第22話 夜 うるわしの少女 売る鷲の少女1
売る鷲の少女1
月明りと星々が輝き始める頃合いに、私は少女と森の中を歩いている。月の光も星々も、精一杯に輝いてくれるのだが、この森の木々は光が届かぬよう遮ってくる。真っ暗な木、真っ暗な道。その先を見つめると、暗闇に飲み込まれそうになる。ぞわっと、寒気がする。仕方なしに懐中電灯を使って照らす。少女は黙々と歩く。この夜の静寂に呼応するように。
昨日もそう言えばこんなだったか。ただ、少し違うのは、今日は家ではなく滝の方に向かって歩いているということ。昨日、忘れてきた着替えを取りに行くことになったのだ。少女が怖がる夜を選択する必要性はないのだが、そこはまあ必然的にこうなっただけだ。
今日の朝は疲れもあったせいか、だいぶだるだるに起きた。身体がのそのそする一方で、外からたくさんの気配を感じた。何か大きな気配だった。人か、いや、違う。なんせ二階の窓辺からだ。窓を開けると太陽の光の眩い中で数羽の鳥が、北の小屋目がけて飛んでいく。鷲だ。すぐにそう思った。気になってすぐさま小屋に向かう。すると、たくさんの鷲が小屋の中に止まっていた。小屋の中は四方八方に止まり木が張り巡らされており、まるで動物園のアスレチックである。その止まり木にぎっしりと鷲が並んでいた。下を見下ろして、何かを待っているように。調教された軍隊を見ているような気分だ。完璧に圧倒される。大小様々な種類がいるが。よく見ると比較的小さいものから下に留まっている。そんな中、唐突に声が聞こえてきた。
「おはよう」
びくっとして、視線を平行に戻す。自分に話しかけてきたものかとも思ったが、そうではないらしい。少女の声だ。少女が軍隊に朝礼を行っている声だった。
「皆、偉いぞ。ご飯は食べた」
少女はにこにことそう話しかける。しかし、鷲は応えない。
「昨日から、小説家のお兄さんが泊まってるの。皆仲良くしてね」
今度は鷲達が鳴いて応える。キュー、キュー、ワン、ワン、非常に高い音だ。私は鷲なぞの鳴き声は聞いたことがなかったため、感動する。と、共にまた圧倒される、その大合唱に。
「はいはい。落ち着いて落ち着いて」
少女がそう言うと、鷲達は静かになる。なんと教育の届いることか。よく見れば、鳥小屋の割には、糞が落ちている気配がない。いや、そう言えばご飯食べたと聞きながら、ご飯を出した気配もない。
「そういうことだから。宜しくね。じゃあ、今日は解散」
少女がそう言うと、出口に近い方から順番に飛び立っていく。これまた素晴らしい光景だ。
「おはようございます」
私が上をじっと見ていると、少女が話しかけてくる。今度は、私に言っている。
「おはよう。すごいね」
素直に感想を言う。
「皆、友達なの」
少女はそう言って歩き出した。私もそれに付いていく。
家に帰る道中で、私は少女に鷲について色々聞いた。ご飯のことや、掃除のこと、どうやって飼っているのか等を。食事やトイレに関してはほとんど自立しているとのことだ。特別訓練しているわけではないが、言う事を聞くのだという。そして、この教育の行き届いた鷲を売っているというのだが、北の都市に定期的に買い付けてくれるお金持ちがいるそうだ。毎月十羽はそこで売れるとか。そこから電気の話になり、その金持ちが色々手配してくれているのだそうだ。家の脇に貯電タンクがあるのを確認した。
「おはようございます」
私はダイニングテーブルに座り、おばあちゃんに挨拶する。今日は先に話せた。
「どうぞ、お召し上がりください」
目の前には既に朝食が準備されており、その内容には趣を感じる。主食はパン。これは何の変哲もない。いや、自家製だと聞いてびっくりはしたが。副菜に置かれているのは蕨や筍といった山菜を生かしたサラダに、川魚を焼いたもの。パンに塗るものとして、これまた自家製のフルーツジャム。あと、特製スープなるものが出ていた。これがまた少し薬味がかった不思議な味で美味しかったのだが。中身を聞いて、吐きそうになる。ムカデやコオロギ、アリ等の虫と魚の骨、山菜の端切れ、でだしを作って、玉ねぎと人参を具にしているものらしい。なるほど、魔女の食べ物だ。まあ、美味しいのだが。
「おばあちゃん、調子悪そうだね。風邪引いた」
食事の折に、少女がそんなことを言った。昨日今日の私にはおばあちゃんの体調の異変などわからなかったが、少女にはそれが分かるようだった。
「大丈夫だよ」
おばあちゃんは弱弱しく言う。
「ううん、ダメ。風邪引いてる。後で薬買って来るね。今日はゆっくり休んでて」
そんなこんなで、朝食の後に薬を買いに行くことになった。一番近いという、少女の嫌いだと言った、あの村に。いつもは北の都市か東の街に行くことが多いのだそうだ。理由は鷲も一緒に売りに行くからということだ。つまり、人口が多い方が売れる可能性があるということだ。無論、あの村にも行くことはあるらしいが、個人的な感情もあって行くことは少ないらしい。今日は、薬を早く買って来たいという意味もあって、鷲は売りに行かない。朝食を摂り終えると二人で急ぎ足で村に行く。
流石に迷いなく進む少女に、感心しながら私はこの道を覚えきれないな、と思った。どこかで見たような道があり過ぎるのだ。昨日、一日かけて歩いていただけに、かえってその映像が混乱を招いた。帰りに覚えよう等と考える。
「そう言えば、いつからあの家にいるんだい」
とっとっとっ、と歩いていく中で、私は兼ねてよりの質問を切り出す。
「んっ。え~とね。五年くらいかな」
五年か。二人の様子からずっと住んでいるわけではなさそうだとは思っていた。
「どうしておばあちゃんの家に住むことになったの」
親類なのか、どうなのかも確かめたいため、おばちゃんという部分をまるで親類と思っているように聞く。
「おばあちゃんが好きだから」
失敗した。欲しい情報が何一つ得られない。
「わたしね、十歳の時に独りになったの」
と、思っている最中、少女が続けて核心たる情報を言う。
「十歳の時、独りに」
今度は良ければ話してくれないかと、気持ちを込める。
「交通事故でいなくなっちゃったから」
なるほど、両親は交通事故で。しかし、五年前にあの家に住み始めたということは、二年間ブランクがある。
「それで、おばあちゃんに引き取られたんだ」
さきほどの芝居を継続する一方で、二年のブランクが勘違いか、中身のあるものかを問う。
「違うよ」
心なしか少女にしては強い言葉で否定してくる。そして、そこでだんまりとしてしまった。これは、おばあちゃんの方に聞かねばならないようだ。
その後は何故か気まずくなり、ただただ歩を進めていった。だいぶ気に障ったようだ。少女はむすっとしている。一時間半ほど歩いただろうか、ようやく村に辿り着く。私は筋肉痛となっていた足を労わってあげたかった。が、少女はそそくさと薬局に向かっていく。だんだん、だんだん少女との距離が離れていった。ぎりぎり、少女が建物の中に入るのを視認し、少し安堵する。足を引きずりながら近くのバス停のベンチに腰を掛ける。このバス亭はボックス状の建物の中に机と椅子が置いてあるタイプであり、おそらく休憩所としても機能しているのが伺える。そしてそこには村人も座っていた。
「こんにちは」
村人はいかにも畑仕事やっていますという格好をした老婆だった。バスを待っているという感じはしなく、おそらく近くの畑で作業している合間に休んでいるのだろう。
「こんにちは」
私は疲れを言葉に乗せながら挨拶を返す。
「ももちゃんを追ってきたのかい」
心臓が跳びはねた。言い当てられたからではない。いや、それもあるがももちゃんという言葉だ。おそらく少女の事を指すその名称に驚きを隠せない。そういえば、名前は聞いていなかったか。しかしながらこの老婆、事情を知っていそうな口ぶりである。思わぬ収穫がありそうだ。
「はい、あの、ももをご存知で」
気持ちを落ち着かせながら、まるでこちらもある程度の事情は知っているというようにももという言葉を使ってみる。
「ええ、存じてますよ。まあ、あの子も大変よね」
老婆はそう言いながら、お茶を飲んだ。その後を続ける気配がない。さっきの素振りが裏目に出てしまった。仕方がないのでこちらから聞く。
「どう大変なんですか」
「ああ、あんた何も知らないのかい」
「はい」
今度は何も知らない体でいこう。
「あの子はね、両親を小さい頃に亡くしてるんだよ」
それは知っている。さっき聞いた話だ。それでも、情報が聞きたくて芝居をする。
「そうだったんですか」
「実はね、ももちゃんは本当の両親からは虐待されててね。」
「虐待」
新しい情報だ。
「そういうのもあって、まだ小さいから、親類に引き取られたんだが、馬が合わなかったのか。ももちゃんは家出したんだよ」
「家出」
なるほど、二年間は親類の家にいた期間だったのか。
「親類の親は、随分優しくももちゃんのことを可愛がっていたんだが。何が気に食わなかったんだろうね」
「はい、そうですね」
色々な想像はつく。虐待されていたのだから親というものに恐怖心を抱いていた可能性がある。そのため、新しい親というのはそもそも嬉しくないものなのだろう。それに、いきなり知らない人が親になると言っても、そもそも簡単に受け入れられるとは限らない。たとえ、優しかったとしてもだ。
「どうして、色々知っているのですか」
さも当たり前そうに話す老婆に問いかける。もしかしたら、ももは魔女と同じくらい村では有名なのかもしれない。
「そりゃあんた、捜索隊やらなにやらを出したからさ。大掛かりにね。でもてんで帰って来やしない」
「捜索隊」
何やら話が面白くなってきた。引き取り手の親が、少女を探すための捜索隊を出したと言う事だろう。しかし、その捜索隊が戻らない。これこそが魔女の噂の根源たる部分ではなかろうか。
「ももちゃんはね、魔女に誘惑されたのさ。そうじゃなきゃ、あの家から家出するもんじゃないよ」
「魔女に、誘惑」
「そうさ、魔女が邪魔するんだよ。ももちゃんは魔女に洗脳されてて、説得しても耳を貸さないんだ。捜索隊がたくさん森の中に行くんだけども、全然帰って来やしないんだよ」
洗脳の如何はともかく、森が迷いやすいのは身をもってわかる。しかし、行方不明というほどのものなのか。仮にも捜索隊はプロだろう。
「この村に来た時に、無理やり取り押さえればいいじゃないですか」
「あんたな~んにもわかってないね。魔女の魔法はそんな生易しいものじゃないよ」
そう言ったところで、老婆は言葉を止める。
「わたしゃ何も見てない。見てないよ。ああ恐ろしい」
そして、急に独り言のように呟き始めた。
「わたしゃ仕事に戻るよ。あんたも気をつけな。ももちゃんには構わない方がええ。自分の身が可愛いならね。このまま逃げてお行きなさい」
老婆はそう言って畑の方に去って行った。
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