第49話

 そんなやり取りも、少年からすれば知った事かという茶番だろう。

 見知らぬ冒険者の一団に捕まえられて話を聞いてやると言われても、簡単に口を割るものではない。


 ――が、その辺は流石と言うか、ラビーニャが役に立った。小僧相手に話の分かる砕けた神官を装って、軽い色仕掛けまで使ってまずは酒を飲ませた。不自由なく暮らし、立派な学校に通う身分の小僧である。酒もそれほど飲み慣れてはいないのだろう――後はまぁ、小僧らしくラビーニャの色気にやられた風でもあったが。

 なんにしろ、あっさり酔って口を軽くした。


「……ユリアです。女の子みたいで、好きじゃないけど」


 ようやく名乗ると、名前の通り女の子みたいな少年は思い出したように泣き出した。


 小さな頭を下着と大差ない恰好の胸元に抱いて、ラビーニャが優しく撫でる。露出過剰な格好にさえ目を瞑れば、そんなラビーニャは珍しく、母性溢れる聖女のように見えなくもない。


(……誰だコイツは?)


 という想いの方が強かったが。

 ラビーニャに慰められて、嗚咽混じりにユリアは語る。


「……学校で、イジメられてるんです。女の子みたいだからって……毎日、からかわれて、殴られて、脅されて、お金も取られて、でも、誰も助けてくれなくて……」

「そう、それは辛かったわね」


 聞いた事もない優しい声音でラビーニャが言う――が、少年の頭の上で、性悪神官は退屈そうに欠伸を噛み殺してもいた。あくまでもユリアから情報を引き出す為の芝居という事らしいが。


(だからって、死ぬほどの事か?)


 と、とりあえず思ったが、己を振り返ってみれば、ライズにも似たような心当たりはないでもなかった。まともな学校に通った事はなかったが、彼が育てられた施設でも、イジメのようなものは存在した。


 腕っぷしと我の強さが物を言うような場所で――まぁ、それだけが理由でもなかったが――ライズ自身イジメの対象になり、死にたいと願った事は一度や二度ではない――と言うか、そんな場所だから、大抵の人間は似たような境遇で、似たような事を思っていたようにも思う。


(まぁ、ほとんどの奴は死んじまったがな)


 思い出しても懐かしさなど湧いては来ない。

 ただただ不快で陰鬱になるだけである。


 ともかく、イジメ自体は、今になって思えばそう大した事でもないように思えるし、一方で、あの頃の自分の立場になってみれば、死にたいと思うのも仕方がない事だったようにも思える。


 あるいは、根も葉もない噂で冷遇されている現状のライズも、ある意味ではイジメを受けているようなものかもしれない。今はペコ達が一緒だから屁とも思わないが、一人寂しく黒瓜亭の椅子を温め続けていた日々を思い出せば、小僧を笑えない程度には落ち込んでいたようにも思える。


 ――と、真面目に検討してみれば、そんな理由で自殺を試みた小僧を馬鹿に出来る立場でもないのだろう。ペコと出会わなければ、自分も似たような事をしていたかもしれない――とまでは流石に言えないが。同情する余地は大いにあった。


 だとしてもだ。


「だからって、死んじまう事はねぇだろ」


 思い悩んだ割には、飛び出した言葉は最初に浮かんだものと大差なかった。意味合いは大きく違うが、それを悟れというのも無理な話だろう。


 ラビーニャの大きな胸の中で悲劇のヒロインを気取っていた少年は、ムッとしたように身体を起こすと、知った風な事を、とでも言いたげな目でこちらを睨んでくる――と言っても、目線は相変わらず胸元の辺りを向いていたが。


「……強いんでしょうね、冒険者だから。そんなあなたには、虐げられるしかない弱い人間の気持ちなんか分かりませんよ」


(俺が強いって?)


 思わずライズは鼻で笑った。殺し合いの上手さや魔術の腕を強さと呼ぶのなら、確かにライズはそこそこのものかもしれない。だが、そんなものが強さであるのなら、どうして俺はこんな目にあってるんだ? と皮肉に思う。


 なるほど、馬鹿な連中を黙らせるのに腕っぷしが役立つ事もないではないが、結局それは黙らせただけで、根本的な事は何一つ解決してはくれなかった。


(俺はむしろ、あの時俺の為に怒ってくれたペコみたいなのを、強さと呼ぶと思うがね)


 さほど前でもなかったが、懐かしい気持ちでペコに視線を投げる。狸顔のお気楽娘は、少年の言う事が一々気に入らないという様子で、苛立たし気にしかめっ面を噛み締めていたが。


「何がおかしいんですか」


 態度だけ見れば――態度以外に見える物もないのだが――馬鹿にしたと思われても仕方ない。不服そうに言ってくるユリアに言い返す。


「……そうだな。俺には君の気持ちは分からないんだろう」


 説明するのも諦めて、そういう事にしておくが。


「けどまぁ、同情するのは自由だろ? 不満だろうが、こうして関わり合いになっちまった奴が――それも、下の毛も生え揃ってるか怪しいような小僧がだ。どんな理由があろうと、死んじまったほうがマシだなんて言葉には同意できるわけがないんだよ」


 結局の所、ライズにとって彼は子供で、子供の前に立つからには、大人ぶらないわけにはいかないという事なのだろう。


(……つまり、おじさんって事か)


 認めるのは癪だったが。


 ラビーニャは少年の見ていない所で、何を臭いセリフをとでも言いたげなニヤニヤ顔を向けてきた。


「吾輩もライズと同じ意見なのである!」


 今まで拳を握って黙っていたキッシュが、涙声を荒げた。


「生きていれば、辛い事は沢山あると思うのである。でも、楽しい事だってあるのである。死んでしまったら、なんにもないのである……それは、寂しい事なのである……」


 名無しの一団の良心が、心の底から哀しそうに告げる。


「……楽しい事なんかありませんよ。一つだってないんだ。毎日学校でイジメられて、家に帰って平気なふりをして、明日なんか来なければいいのにって、そう思いながら寝るんです。夢の中でもいじめられて、地獄ですよ。そんな世界で、なにを楽しめっていうんですか? そんな世界なら、生きてる意味なんかないじゃないですか!」

「で、でも……ぅ、ぅぇ、えぐ……」


 言い負かされてキッシュが泣き出す。


「キッシュに当たるんじゃねぇっす」


 代わりに怒ってペコが拳を振るった。

 止めたい所だが、ペコの気持ちも分からないではない。結局ライズは見逃した。

 殴られても、少年は別に平気な様子だが。


「気は済みましたか? 君は、あいつらと同じなんだ。気に入らない事があればすぐ暴力を振るう。自分よりも弱い奴を殴るのは、さぞ気分が良いでしょうね!」

「ラビーニャのおっぱいに顔を埋めて鼻の下伸ばしてるようなムッツリスケベに言われたくねぇっす」


 欠片も怯まず言い返す。何の答えにもなっていない返答だが、口喧嘩なら強い手札だ。少年は露骨に赤面してたじろいだ。


「そ、そんな事、してませんから!」


 ラビーニャの顔色を伺って、弁解するようにユリアが言う。


「あらそう? 胸には自信があったのだけど。わたくしって、そんなに魅力がないのかしら?」


 わざとらしく甘ったるい声を出して、ラビーニャが哀しそうに視線を下げる――やはりわざとらしく、胸の位置など直しつつ。


「そ、そういうわけじゃ……」


 年上の痴女にそんな事をされれば、年頃の小僧ならイチコロだろう。耳まで赤くなって声を詰まらせる。


「おいラビーニャ。ガキをからかうなっての」


 流石に見ていられずに咎めるが。


「ガキじゃありませんってば!」


 ラビーニャの前で恰好をつけたのだろう。幾分強気な態度で言ってくる。後ろのラビーニャはおばさん扱いの仕返しとでも言うように笑っていたが。


(この性悪女は……)


 救いようがないのは今に始まった事でもなかったが――だからと言って慣れるわけでもない。まぁ、相手にしたところでろくでもないという事だろう。


「ライズさんに舐めた口聞くんじゃねぇっす!」


 と、こちらはこちらで、忠犬もとい狂犬が拳を握る。


「やめとけっての。なに怒ってんだ? 今日のお前、なんか変だぞ」


 別に頼んだわけでもないのだが、年下の小娘に庇って貰っているようではこちらも外聞が悪い。それとなくやめるよう促すが。


「言っとくっすけど、自分は元々こんなもんすよ。ライズさんが良い人だから行儀よくしてるだけっす」

「……あれで行儀よく?」


 疑うように首を傾げると。


「文句あるっすか?」


 結局の所、少年の態度に――それと境遇にも――わけもわからずイラついているだけなのだろう。拳を構えて威嚇してくる。


 藪蛇になっても馬鹿らしいので適当に肩をすくめて誤魔化しつつ、本題に舵を戻す。


「ともかくなんだ。死ぬ程辛いなら学校なんて辞めちまえばいいだろ」


 一度救った所で、死ぬ気が変わらないなら意味もない。泥船でも乗り掛かってしまったからには、どうにか沈まぬように岸まで届けたい所ではある。


「……だから、簡単に言わないで下さいよ。両親は、僕に期待してるんです。辞めるなんて、出来るわけないじゃないですか……」


 誰でもそうだが、それなりの事情があるのだろう。気勢を落して少年が俯く。


「でも、死んでしまったら、期待もなにもないのである……」


 鼻をすすりながらキッシュが言った。そんな事は少年も分かっているのだろうが。


「……辞めて、どうしろっていうんですか? あなた達みたいに好き勝手生きてる冒険者とは違うんです。そんな事したら、僕の人生はおしまいなんですよ」

「死んじまったらどのみちお終いっすよ」


 皮肉るようにペコが鼻を鳴らす。


「……でも死ねば、もう苦しまないで済むんだ」

「それはどうかしら?」


 タイミングよくラビーニャが口を挟む――この女は何時だって上手いタイミングを狙っているのだろう。


「メジャーな神殿では、自殺をしたら地獄に落ちると教えてますけど」


 面白がるようにラビーニャが言った。裏切られたと思ったわけではないだろうが、少年は顔色を変えた。そんな事は思っても見なかったのだろう、言われて怖くなったらしい。顔色を青くして涙を浮かべる。


「まぁ、わたくしの信仰する女神ダイアースは、天国も地獄ないと教えていますけど」


 言われて一転、面白い程に少年はホッとしてみせた。


「だから、からかうなって」

「この子の人生がかかっているのですわ。公平でなくては不公平でしょう?」


 と、詭弁のような言葉を振りかざすと、唐突にラビーニャは少年の唇を奪った。

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