第50話
唖然とする中、蛇が獲物を絞め殺すように、ねっとりと舌を絡ませる。
「ららら、ラビーニャ!? ななな、何をしているのであるか!?」
声を裏返らせて叫ぶキッシュの目をペコが塞いだ。
「キッシュにはまだ早いっす」
(……俺の目も塞いで欲しいぜ)
心底思いつつ、目を逸らすのも負けたような気がして見入ってしまう。
長い――実際はそうでもなかったのだろうが――大人の口づけを終えると、ラビーニャは少年の前で見せつけるように自身の唇を舐めた。
少年は茫然として、ただただ身を強張らせるだけだったが。
「世の中には、もっと素敵な事が沢山あるのよ? キッシュではないけれど、それを知らないで死んでしまうのは、勿体ないと思うのだけど」
夢魔の笑みを浮かべてラビーニャが告げる。年頃の小僧が相手なら、これまでに出たどの言葉よりも説得力があっただろう。腐っても神官というべきか、ただの腐った神官なのか。
なんにしろ、ライズには目の前の純粋無垢な少年が恋に落ちる音が聞こえるような気がした。
「ぶっ殺してやればいいんすよそんな奴は」
胸焼けを起こすような空気に冷や水を浴びせたのはペコだった。
「……出来るわけないだろ、そんな事」
甘い夢からたたき起こされると、ペコの肩の辺りに視線を向けながら少年が言う。
「自分を殺す度胸はあっても、イジメっ子を殺す勇気はないんすか?」
(……こいつとは一度、勇気の定義について話し合った方がよさそうだな……)
短絡的と決めつけるわけではないが、どうにもペコは生死観が軽いというか、向こう見ずと言うか、特攻気質と言うか――とにかく乱暴な所があるとは思っていた。
――が、それはそれとして、ペコもなにか信念があって話している様子ではある。――多分だが。それを信じてとりあえず見守っておく。
「……無理だよ。相手の方が力も強いし、数だって多いんだから……」
「別に、訓練もしてないその辺のガキっすよ。ナイフでも隠し持っていきなりグサッとやっちまえばそれで済む話っす」
事もなさげに言い切ると、ペコは唖然とするこちらを指さしてきた。
「って、自分はライズさんに教わったっす」
「おい!?」
聞き咎めて叫ぶ。少年は勿論、ラビーニャやキッシュまでもが人でなしを見るような目を向けてきた。
「隠れてこそこそ妙な訓練をしていると思えばあなた、ペコになにを教えてますの?」
呆れ果てた様子でラビーニャが言ってくる。
「か、隠れてねぇし! 訓練のついでに対人戦の心得を教えてやっただけだっての!?」
冒険者の相手は魔物だけではない。盗賊やら犯罪者やら――そして時には同業者も――人間を相手にする事も多い。場合によっては、命のやり取りをしなければいけない場面もあるだろう。
実力不足を不安がるペコを励ますつもりで――そして純然たる事実として――どんな人間でも、油断している所を死角からグサリとやれば呆気なく死ぬと教えてやっただけだ。
格上とやり合う時は、いかにしてその油断を引き出し、相手の思いもよらない戦術的な死角を見つけるかが大事になるとも言った。
決してこんな使い方をさせる為に言ったわけではないのだが――とは言え、あながち間違ってもいないので否定が難しい。
どの道小僧は、最初からこちらの事を野蛮な冒険者と決めつけているようではあったが。
「……だとしても、そんな事をして何になるっていうんだよ。一人くらいは殺せても、それで終わりじゃないか」
「なさけねぇ奴っすね。自分の事を死ぬほど追い詰めた奴っすよ。一人くらい道連れにしてやろうって気合はないんすか?」
(……だから、気合の定義についてだな……)
頭痛を堪える気持ちで額を揉む。とは言え、ペコの言いたい事も分からないではなかったが。
(だとしても、赤の他人にそんな無責任な事言うか普通?)
というか、それでこの小僧が実際に相手を刺し殺したら、下手をしたら人殺しを唆した責任が発生するかもしれない。法律家ではないので実際の所は知らないが。
「で、でも、そんな事したら、人殺しになっちゃうじゃないか……」
流石にユリアもペコの狂気じみた態度に臆したらしい。しどろもどろになって言い返す。
「だからなんすか?」
「なんすかって……ひ、人殺しはよくないだろ?」
「じゃあ、弱っちい奴をイジメて死なせるのはいいんすか?」
イライラと怒気を込めてペコが言う。
(――つまり、結局ペコもこいつには同情してるわけか)
ただ、自分の気持ちを上手く整理出来ていないのだろう。普段なら目の前の気に入らない相手に飛び掛かる所を、それが出来ないのでイラついているらしい。
「それは、よくないけど……」
「じゃあやればいいじゃないっすか」
どこまでも真面目な顔で言うと、ペコは腰の小剣を抜きかけて、流石にこれでは目立ちすぎると思い直したらしい。こちらに目を向けて言ってくる。
「ライズさん、こいつにいい感じの刃物貸してやって欲しいんすけど」
「嫌だっての」
勇者の剣があるからという理由で、ペコは短剣の類を持ちたがらないのだが――当然のようにライズは断った。どうやらペコは、本気でユリアに人殺しをさせたいらしい。
「……まぁ、刃物くらい自分で用意出来るっすよね」
「か、勝手に決めないでよ!」
すっかり焦ってユリアは言うが。
「それが出来ないんなら、あんたは一生負け犬のままっすよ。怖い事から逃げて、自分の事すら大事に出来ないで、クソッタレの為に自分から死ぬ惨めな犬のクソっす。断言するっすけど、そいつらはあんたが死んでも屁とも思わないっすよ。それどころか、馬鹿が勝手に死にやがったとか言って笑うに決まってるっす。そんで、何日かしたら綺麗さっぱり忘れて、別の誰かを代わりにイジメるんす」
見てきたようにペコが言う。
あまりにもあんまりな言葉に、流石に少年もキレたらしい。
「なんなんだよお前! イジメられたこともない癖に好き勝手言うなよ!」
掴みかかろうとする少年をあっさりと殴り倒す。
「自分、村ではガキ大将で通ってたんで、そういうのは分かるんすよね。それに、死ぬような眼なら、あんたの千倍合ってるっす」
(こわっ)
それこそ、お前誰だよと思ってしまう変りようである。猫を被っていたというわけではなく、たんにそれを晒す機会がなかっただけなのだろうが。
ユリアは年の近い女の子に殴り倒されて、惨めさに泣き出したらしい。
「強いからそんな事が言えるんだ! 君は強いから! 僕だって、君みたいに強かったら!」
「別に自分は強かねぇっす。毎日ボコボコで、迷惑かけまくりっすよ」
とくに恥じるでもなくペコが言う。
「大事なのは、気持ちなんすよ。強くなったらとか、強かったらとか、そんな甘えた事言ってる奴は、いつまで経ってもなんにも出来やしねぇんす」
「なら笑えよ! どうせ僕は弱虫だ! 名前も顔も身体だって、女の子みたいに弱っちい! 僕だって、こんな自分は大嫌いだ! だから死にたいんだよ!」
「かぁ~! 呆れたふにゃちん野郎っすね。だから、なんでそこでぶっ殺すにならないすか? 自分だったらそんな奴、ただじゃおかないっすよ」
実際その通りだろう。ペコはいつだって、気に入らない相手には真っ向から噛みついてきた。ライズにとっては迷惑な――そして頼りになる――忠犬にして狂犬である、
「なら、君が奴らを殺してよ!」
少年が叫んだ。思わずという感じだが、隠していた本音が毀れたようでもある。
「僕だって、死にたくなんかないんだ! でも、このままじゃ、死ぬしかないじゃないか! 冒険者なんだろ? お金なら払うよ! すぐには無理でも、絶対払うから……それであいつらを、そうだよ! そうすれば全部解決するじゃないか!」
「……やべぇっす。クソダサ過ぎて、自分がこいつを殺しちゃいそうっす」
豚を見るような軽蔑を向けてペコが呟く。もはや殴るのも汚らわしいといった様子だ。
「ぺ、ペコ。あんまりイジメたら、可哀想なのである……」
キッシュはあくまで同情しているようだが。ラビーニャは中途半端に焚きつけておいて、面倒になったら知らん顔を決め込んでいる。
なんにしてもだ。
「勘違いすんなよ。俺達は冒険者であって、殺し屋じゃねぇ」
「何が違うっていうんですか! 必要があれば、人だって殺すんでしょ!」
随分前から、ライズ達はすっかり見世物である。少年の言葉に、聞き捨てならないと店の客が睨みを利かせるが、そちらは逆に睨み返して黙らせる――一応この店では、真っ向からライズに喧嘩を売る度胸が残っている奴はいない。
「その通りだが、その必要を決めるのはてめぇじゃねぇよ。二度とそんな口聞いてみろ。そん時は――」
「殺すんですか? だったら、望む所です!」
まぁそうだよなと思い至り、言いかけた言葉を変える。
「……裸に剥いて、時計台から吊るしてやる。女物の下着を履かせてな」
なんとなく少年の嫌がりそうな事を探したつもりだったのだが。
女達の視線が痛い。
「うわ、ライズさん、そんな趣味があったんすか? 流石にそれは引くっすわ」
「このわたくしに手を出してこないから怪しいと思っていましたけど、どうりで……」
「ライズは、女の子みたいな恰好をした男の子が好きなのであるか?」
春先に飛び出した変質者でも見るような目でペコ。ラビーニャは例によって分かっていてからかっているのだろう。キッシュは未知の恐怖におびえた様子で、店の客はマジかよあいつそんな趣味まであったのかと囁き合っている。
「ひぃっ!?」
しまいには、ユリアまで乱れたシャツの胸元を直したが。
「ちげぇっての!?」
破滅的な魔術で全員吹き飛ばしてしまいたくなる衝動を辛うじて堪えて叫ぶ。
「なんだっていいっすけど、そんな事したって、あんたが自分で力を示さなきゃ、別のカスに目をつけらて同じ事の繰り返しっすよ」
(なんだってよくはねぇだろうが!?)
むしろ物凄く大事な事だし、妙な噂が広まる前に是非とも誤解を解いて欲しいのだが、そんな空気でもない。
この場においては剣のように真っすぐで正しい――そして冷え冷えとして鋭く無慈悲な――正論を突き付けられて、少年もついに言葉を失ったらしい。
それでもなにか言い返そうと開いた口が言葉を探したが、何も見つかりはしなかったらしく、悔しそうに歯噛みして項垂れた。
「……帰ります」
「おい、まだ話は――」
伸ばした手を、ペコが掴んで無理やり下ろす。
なんのつもりだと視線を向ければ、グツグツと煮えたような怒り顔で睨んでくる。
「あんな奴とこれ以上話す事なんかないっすよ!」
そういうわけにもいかないのだが、これで頑固なペコである。
板挟みの気分で言い返す言葉を探している内に、少年の背中は扉の向こうに消えてしまった。
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