第35話

「ダイアースの神殿にようこそ。本日はどのような御用ですか?」

「あー……用って程の事じゃないんだが……」


 ニッコリと、ラビーニャと同じ宗派とは思えない真っ当な女神官に尋ねられ、ライズはもごもごと言葉に詰まった。


 とりあえず後を追うっす! とペコに急かされて中に入った後である。

 神殿は簡素だが威厳のある白い石造りで、まぁいかにもという感じである。入口には女神ダイアースを模ったらしい石像が置かれていた。目隠しをした美しい女で、右手にサイコロ、左手には杯を掲げている。

 興味津々それを見上げるキッシュはさておき、ライズはそれとなく視線を巡らせるが、ラビーニャの姿は見つけられない。


「お祈りでしょうか? それとも奇跡をお求めですか?」


 不思議そうに女神官が尋ねる。大抵の神殿は信者以外にも開かれており、悩み相談や奇跡の提供、その他祀る神に応じたサービスなどを行っている――悩み相談以外は大体有料だ。


「仲間の神官がここに入るのを見てな。神官相手にこんな事を言うのもアレだが、そんなに信心深い奴だとは思ってなかったんで、気になって覗いてみたんだ」


 正直に理由を告げると、受け付けの女神官は口元を隠して上品に笑った。


「それってラビーニャさんの事ですか?」

「あ、あぁ」


 戸惑っていると、横からペコが顔を出す。


「ラビーニャの事知ってるっすか?」

「それはもう。こちらの神殿ではラビーニャさんは有名人ですから。彼女程熱烈な信仰をお持ちの方は中々いませんよ」


(……本当かよ)


 と、思ったのはライズだけではないらしい。


「信じられないっす! 人違いじゃないっすか?」


 まるっきり疑う口調でペコが言った。


「おい、失礼だろ!」


 声を潜めて咎めるが。


「だって! キッシュもそう思うっすよね!」

「……もしかすると、吾輩達はとんでもない勘違いをしていたのかもしれないのである」


 小さな顎の下で拳を握り、考え込んでキッシュが言う。


「勘違い?」


 ライズが尋ねる。


「ギャンブルというのは実は照れ隠しで、本当は教会に寄付をしていたとか」

「絶対にあり得ないっす」


 ペコが即答した。


「借金までして寄付する理由も謎だしな」


 ストラッドも博打で作った借金だと言っていた。

 勿論キッシュも分かっていて、とりあえず庇ってみただけらしいが。


「うむ、言ってみただけなのである」


 と、特に反論もなく、あっさり引っ込めてみせる。

 だろうなと肩をすくめて女神官に視線を戻す。


「迷惑じゃなければ、ラビーニャがなにをしてるか教えてもらえないか?」

「いいですよ。ラビーニャさんはあちらの階段から地下に降りた信仰の間で、信心に励んでおられます」


 微笑むと、女神官が左手の通路に掌を向けた。

 担がれたような気分で顔を見合わせていると、女神官はクスクスと笑いながら言ってきた。


「よかったら、皆さんもご一緒にいかがですか?」


 †


「……なるほど、信仰の間ね」


 皮肉な気分で呟く。

 運命と自由と幸運と――そしてまぁ、ラビーニャにとってはこれが一番重要なのだろうが。


 ダイアースは博打の神でもある。

 今日を境に、そちらの印象の方が強くなりそうではあるが。


「……来い、来い、来い……しゃあああああ!」

「ちくしょう! また負けた! なんてついてねぇ日だ!」

「さぁ張った張った! ルールは簡単! 二つのサイコロの出目を当てるだけだ! 振るぞ振るぞさぁ振るぞ! おっと残念! ダイアースの目が開いた! ゾロ目の一で全員負けだ!」


 厳かな雰囲気の一階とは打って変わり、地下に広がる信仰の間は怒声と熱気で溢れていた。


「どうせこんな事だろうと思ったっすけどね」

「むしろ安心したのである」


 予想通りというよりは、予定調和な感じもしたが。

 信仰の間と言えば聞こえはいいが、ようはただのカジノらしい。

 心底呆れつつ、実の所、ライズはそれ程驚いてもいなかった。


 戦神スザンを祀る神殿は、闘技場や修練場を運営している。商神トルネオを祀る神殿は大神ユーティアと並ぶ規模を誇り、両替や銀行、金貸しなどで有名だ。であれば、博打の神を祀る神殿がカジノを経営しているのも、道理と言えば道理ではある。

 と、いう程簡単に納得出来たわけでもないが、事実なのだから仕方がない。


「まぁ、謎も解けたし引き上げるか」

「止めないんすか?」


 意外そうにペコが聞いてくる。


「放っておいたら、折角貰ったお小遣い全部擦ってしまうのである」


 心配そうにキッシュも続いた。

 二人ともラビーニャが勝つとは欠片も思っていないらしい。それはライズも同じだったが。


「あいつの金だからな。上手い飯を食おうが、博打でドブに捨てようが、口を挟むのは野暮ってもんだろ」


 それ以前に借金を返せという所ではあるが、今更という気もする。そんな事を気にするのなら、最初から仲間にするべきではなかったろう――とまでは言わないが。


「ま、たまの息抜きなら見逃してやるさ」


 苦笑いで肩をすくめる。二人も別に、本気で止めるつもりはなかったらしい。


「それもそうっすね」

「もしかしたら奇跡が起きて勝つ事もあるかもしれないのである」

「それはないだろ」


 と、特に理由もなく確信しつつ。

 来た道を引き返そうとしていると。


「お待ちなさい」


 待ち構えでもしていたように呼び止められる。

 振り返る前から分かっていた事ではあったが、ラビーニャが立っていた――どういうわけか、不敵な笑みを浮かべて。


「……あー、ようラビーニャ。こんな所で会うとは奇遇だな」


 とりあえず、駄目元で誤魔化してみる。


「白々しい。下手くそな尾行ならとっくに気づいていましたわ」


 このタイミングで話しかけてきたという事はそうなのだろうが。


「……俺一人ならもっと上手くやれたからな」


 言い訳がましいのは理解しつつ、一応ライズも言っておく。


「てか、せっかく見逃してやろうとしてたのに呼び止めんなよ」


 半眼を向けてライズは言った。

 目の前で下手なギャンブルをやられたら、流石に止めるしかない。


「いいじゃありませんか。折角来たのですから、あなた達も遊んでいきなさいな」


 気さくに誘ってくるラビーニャの顔色をじっと伺う。この女がこんな事を言いだすからには、なにか魂胆があるに決まっていた。


「……なに企んでんだ」

「知っての通り、わたくしは賭け事に目がありませんわ。一人でしたら、まず間違いなく貰ったお小遣いを使い果たして、その上で借金を増やす自信がありますわ」


 悪びれないのは当然として、ラビーニャは誇らしげに胸を張ってくる。


「……で?」

「見張らせてあげると言っているのですわ」


 予想外の言葉に、後ろのペコ達が顔を見合わせる。


「どうしたんすかラビーニャ!?」

「悪い物でも食べたのであるか!?」

「あなた達と一緒にしないで下さらない? わたくしだって、少しは反省しているのですわ。ギャンブルをやめる事は出来ませんけど、せめて浪費を押さえようと――そういうわけです」

「……で、本音は?」


 聞くまでもなく見抜いてはいたが。

 ラビーニャもそれは理解していたのだろう。


「あなた達がギャンブルにハマれば、わたくしも気兼ねなく賭け事が出来るでしょ?」


 あっさりと種を明かした。

 分かってはいたが、げっそりする話である。


「だと思ったぜ。アホらしい、帰るぞ」


 どこまでいってもこういう女である。今更反省するとは、ライズも思ってはいなかった。

 背中を向けるタイミングを狙ったいたのだろう。ラビーニャが呼び止める。


「冗談はさておき、せっかくこうして集まったのですわ。たまにはみんなで賭け事に興じるのも、案外楽しいと思いますけど」


 本気とも冗談ともつかない口調である。普通に考えれば、ライズ達を仲間に引き込むための罠なのだろうが。それでも多少は迷いがあった。

 その隙を押さえるように、ラビーニャが続ける。


「ライズはともかく、ペコ達は興味があるようですし」


 言われて見てみると、確かに二人とも、興味津々という感じで賭け事をしている客を眺めている。ライズの視線に気づくと、つまみ食いがバレたような顔で誤魔化したが。


「全然そんな事ないっす! ラビーニャがそんなにハマるなら楽しいんだろうなとか一度だって考えた事ないっす!」

「わ、吾輩も、これっぽっちも羨ましくないのである! ちょっとだけなら遊んでみたいとか思ってないのである!」

「いや誤魔化すの下手かよ」


 嘆息する。どちらかと言えば、ギャンブルに興味がある事よりも、嘘の下手さにだが。


「まぁ、正直俺も、ちょっとくらいは興味がある」


 目の前の蜘蛛の巣に飛び込むような心地で認めた。


「マジっすか」

「吾輩も遊んでいいのであるか!?」

「ちょっとだけだぞ。俺達までラビーニャみたいになっちまったらそれこそ終りだ。ラビーニャも、あんまり唆すような事すんなよ」

「勿論心得ていますわ。あなた達までギャンブルにハマったら、わたくしも遊ぶどころではなくなりますし。どうせ信じないでしょうけど、本当にただ、あなた達とカジノで遊びたいだけなのですわ」


 ふと見せた微笑は、思わず信じそうになるくらいには無邪気に見えた。


「……だから、唆すなって言ってんだろ」

「世間知らずと馬鹿と甘ちゃんのパーティーですわ。悪い輩に騙されないように、わたくしが鍛えてあげているのですわ」


 あっさりと邪な笑みに切り替えて言ってくる。やはり、どこまで本気か分からない言葉だった。

 言いあった所で旗色も悪い。鼻を鳴らしてあしらうと、ライズは尋ねた。


「で、どうすんだ? 自慢じゃないが、カジノなんて初めてだぞ」

「自分もっす!」

「吾輩もである!」


 と、ペコとラビーニャが仲良く手をあげる。


「そうですわね。サイコロ遊びやカードゲームはルールを憶えるのが大変ですし、大勢で楽しむなら――」


 ラビーニャの視線を追いかける。

 そちらでは、ガラス屋根で塞がれた長いテーブルを囲んで、大勢の客が拳を振り上げて仕切りになにかを叫んでいた。


「――昆虫レースが一番ですわね」

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