと分かっていても意地でもそれが認められない場合があるように思う。
そしてここが次のポイントにもつながる。
③「復讐の応酬」
上記を踏まえて、こちらが下手に復讐や仕返しをしたりすると、相手がそれを口実にさらにこちらへ「復讐」してくる場合があるのである(逆ギレによる復讐への復讐)。
これが一番厄介で、最終的に何度も復讐の応酬を続けると、当初よりも被害が拡大することすらある(=よくいう「復讐の連鎖」)。
私は最初一度被害にあっているだけで疲弊しているので、相手をさらにキレさせて更にことを面倒にしたくない。
④自力救済は過剰になりがち
これも問題なのだが、被害者側というのは感情的になって相手をひたすらに責めまくり、あることないこと吹聴しがちなのだが、客観的に見るとそこまで責める必要はない場合もある。
基本的に私は復讐というのは被害者の気持ちが晴れるか(スカっとするか)というところが焦点だと思う。
相手に自分が受けた被害と同程度の苦痛を与えたいというところに根ざしている部分はあるにしろ、③でも触れたが、例えば100円を盗まれた相手から1000円を奪い返すこともでき、どこまでやるかという制限・制約などはない。
しかし私は、それでは最初に自分に対してひどいこと・悪いことをした人よりも畜生になってしまっている、と感じる。
⑤私は誰かを傷つけたくない
最終的にはここかもしれない。
たとえ私を苦しめた相手であったとしても人間ではあり、例えばその人がナイフで刺されて痛がっていたら私はかわいそうだと思ってしまう。ましてや自分が手を下したくはない。
***
以上を踏まえて、私は基本的に復讐しない主義であり、自分がイヤな目に合わされたという気持ちだけで復讐しよう、というのはできるだけ避けたい。
例えば誰かにひどいこと・嫌なことをされた場合、ただその人から遠ざかるだけである。
最後にもう一度、少し違うかもしれないが、今まで私を「苦しめた」人々について振り返ってみると、無自覚に・悪意なく私を傷つけている人というのが多く、決して彼らが悪いとは言えないことも多かったように思う。
私はそういう人と出くわしたときは単に関わるのをやめ、違う人生を歩むようにしている。
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