第62話
――ざぶん! と音が鳴ったわけではなかったが。
飛び出した魔物が再び地面に潜る様は、そんな音が聞こえてもおかしくはないくらいには素早かった。普通に掘っているだけならこうはならないので、なにかしら地面に影響を与える術を使っているのだろう。
視界に入ったのは数秒だったが、それだけあれば外見くらいは観察出来る。端的に言ってそれは蛆虫に似ていた。ぶよぶよとした表皮は白く、太さの割に全長は短い――と言っても、数メートルはあるだろうが。先端には顔がなく、代わりに歯のない口が大きく開いている。巨大な人食い寝袋とでも言った所か。
そんな事を数秒の間に考えて。
「足を止めるな! 足元から飛び出して丸呑みにする気だぞ!」
知っているわけでもなかったが、ペコに仕掛けた攻撃を見れば、間違ってもいないだろう。
仲間達の反応は早い。
「キッシュ! 乗りますわよ!」
ラビーニャが素早く飛び乗ると、キッシュがモモニャンをこちらに走らせた。
「みんなも乗るのである!」
向かってくる大猫化したモモニャンを前に食費を計算するが、借金はないし、この仕事を片づければそのくらいは出せるだろう。
速度も落とさずモモニャンが接近する。ご丁寧に横っ腹からは黒い手が二本伸びて来る。ペコと共にすれ違いざまにそれを掴んで背に飛び乗る。同時に、背から生えた触手がベルトのように腰回りを固定した。
「サンキューっす!」
「困った時のモモニャン様々だぜ」
感謝の気持ちで肌を撫でる。ゾッとするような手触りは未だに慣れないが。
「どうするのである?」
とりあえず真っすぐモモニャンを走らせながらキッシュが聞いてくる。
「後ろを向かせてくれ! 追ってきた所を魔術で撃ち落してやる!」
言うが早いか、ライズの尻の下の皮膚が半回転する。
「自分の出番がないっすよ!」
と、ここ数日ろくな魔物と戦っていないので、こちらも欲求不満が溜まっていたのだろう。後ろのペコが不満を言うが。
「相手が悪いっての!」
と一蹴する。さして堅い魔物にも見えなかったので、ペコの剣術でも殺す事は出来ただろうが。神出鬼没で、地中を泳いでかなりの速度で飛び出してくる。先ほど避けられたのはまぐれのようなものだった。あれを見切って斬り返すのはペコの技量ではまだ無理だろう。その上向こうは一口でこちらを丸呑みにしてくる――多分だが。
それで即座に死ぬわけでもないのだろうが、そのまま地中に潜られては、腹の中から魔物を殺した所でどのみち窒息死である。と、そこまで考えての事だったが、説明するのも面倒である。どの道ペコもそれくらいの事は分かった上での不満だろうが。言いたいだけというやつである。
むっすりと頬を膨らませるペコを無視して魔力を練り上げる。いつでも魔弾を放てるようにしておきながら、即座に反応できるように神経を集中する。
――のだが。
「追ってこないっすね」
いい加減集中も途切れた頃、見計らったようにペコが言ってくる。
ライズは忌々し気に舌打ちを鳴らした。
「めんどくせぇな」
地中を移動する魔物である。向こうから襲ってきてくれれば手間もないのだが、逃げ隠れされると仕留めるのは難しい。
「引き返すのであるか?」
「――まぁ、それもありだな」
モモニャンの足が速すぎたか、縄張りから出てこないタイプという事もあり得る。
そう思って言った直後。
唐突に左手の地面を突き破って魔物が飛び出してきた。
「――なっ!?」
(待ち伏せしてやがったのか!?)
確証はないが、あり得ない話でもなかった。先回りして、目の前を通過するのを待っていたとしか思えないタイミングである。
なんにしろ、後方に意識を集中していたライズは虚を突かれた。
とっさにそちらに腕を向けようとするが、間に合いそうもない。
狙われているのはペコだった。
「ペコ!? 避け――」
ペコが腰の剣に手を伸ばすが、モモニャンの背中の上ではたいした動きも出来ないだろう。いっそ自分から落ちて避けるという手もあるのだが、落下防止用のモモニャンベルトが仇となった。
――が。
ゴン! と、分厚い鉄板を叩いたような音と共に、ラビーニャの張った障壁の奇跡が魔物の突撃を阻んだ。淡く光る不可視の壁の向こうで、ガラスに顔を押し付けた様に潰れた魔物の大口が、ずるずると地面に落下してそのまま地中に潜った――
「魔弾よ!」
茫然としている場合ではない。ハッとすると、ライズは遠ざかる穴の中に魔弾を投げ込んだ。間に合ったのだろう、穴の中から黄ばんだ体液が吹きあがる。
「あっぶねぇ!」
「た、助かったっす」
と、二人で冷や汗を流しつつ呟く。
「貸し一つですわよ。終わったらペコにはマッサージでもして貰おうかしら」
聖印を片手にラビーニャが悪徳チックな笑みを浮かべる。
「うげぇ」
ペコがうげぇというような顔をした。
そういう役割なのだから貸しも何もないのだが、余計な口を挟むとろくでもない目に合うので黙っておく。
ともあれ。
「これで依頼は完了か」
ホッとして呟く。今ので仕留められなかったら、長期戦になっていたかもしれない。
「村の人達も一安心なのである。このまま泉まで行って臭い消しの薬草を積んで帰るのであ――」
突然モモニャンが身体を捻って強引に曲がった。ベルトがなければ遠心力で吹っ飛ばされていただろう――それでも反動は凄まじく、危うくむちうちになりかける。
「むー!? ぢだをがんだのである!?」
口を押さえてキッシュが涙目になるが、それどころではない。
「もう一匹いやがったのか!?」
正面から飛び出して、すぐ横をかすめていった二匹目の魔物に吐き捨てる。
「一匹ではありませんわ」
げっそりとしてラビーニャが言う。
「ひー、ふー、みー、よー……とにかく、沢山っす!」
両手の指を折りながら、途中で諦めてペコが言った。
「……冗談キツイぜ」
あちこちの地面から、無数の蛆虫もどきがトビウオのように跳ねながらこちらに向かっていた。
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