第2-4話:巡跡

 食事を済ませ、凌駕はキッチンの方で食器洗いを行っていた。食器洗いといっても、皿を機械に入れるだけの単純な作業だ。


 水上と真瀬は、テレビでニュースを見ていた。昔のようにリアルタイムで流れるというものはなく、全てが配信されたものを見る形になっている。唯一リアルタイムが残っているのはニュースくらいだ。

 

 本当なら食器洗いは水上がやろうとしてくれたのだが、家の案内でお世話になったため、半ば強引に仕事を奪った。


 ガラス張りの食器洗い機であるため水が全体にかかっていく様子が目に入る。それを見ていると自分の心まで洗われていく感覚がした。


 自分でもわかっている。白崎には事情があり、その事情も明確。

 何一つ彼女は悪くないのに、彼女に対するモヤモヤが解けないのはなぜだろうか。


 きっと『親友』を悲しませたという事実が自分の心に深く刻まれているのだろう。特にその親友を失っているからこそ余計気持ちが強くなっている。


「乙女かよ……」


 誰にも聞こえないように微かな声を漏らす。


「乙女?」


 そのはずだったが、不意に自分が発した言葉を繰り返すような声が横から聞こえた。反射的に横を向くとそこには白崎がいた。


「白崎さんっ!!」


 ちょうど彼女について考えていたため驚きのあまり、素っ頓狂な声をあげ、後退する。

 白崎もまさかそこまで驚かれるとは思っていなかったのか目を大きくしてこちらを覗いた。


「ごめん、何か考え事をしてたかな?」


「いや、そうでもないよ。ただボーッとしてただけ。それよりも、結構長かったな。何か……」


 そこでまた自分が質問しようとしていたのに気づく。端末から呼び出しがあったってことは、相手は防衛省の方。大方、先ほどの行方不明の件についての話だろう。それをまた問うようなことは、水上から何も学んでいないに近い。


 一度深呼吸をして、食器洗い機の前に戻る。


「さっきはごめん。色々と質問しちゃって。また今度、白崎さんが話したいと思った時に聞かせて欲しい」


「う、うん。でも、どうしたの、急に」


「いや、なんとなく。誘拐したことを掘り起こさせるようなことを立て続けに聞くのはよくないと思って」


「……そっか……凌駕くん、紅茶飲む?」


「えっ! あ、うん。飲む、飲みます」


「ふふっ。じゃあ、湯沸かすね」


 白崎は食器洗い機の横にあるポットに手を伸ばす。自然と凌駕と白崎は横並びの形になった。

 まさか、急に『紅茶飲む?』なんて聞かれるとは思っていなかった。思わずまた、素っ頓狂な声をあげてしまった。


 不甲斐ない自分を見せてしまっているが故、ここにいるのはできれば避けたい。とはいえ、飲むといった手前、ここから去ることはできない。


「行方不明になった時のことに関しては何も覚えていない」


 すると不意に白崎は、食事中の凌駕の質問について答え始めた。何を言っているかすぐには理解できなかった。だが、わかったところですぐに耳を傾ける。


「でも、ひとつだけ覚えていること、感じたことがあるとすれば、『痛い』思いをさせられた。それは肉体的苦痛かもしれないし、精神的苦痛かもしれない。その辺の記憶は曖昧かな」


「そっか……ごめん」


「ふふっ、なんで凌駕くんが謝るの」


「いや、やっぱり俺が聞いたから痛いことを思い出させちゃったかなって」


「でも……心配してくれて言ったんだよね?」


 その言葉に一度考える。

 凌駕は彼女に対するモヤモヤがある故に質問を立て続けにしたのか。それは単に、彼女が『音信不通』になってしまった理由を聞きたかったからだろうか。

 それもあるのかもしれない。でも、それ以外にも自分の中には別の感情がある。

 

「うん。もし、何か助けられることがあれば、力になりたいと思ってる」


 救世活動。自分の原点だけは、どんな状況であろうと覆りはしない。


「そっか、ありがとう。凌駕くんは優しいね」


 ポットの湯が沸き、茶葉を乗せたカップに湯をよそいでいく。湯の音が健かに響き渡る。

 食器洗いも終わり、今度は乾燥に取り掛かっていた。


「さっきの電話の件ね。私の兄が今だ行方不明なんだ」


 少し声のボリュームを下げ、白崎は凌駕の方を見て話し始める。もしかすると水上や真瀬に聞こえないようにしているのかもしれない。

 前と少し声の様子がおかしく、内容もデリケートだったため凌駕も白崎の方を向く。

 

「白崎さんの兄さんも行方不明なのか。それは茜と同じ原因だったりするのか?」


「その可能性は高いと思う。兄がいなくなってから二日、三日経ったところで私が行方不明になったから。私はすぐに解放されたけど、兄はまだ発見されていない。この二つの事件は確実に関係があるとは思うけど、手掛かりの私が記憶を失っているから操作は難航している」


 白崎は凌駕が想像しているより遥かな負担を負っている。自分が行方不明で記憶を失った上にシナーにされて身内との連絡は遮断。それだけでなく、今だ兄が行方不明で、手掛かりはなしだという。精神的に見て、とてもじゃないが良好だとは思えない。

 

「そっか、本当に大変な状態だったんだな」


 そんなことも知らないで彼女に対してモヤモヤを抱いて自分を大層不甲斐なく思った。


「謝るのはダメだからね。本部からは他言無用って言われてるけど、凌駕くんの言う通り、正直かなり辛いかも。『CEQ』をなんとか維持するのでやっとくらい」


 微笑みも少し引きつっている様子だった。

 なんとかしてあげたい。先ほどまでのモヤモヤはもうどこにもなかった。今はただ目の前の白崎 茜をただただ助けたいという感情のみが湧いていた。


「もし、何かできることがあれば言って欲しい。口頭でも良いし、もし難しければ端末でメッセージを送って」


「うん、ありがとう。でも、端末だと本部の方にバレちゃうかもしれないからできるだけ口頭で伝えるね」


「わかった。どんな些細なことでも構わないから。言いたいことがあったら言って欲しい」


「ありがとう。そうさせてもらうね」


 会話が途切れたところで、インターホンが鳴った。再び視界には『荷物配達完了』の文字が記載される。今度は何が来たのだろうか。


「おおっ! 第二弾来た! 行ってきまーす!」


 リビングにいた真瀬からキッチンの方まで声が聞こえてくる。


「第二弾って、一体何があるんだ?」


「今日は、千鶴ちゃんの誕生日でしょ。だからプレゼントに加えてもう一つ」


「ああ、ケーキか」


「そう。実は、紅茶作ったのはこのためでもあるんだ」


 確かに『紅茶を飲む?』と凌駕だけに聞いた割に、台には四つ紅茶の入ったコップが置かれていた。四杯も飲まされるのかと思ったが、そんなわけはなかった。

 

「ダイニングに移動しようか」


「ああ。おぼんは俺が持つよ」


「ありがとう。じゃあ、あともう一つだけお願いして良い?」


 白崎の言葉に凌駕は頷く。些細なことでも言ってくれと言ったのだ。了承しないわけにはいかない。白崎はおぼんを渡すと少し凌駕の耳に口を近づける。


「私のこと、名前で呼んでくれたら嬉しいかも」


 それを言って、こちらに一度はにかむとダイニングの方へと足を運んでいった。

 水上に言われたばかりなのに、すっかりと白崎、茜のことを苗字呼びしてしまっていた。

 

「あかね」


 無人のキッチンで独り言のように呟く。

 自分の親友と同じ語頭だったためか少し言い易かった。


 ****

 

「じゃじゃーん!」


 真瀬は配達員からいただいた箱をテーブルの上に置き、一気に蓋を開けた。

 すると中からホールド状のショートケーキが姿を表す。大きさは一般のものに比べてやや小さいが、四人分としては十分なものだろう。


 真ん中には、チョコレートで作られた板に『ハッピバースデー千鶴』と書かれている。

 ろうそくの本数は真瀬の年と同じ18本立てられている。


「プレートの名前、凌駕くんのも書いてもらうべきだったね」


「もう焼肉で十分楽しませて持ったから大丈夫だよ」


「でもな。クリームさえあれば、付け足せたんだけどなー」


「まあまあ。プレートには書いてないけど、祝う分には僕たちで祝えるよ。それじゃあろうそくつけるね」


 水上は家にあったチャッカマンを持つと、ろうそくに火をつけていく。


「メディウム、一時的に電気を消してもらっていい?」


 茜は汎用性スマートシステム『メディウム』に呼びかける。現在の日本でシェア率1位を誇るAIアシスタントだ。


 メディウムが『承りました』と言うと、部屋の電気が消える。明かりは蝋燭の火のみとなった。

 

「それじゃあ、凌駕、千鶴」


「「誕生日おめでとう!!」」


「凌駕くんも一緒に吹いてね」


「俺も吹くのか?」


「もちろん! じゃあ、行くよ。せーの」


 真瀬は凌駕に有無を言わせず、合図を送る。こうなるともうやるしかない。テーブルの方へと少し顔を寄せ、ろうそくの火を軽く消すように息を吹きかける。

 真瀬との協力でろうそくの火は全て消えていった。

 

 茜と水上から拍手が贈られる。凌駕は家庭では、ケーキは食べるがこう言ったことはしなかった。だから新鮮で少しばかし心地よかった。


 若干恥ずかしい気持ちもあるが、人に祝われて嫌な気分になることはない。 

 

 真っ暗な空間が少し続いたところで電気が再び点灯される。それを合図に茜と水上が拍手を止めた。


「よーしっ! じゃあ、早速食べようか。プレートは私と加賀美くんで半分ね」


 別にプレートは真瀬に全部渡してかまわなかったが、真瀬の性格がわかっているため言うことはしなかった。

 真瀬は早く食べようと言わんばかりに包丁を持ち、切ろうとする。


 刹那、ベルのようなものが家中に響き渡った。すぐに消えるわけではないため、インターホンの音ではないことはわかった。


「これは一体?」


 戸惑いを見せる凌駕は視界に入る一つのメッセージに目が入った。


『緊急事態発生。この区域でアビスの出現を観測』


 メッセージだけですぐに状況は理解できた。どおりでベルが轟音を響かせていたわけだ。


「どうやら、ケーキは少しお預けみたいだね。凌駕も立って。急を要するから」


 水上の様子が先ほどよりもやや不穏になる。元気だった真瀬も少し落ち着きを取り戻していた。茜はやや引きつった表情をしている。


「みんな、行くよ」


 運命の悪戯のように、凌駕は赴任初日に発生したアビスを取り締まることとなった。

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