第8話 朝 予告された死 七日目

七日目




 全ては幻想か、現実か。




 雪。それは白いもの。それは水滴が冷えて固まったもの。それは闇とは真逆の色を保ちながらも、闇のそれと同じくらいに冷たいもの。闇の中に雪があったなら、こんなに危ないものは無い。間違えなく滑ってしまう。例え慎重に歩いていたとしても、絶対に。




 光が見えた。輝かしい光だ。雪に反射して真っ白かった。まだ闇の中のはずなのに、そんな光に照らされてあたかも光の中にいるように感じていた。雪も怖くは無くなっていた。でもそれはただの蜃気楼。幻でしかなかった。蜃気楼が消えた時、一瞬にして闇が広がった。そして、思い出させられるのだ。ああ、そうだ、まだ闇の中なのだと。




『人に奉仕しろだっけ』






『で、この子を助けたと』




『自分の意志です』




 私が彼を拾った理由。それは非常に簡単な理由だ。




『自分に似ていたから』




『自分を救いたかったから』




『独りでは、抜け出せないから』




 虚ろな青年の目を見て、私は居ても立っても居られなかった。ここで彼を救わなければ、私は救われない。情けは人の為ならず、か。




『人に奉仕すること』




 結局私はこれが守れなかったのかもしれない。何がボランティアなものか。結局は自分のためだ。人はそんな簡単には変われない。思い起こせば私は純粋な気持ちで誰かのためにと行動を起こしたことは無かった。自分という完璧な存在に満足し、それが周りに認められればそれでよかったのだ。彼女とは違う。嫌われるさ、きっと。罰が当たっても文句は言えない。




 青年も言葉には出さないが、きっとわかっていたのだろう。私が私のために彼を連れだっているということに。憐れんでいたのは私ではなく、青年の方なのだ。青年は受け入れていた、自分の境遇を。青年の方がずっと強かったのだ。ずっと、ずっと。




 私は弱いな。




 昨日、私は会社に出勤し、プロジェクトの再開の旨を伝えて、早速色々整理していた。すると、いつの間にか時間が過ぎ去っていき、女性との約束の時間に遅れそうになった。




ブロンブロンブロン




 急いで同僚にバイクを借りて、レストランへと向かう。同僚のバイクは改造されているのか、エンジン音がやたらとうるさい。まあ、そんなことはどうでもいい、多少周りに迷惑だろうが、お構いなしにエンジンを噴かす。しかし、なんとも運の悪いことに昨日は雪が降っており、道路は滑りやすくなっていた。同僚の改造バイクにはチェーンが付いていなかった。きっと碌でもないこだわりだろう。さて、そうは言ってものんびりは出来ない。半ば渋滞気味の大通りを逸れ、小道を通ることにした。それが間違いだった。




キー




 飛ばしていると言っても、細心の注意は払っていた。少なくても、自分からスリップするほどではなかった。が、歩行者にとっても滑りやすい地面というのは危険そのもので、滑り転んだ歩行者が急に前に飛び出してきた。




 寸でのところで歩行者から逸れるが、電柱にぶつかった。ぶつかる寸前に飛び退けたため、私自身は軽傷で済んだ。が、バイクの大破した破片が飛び散り、歩行者に突き刺さったのだ。




『水害に気をつけること』




 全てが真っ白になった。死にはしなかったが、もう死んだも同然である。人を殺したかもしれない。仕事も白紙になるだろう。婚約もパーだ。こんなにも暗い中で、こんなにも白いことがあるものだろうか。


いつの間にか十時になっていた。




『朝早く起きること』




 今日のこれは例外にはならないだろうか。正直、寝た気はしない。ずっと起きてたような気がする。それでも、確かに目を見開いて暗いようで白い天井を目にしたのは、七時だった。




「あっつ、起きた」




 隣には青年がいた。何か凄くぐじゅぐじゅになった顔に見えた。




「おはよう」






「おはよう」




「よかった」




 青年の顔からぐじゅぐじゅがなくなり、今まで見たことのない笑顔を見た気がした。




「未熟者め。急がば回れと言うだろう」




 青年が口真似をして見せる。ふっ、と笑ってしまう。




「全くだ」




 見守っているはずの相手に、見守られている。なんとも滑稽な構図だ。




「おっさん」




 青年が少し声を落として呼び掛けてくる。




「なんだ」




 空っぽな返事をする。




「ありがとな」




 そう言いながら、青年がコップに水を注ぐ。




「なんだいきなり」




 私はそう言って、青年に促されるまま水を飲む。




「俺、最初はおっさんのことお人好しの偽善者だって思ってた。別に俺自身そんなに困って無かったし、勝手に変な情押しつけやがってって」




 およそ、予測のついていた話だ。私が同じ立場でも、きっと同じことを思っただろう。




「でもなんか、おっさんと一緒にボランティアとかやってて、食事とか行って、なんか、温かかった。なんか、身体の中から温かくなった。ずっと寒くて冷たかったのに」




 ああ、そうか。そうだ。外ばかりを見つめているから暗い中から抜け出せなかったのか。蜃気楼なんぞに惑わされるのか。ふと、そんなことを思う。




「だから、ありがとな。おっさんに会えて良かった」




 青年が感じたであろう温かみが、身体の中に流れ込んできた。空っぽで冷たい空気に満ちた器にいっぱいに広がって、溢れ出てくる。冷たいものを押し出して。身体の奥から、たくさん、たくさん。




「礼を言うのは、私の方だ」




 そんな言葉が溢れ出た。今までこんな風に言葉を出したことは無い。とても、気持ちの良い台詞だった。生まれ変わったような気がした。今のこのままでいたいと思った。生まれ変わろうと思った。




 と、病室のドアが開く。




「あっ」




 ドアを開けて声を発したのは、女性だった。




 私の心臓が色々な形で早鐘を打つ。ドキッと、ドキドキッと、ドキドキドキッと。




 女性の顔もまたぐじゃぐじゃだった。




「良かった」




 そう言って優しい聖女の顔になる。




「昨日はごめん」




 ドキッとしながらそう言った。




「いいんです、そんなの。でも本当に良かった。お父さんには私からちゃんと言っているので」




「うん」




 ドキドキッとしながらそう言う。




「お返事、どころじゃないですよね」




 ドキドキドキッとする。




「こんな、私でいいのかい」




 本当は聞きたくない。




「そんな簡単に嫌になるようなら、始めからなんも思わないですよ」




 でも、聞いてよかったと思える。




「是非、お願いします」




 ああ、この光だけは蜃気楼であって欲しくない。仮に蜃気楼であったとしても、消えないでくれ。




「よろしくお願いします」




 彼女はお辞儀する。




「おめでとう」




 青年は祝福する。




「はい」




 私は返事する。




 新しい門出。生誕。今日は第二の誕生日だ。




「そういえば、私が轢いてしまった人は」




 ふと、自分の過ちを確認する。




「大丈夫。激しい運動は出来なくなったみたいだけど。日常生活に支障は無いって」




「そうか」




 一概に安堵は出来ない。門出の前にやるべきことがある。




「後で、謝りに行こう」




 過ちを犯した清算をしなければ次へは進めない。お互いに納得の出来る謝罪をしなければならない。


 私が光に照らされた代償に、闇へと堕ちただろう人がいる。あんなに暗くて寒い場所に居てはいけない。堕としてはいけない。光の住人として、闇に堕ちた人を照らしていこう。まずは最もそれをしなければいけない人から。




 死に曝された。




 不確かな死だった。




 とても怖かった。




 不安だった。




 暗かった。




 抜け出したかった。




 でも、独りじゃ無理だった。




 外を見渡しても見つからなかった。




 この七日間で見つけたこと。わかったこと。それを忘れずに生きていこう。


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