第12話 夕 好きです! 桃色
桃色
私には前に彼氏がいた。当時大学一年生。初めての期末試験を終えた私は、気晴らしに街中を一人で歩いてみようと思った。一人でウィンドウショッピングし、一人で好きなものを食事する。誰かとしたことはあったけど、一人でしたことがなかったこと。そんな初めての体験をしてみたくて、街中を歩き回った。全ての体験は新鮮で、心が弾んだ。あっちに行って、こっちに行って。いつの間にか空は夕日に染められていた。私は赤く染まる街並みを見回しながら、足を弾ませて歩いてた。
すると陽気な音楽が聞こえてくる。噴水の近くの開けた場所。そこに一つの人の塊があった。私の心は例になくときめいた。あの中心に何があるのだろう。どんな新しいことが待っているのだろう。気になった私は音楽に合わせる様に足を弾ませ、群衆に混じった。誰かが踊ってる。ここからじゃよく見えない。群衆を掻き分け、一番前に割って入った。そこにいたのが彼だった。彼は引き締まった身体をリズミカルに、軽やかに動かし、滑らかにキビキビと音楽にノって踊っている。
『カッコいい』
そんな言葉が口から溢れ出る。右に、左に、前に、後ろに。ジャンプして、ステップして、回って、ポーズを決めて。音楽が佳境を迎えると、彼はきらきらとした表情を空に向けた。汗が数滴、噴水と一緒に噴き出した。群衆から拍手が起こる。小銭がチリンチリンと響き渡った。しかし私はその間、拍手も小銭を出す動作もすることをしなかった。ただ一点、彼を見つめて、ぽーとしていた。
人が一人、また一人と去っていき、彼も支度を整えてその場を去ろうとする。
「あの」
自分でも気付かないうちに私は近寄っていた。彼とはもう一、二歩の距離にいた。その距離で、行ってしまいそうになる彼に、思わず言葉が出てしまう。顔が赤くなり、相手の顔を上手く見ることが出来なかった。
「あの、よかったです」
何を言おうとしたか半分忘れかけていた。いや、そもそも言いたい事なんてなかったかもしれないけど、そんな自分を隠したくて、なんとか言葉を繋いでみる。
「あ、ありがとう」
彼は少しびっくりしてそう言った。男らしい低めの声だった。嬉しさ半分、恥ずかしさ半分の反応。どこか落ち着きがあり、クールな印象がある。
「いつも、やっているんですか」
もっと一緒に居たいと思って、次の言葉を紡ぎだす。もっとしっかり彼を見たいと思って、顔を上げようとする。しかし、暗い震えが体の中をビリビリっと駆け巡ってきて、なかなか言うことを聞かない。それでも、彼に対する明るい脈動をぐーんと身体に送っていき、暗い震えを吹き飛ばす。ゆっくり、ゆっくりと顔を上げた。
ただ見たいだけ、しっかりと。
「毎週このくらいの時間に来てるよ」
笑顔だった。
口元をくっと上げている。
鼻筋は通っていてはっきりした顔立ち。
汗がきらきらと流れているのがわかる。
目は一重で切れ長――
と、目が合う。
「また来ます」
顔が沸騰するような感覚が襲ってきて、一言言い放ってその場を逃れる。まっすぐと駅の方向へ向かって走って、駅のホームへ上がる階段を跳ぶように上がろうとする。と、階段を照らす光が蛍光灯に変わった。いつの間にか陽はすっかり沈んでいたのだ。
息を少し切らせながら、今来た道を振り返る。彼はどんな風に思っただろう。高く鳴っていた鼓動が半分さらに高鳴り、一方で半分静かになる。
ミスっちゃったかな。
(来週、また来よう)
それでも明るくそう思えたのは。今日起こった出来事への感動と、また会えるのがわかっているからなのだと思う。
空を見上げると、星々が輝き始めており、それぞれが違う輝き方をしていた。弱く光ったり、強く光ったり、赤みを帯びていたり、大きかったり、小さかったり。私は少し足取りを弾ませながら、階段を上がっていった。
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