事件体質探偵の華麗なるデビュー戦略
@kazen
事件体質探偵の華麗なるデビュー戦略
6月21日
大安吉日という縁起の良い日に、我が探偵事務所の開業を迎えられた事を嬉しく思う。
思えばここまで長い道のりだった。
小学生の頃、学校の図書室で子供向けシャーロックホームズの短編集を読んで探偵に憧れを抱いて以来、ただひたすらホームズのような名探偵になることを目標にしてきた。
洋の東西を問わず探偵小説を読み漁り、海外の原書を読むため、また名探偵は教養深く博識でなければならないから英語も勉強した。
そのため中高と英語の成績は全国でもトップクラスで教師からの信頼も厚かったが、学内の事件の解決を内々に依頼されたりすることは、残念ながらなかった。せっかく推理小説研究会に所属していたのに、本当に残念極まりない。
昨今『日常もの』と呼ばれる推理小説が巷間にあふれているが、そのような事件に遭遇した事はついぞなかった。事件を求めて街を徘徊したりしたが、商店街のおばちゃんたちと仲良くなっただけだった。夕飯の食材を安く売ってくれるのは助かったが。
おっと、どうやら来客のようだ。
さて、記念すべき最初の依頼人は、いや、事件は俺の心をどんな風に躍らせてくれるだろうか。
6月22日
ああ、頭が痛い。昨日は史郎とハメを外して飲みすぎた。
当事務所初の来客が依頼人でなかったのは残念だが、探偵にとって多くのコネクションを維持しておくことは重要だ。それが警察関係者なら特に。
今年警察学校を卒業し、交番に配属されたばかりの史郎本人はこれからに期待というレベルだが、史郎の父親は所轄署の署長、兄は警察官僚と、探偵にとってこれ以上ないくらいのコネだろう。
欲をいえば、あとは少し頭の固い現場一筋の刑事と悪態をつき合える関係になりたいものだが、まあこれはおいおい頑張っていこう。いずれ史郎に紹介してもらうという手もある。
史郎は俺に大きな借りがあるから少々無理を言っても大丈夫だろう。
高校からの付き合いだが、当時史郎の恋人だった靖子が浮気をした際、相手を突き止め、とっちめるのに協力し、一緒に泣いた夜を実直なあいつは死ぬまで忘れることはないだろう。
まあ、靖子が浮気をするよう秘密裏に仕組んだのは俺なのだが。
何事も、成すには地道な努力が必要だ。
6月24日
依頼人が来ない。
俺の事務所はそこらにある浮気調査で小銭を稼ぐような有象無象の事務所とは違う。
だから学生時代からの友人たちに開業の知らせをした程度で、チラシを配ったりはしていないが、それにしても客が来ない。
今日も今日とて殺人事件は起こり、史郎の兄は深夜まで家に帰れないのだから、決して事件の数が少ないというわけではあるまい。
まあ、しようがないか。
俺はホームズを目指しているが、現状ホームズには遠く及ばない。こつこつやっていくしかあるまい。
学生時代に稼いだ金もある。しばらくは様子見してもいいだろう。
有り余る時間を潰すため、今日は判例集を読むことにした。
手垢のついたそれを手に取ると、そう遠い過去でもないのだが、大学時代がとても懐かしく思えてくる。
開業後の経営を学ぶため、あわよくば事件に関わりたいとバイトをしていた轟探偵事務所でこき使われた日々ですら、今ではいい思い出だ。
労働基準法無視上等で従業員を酷使しながら、自分はキャバ嬢にいれあげて四六時中酒の匂いを振りまいていた轟所長の事務所金庫から強奪した、表に出せない金はこの事務所の開業にとても役立った。
ああ、轟所長はお元気だろうか。元気だと困るな。あれこれ密告しておいた極道はきちんと仕事をしてくれただろうか。
6月27日
今日はついに依頼人が来た。
といってもストーカー被害に悩む浅葱という女子大生だが。
『探偵』の意味を取り違えるな、と説教して追い出そうと最初は思っていたのだが、俺はそこではたと気付いた。
俺はビルの一室を間借りしている事務所に探偵事務所の看板を出してはいない。にもかかわらずここが探偵事務所であると知っている。
そして、俺の知り合いの伝手であるならばまず知り合いから連絡が入るはずだ。俺の知人達はその程度には面倒見がいい。
さらに、ビルのオーナーには離婚歴があり、元妻の方に娘がいることを俺は知っている。
ということは、つまり!
君は、この事務所が入っているビルのオーナーの娘だな!
と、自信満々で指摘した所、申し訳なさそうに、オーナーの娘の同級生だ、という答えが返ってきた。
ホームズ先生、あなたはやはり偉大です。
6月30日
気は進まないが、オーナーの機嫌を損ねるわけにもいかないということで引き受けた浅葱の依頼だが、今日、ストーカーである槙原を罠にかけることに成功し、依頼は終了となった。
手柄は史郎に譲った。これであいつは俺への心酔をさらに深めたことだろう。
ま、ストーカーの行動原理を読むことなど、俺にとっては朝飯前だ。
学生時代に事務所開設の為の資金を貢がせていた飛鳥は、元気にしているだろうか。
貯金を吸いつくした飛鳥を遠ざけるために、菱沼という男をストーカーになるように仕向けた結果、飛鳥は精神を病み会社を辞めて地元に帰り、菱沼もそれを追っていったが、新聞で名前を見る事がないという事は大過なく過ごしているのだろう。
幸せになっているといいのだが。
7月3日
事務所がにわかに忙しくなってきた。
どうやら浅葱と、オーナーの娘のネットワーク上で俺はストーカー対策の専門家ということになっているらしい。
小一時間説教をくらわせたいところだが、俺の立場を考えるとそうもいかない。
それに浅葱やオーナーの娘である世里奈が通う大学は、セレブや成金が娘を通わせる某有名女子大だ。このコネクションを潰すわけにはいかない。
そんなわけで今日もストーカー対策講座を開いたりと、当初の理想とはかけ離れた仕事をせざるを得ない。
ただまあメリットもある。このビルのオーナー自体は成金ではあるが、オーナーの元嫁の父、世里奈の祖父は多額の資産を有する、まごうことなきセレブ階級だ。
最近頻繁に事務所を訪れるようになった世里奈を籠絡しておいて損はないだろう。
7月10日
事務所の経営は今のところ軌道に乗っている、と評していいだろう。
一人では手に余る仕事量ではあるが、無給の助手をしてくれている世里奈のおかげで何とか回っている。
世里奈とともに事務所を出ると電信柱の影に浅葱がいた。
奇遇ですね、って、お前が1時間前からそこにいたのは事務所から見えていたのだが。
7月11日
今日も帰途にて浅葱と出会う。
俺が住むマンションの玄関前で2時間近く待ち伏せて『偶然ですね』は通らないだろう。
7月13日
浅葱が手強い。
自身がストーカー被害に遭っていたということに加え、俺のストーカー対策講座で変な知恵をつけたせいで、現状3回に1回は浅葱に出し抜かれるという笑えない状況になっている。
しかも浅葱は最近、刃物を携行しているようだ。半端な対応しかしなかったことが裏目に出たか。
しかし、コネクションの事を考えればむげにばっさりやるわけにもいかない。
早急に何か対策を考え実行しなければならない。
7月22日
浅葱を史郎に押し付けることに成功した。
偶然を装って数回接触を持たせると、浅葱のような思い込みの激しい女は勝手に『運命』と納得してくれるから扱いやすい。
重要なのは、俺自身が表だって動いたりしないことだ。
かつての恋人だった靖子に浮気をさせた手法に2度も翻弄されるとは、我が盟友とはいえ哀れと思わざるを得ない。
この手法は史郎システムと名付けよう。
7月24日
今日も平和だ。そして俺の探偵史に刻むような事件を持ち込む依頼人も来ない。
いや、今日も今日とて事件は起こっているのだが、俺には縁がない。
事件は新聞やテレビの中でしか起こっていないかのようだ。
そういえば飛鳥の地元の山中から身元不明の男性の死体が発見されたそうだ。
地元で起きた事件を解決してほしい、とか飛鳥が言ってこないだろうか。言ってこないだろうな。あんまり面白そうでもないしな。
今日も平和だ。
7月30日
平和すぎて息が詰まりそうだ。
ストーカー退治とストーカー対策講座と彼氏の浮気調査、このローテーションで日々が消費されていく。
俺はこんな探偵になりたかったのではない。
不可解な謎に彩られた殺人事件を快刀乱麻!
そんな探偵を目指していたはずだ。なのに、この現状は一体どういうことだ。俺の事務所は女子大生専用のサロンか?
焦るな、今は地固めの時期だ。と冷静に囁く俺もいる。
だが同時に、ここらで勝負に出なければ日々の雑務に忙殺され、夢なんて夢さ、とブランデーのグラス片手に訳知り顔で呟く男になってしまうぞと、猛々しく叫ぶ俺もいる。
悩ましい。
7月31日
俺は決断した。
事件がないなら、事件を起こすしかない。
8月8日
奔走していた日々も小休止、やっと日記を書く時間の余裕が出来た。
仕掛けはほぼ整った。あとは開幕を待つだけだ。
探偵が解決するに相応しい事件が起こるには何が必要か。俺はこう考える。
まず必要なのは、動機。これは言わずもがなだ。誰でもいいから殺したかった、などという妄言によって起こされた事件は、探偵が捜査するに値しない。
そして次に舞台。ある意味繰り返しになるが、衝動的な通り魔殺人などには興味はない。俺が求めるのはドラマティックな劇場型事件だ。見立て殺人とか最高じゃないか。
さらに時間も必要だ。これは犯人が憎悪を熟成させ、かつ斬新なトリックを考案するためには不可欠だ。
この全てを満たす状況を作り上げるため、俺は持ちうるコネクションの全てをフル活用し、個人情報の海の中から被害者もしくは犯人となりうる人間6人をピックアップした。
高木光一(32)
今をときめく宝飾デザイナーだが、女に暴力を振るわないと興奮しないという特殊性癖を持つ男で、女性関係で過去に数々の問題を起こしている。
表向きの羽振りは良いが多額の借金を抱えている。
三浦陽子(26)
高木光一の助手で、同時に現在の恋人でもある。
両親の離婚で母親性に名字が変わっているが、姉である葉山景子は当時高校生だった高木光一に乱暴され、それを苦に自殺している。三浦陽子本人は、妹を襲った犯人が高木光一だとは知らない。高木光一も三浦洋子が葉山景子の妹であるとは知らない。
問題行動の多い高木光一に対しては愛憎半ばで揺れ動いている。
志摩和真(50)
一代で財を成した貿易商。資産家である志摩家の入り婿。また、高木光一のパトロンでもある。実は三浦陽子・葉山景子の実父。
離婚後海外に渡り、そこで整形手術を受けたため三浦陽子は実父である事に気づいていない。
娘を死に追いやり家庭崩壊させた高木光一を恨んでいる。パトロンをしているのは高木光一に近づくため。6人の中で葉山景子を襲ったのが高木光一であることを知っている唯一の人物。
最近はメインバンクである帝都銀行に追加融資を渋られ、事業は厳しい状況にある。
志摩静香(38)
志摩和真の妻で、実家は都心に複数のビルやマンションを所有する資産家。
高木光一とは愛人関係にあるが、高木光一の方では関係を解消したがっている。高木光一の助手である三浦陽子に数々の悪質な嫌がらせを行っているようだ。
年の離れた夫である志摩和真とはうまくいっていない。
佐上武(38)
帝都銀行勤務で、志摩和真の経営するシマコーポレーションの担当者。会社の財務状況からシマコーポレーションへの追加融資に対して強硬に反対している。
志摩静香とは高校の同級生。かつて志摩静香に告白し、振られた過去がある。
女子高生買春の常習者。
桐生泰造(32)
投資家で、高木光一の同級生。高木光一に二千万近い金を貸している。
葉山景子の当時の恋人。妹だという事は知らないが、三浦陽子にその面影を重ねている節がある。一度だけ、酒の過ちで三浦陽子と一夜を過ごした。
佐上武に投資を勧められ、多額の損失を出した事がある。
また、志摩静香の実家の財産にも興味があるようで、何度か接近を試みている。
選出のポイントは、社会的地位の高さと入り組んだドロドロの人間関係だ。
キーマンとなるのは志摩和真だろうか。
現時点で唯一明確な殺意を持っているであろう彼が、高木光一の過去の悪行をどのタイミングでどのように暴露するのか、それとも口を噤むのかで展開は――特に三浦陽子の行動は大きく変わるだろう。
逆に佐上武あたりは添え物のようなものだ。志摩静香の傀儡になったりすると面白いのだが。
彼らには差出人を明記せず、孤島のペンションへの招待状を出しておいた。
盆の頃合には毎年暴風雨が吹き荒れて外部への連絡がつかず、またかつて3人の惨殺死体が無惨にも捨てられていた未解決事件の舞台という、いわくつきの孤島だ。
正直、今でもペンションを経営しているオーナーの正気を疑うが、都合がいいことには違いない。
問題は、彼らが招待に応じるかどうかだが、俺には確信がある。
彼らはきっと、全員島に来る。積もり積もった心中の汚濁を浄化するために。
同封した、『お前の秘密を知っている』という意味深なメッセージカードと、他の招待客のリストも彼らの決断を後押しするだろう。
当日俺は、水上バイクのエンジンの不調で島に流れ着いた海水浴客としてペンションに宿泊する予定である。
警察関係者を用意できなかったことだけが心残りだが、初回からそこまで求めるのは傲慢というものだ。
ああ、それにしても、楽しみだ。彼らはその社会的地位を失わないために、趣向を凝らしたトリックで犯行を隠してくれるだろう。
何人かの死者が出た、或いはこれ以上殺人は起こらないと確信した時点で、探偵としての正体を明かして、颯爽と事件を解決! 名探偵のデビューだ!
8月9日
計画実行まであとわずか。
笑みが漏れるのを禁じえない。クリスマスを待つ子供のような気分だ。
だが、実は少し懸念もある。世里奈が郵便物を勝手に開封していたり、俺のパソコンにこっそりと侵入しようとしていた形跡がある。
下準備の間、ほとんど事務所にいなかったことや、以前浅葱が俺の周囲をちょろちょろしていた事もあって、浮気を疑っているのかもしれない。
君のカネとコネを裏切るつもりはない、と正直に言わない程度のデリカシーは俺にもあるが、これはあまりよろしくない。
世里奈に計画がばれて、助手、などといって孤島に乗りこまれた日には、俺の名探偵デビューにミソがついてしまう。
世里奈は本当にいいパートナーだ。だが、せめてデビューくらいはワトスンなしで華麗に決めたいところだ。
ああ、そうだ。孤島への旅行の言い訳を考えておかなければ。
8月10日
件のペンションより手紙が届く。
いわく、急な改装のため当日のおもてなしが出来なくなりました。つきましては知人のペンションを紹介いたしますのでどうぞご容赦ください。
振り替え先のペンションは田舎の奥深い山中にあり、孤島のペンションと同じ建築家の手によるもので間取りも全て同じらしい。また、その田舎には奇妙なわらべ歌も伝わっているとか。
天候が悪いのか、孤島のペンションへ電話をかけても繋がらない。
逡巡したのは一瞬で、俺は計画の続行を決めた。
そう、不測の事態に対する対応力も犯人に求められる資質だ。
それを暴いてこその名探偵というものだ。
休暇の名目は実家への帰省という事で世里奈を押し切った。
ここまで来たんだ、あとに引けるか。
名探偵に、俺はなる!
8月13日
山中で迷ったふりをして飛び入り客として訪れたペンションで俺を出迎えたのは、俺の計画とは違う面々だった。
「元気にしておったか? ワシは、貸し借りはきっちり清算せんと気がすまんタチでな。ま、君も開業したばかりだ、金で、とは言わんよ」
脂ぎった顔にぎらついた瞳を嵌めこんだような轟所長。
「久しぶりね。菱沼から全部聞いたわ。あなたにはお世話になったし、お返しをしなければね」
当時より凄みのある美人となった飛鳥。
「色々と昔のことを教えてくれた人がいたんだ。裏も取ってある。それでさ、学生時代の話、もう一度二人でしたいんだ。靖子の事だよ」
いつもののほほんとした雰囲気を微塵も感じさせない史郎。
「許せない……許さない……こんな屈辱……絶対に、代償を支払わせてやる……」
般若の形相でこちらを睨みつける浅葱。
「お話はうかがってますよ。息子の人生を台無しにしてくれたのは貴方だそうですね」
にこにこと愛想のいい笑顔を浮かべているのは、ペンションの槇原オーナー。いや、お前の息子はは自業自得だろ。
「なんだか楽しそうなことを企画していたみたいだから、私も真似してみたの。え? 浮気はしていない? ええ、知ってるわ。お金を出せばね、大抵の情報は手に入るのよ。でも、これはお仕置き。私に疑心を持たせたこと、私に嘘をついたことへのお仕置きよ。さあ、これが華麗なるデビュー、貴方の晴れ舞台でしょ? 自分が被害者にならないように気をつけてね、名探偵さん」
優雅な笑みを浮かべて、ぱたりと部屋の扉を閉める世里奈。
ふふ、ふふふ……はは、ははは……
暗い笑い声がロビーで交錯する。
寝食を惜しんで俺が立てた計画とは全く違う。
なのに、それなのに。
どうしようもなく……事件の予感がする。
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