1.死を経た管理人 -Last-

彼女はそう言って、私の方に顔を向けて、顎でサイドミラーを指す。

彼女に従って、小さく、鏡面にヒビの入ったサイドミラーを見ると、大柄なセダンが一台、この車の背後についているのが見えた。


黒塗りの、セダン。

あの形はトヨタのクラウンだろう。

私は注意深く車を確認したのち、車内に居る人間に目を向けた。


「2つの仕事のうち、一つはこれの対処として、あと一つは…私が一人にならないように相棒探しでもしてくれるの?」


私は、サイドミラー越しに見えた車の様子を察して、レコードをポケットに仕舞いこんだ。

日本の高速道路を走る車の車内で、まず見ることのない長いライフル銃の姿が1つ見えた。


「そう。今は言う暇が無いけれど、後で色々と質問することにしよう」


彼女はそう言って、ギアを一気にセカンドまで下げると、アクセルを床底まで叩き付ける様に踏み込んだ。

私は身体をシートに釘付けにされながらも、落ち着きはそのままに、ホルスターに仕舞いこんだ拳銃を抜きとって、安全装置を外した。


「この処置は注射器を希望?」

「何でもいい。彼らを生かして止められるなら越したことは無いけど」


彼女はそういって私の方に顔を向ける。

私はゆっくりと拳銃を下ろして、ダッシュボードに片手を突っ張ると、助手席に付いたハンドルを回して窓を下ろした。


彼女の前に鎮座する速度計の針が150kmに迫った直後。

加速を続けていたボロ車は一気に減速し始める。

心もとないシートベルトと、片腕をダッシュボードに突っ張ったとはいえ、私の身体は大きく揺さぶられた。


スキール音を上げて、煙を吐き出しながら減速した車は、フラフラと車線を替える。

丁度開いた車線には、黒い物体が迫ってきていた。


「屈め!」


黒塗りのクラウンが真横に付く直前。

私は声を張り上げて叫んだ。


開いた窓越しに、クラウンの運転席側から伸びてきた腕を掴みあげる。

その腕に握られた黒い拳銃は、あらぬ方向を向いたのち、私達の天井に向いて一発の銃弾が放たれた。

破裂音のような銃声を間近に聞いたせいで、聴力が持って行かれたが、そんなのはお構いなしに、私は手早く握られた拳銃を弾き落とす。


その一瞬の刹那の合間に、減速と加速という真逆の行為をしていた車は腕を伸ばしてきたクラウンの運転手の腕の骨を粉々に砕きながらすれ違う。


私は車内に飛んできた運転手の拳銃をキャッチすると、下げていた愛銃と共に、構えて顔の前に持ってくる。

左手に愛用銃。右手に奪い取った銃。

運がいいのか悪いのか、奪った銃も、私の愛用する拳銃と同型の物だった。


「ラッキー。ブローニングだ」


クラウンの背後に付いた直後、ダッシュボードに背を預ける形になった私は、向い合わせの形になった彼女に銃を見せて言った。


「アンラッキー。やっぱり甘いと付けこまれる」


彼女がそういうと、急に身体を屈める。

直後には、銃声とともにフロントガラスが派手に砕かれる音が鳴り響いた。

ばらばらと、助手席の方にも粉々になったガラス片が落ちてくる。


「横着はダメってこと…」


私はそう呟くと、ダッシュボードに寄り掛かった体を起こして、元の方向に身体を戻す。

奪った拳銃の安全装置をかけて足元に捨てると、左手に持った銃を両手で保持して、眼前の車に狙いを定めた。


引き金を引くこと5回。

2発はトランクに風穴を開けただけだったが、1発が後輪を、残り2発が後部座席の人間の頭を貫いた。


ガラス越しに、パッと小さく血飛沫が舞い散ったのを見ると、色違いの自分が再び車のアクセルを踏み込んだ。


私はボロ車とは思えない程に力強い加速を見せる車の助手席で、冷静に拳銃を構えると、助手席の人間目掛けて3発撃ち込んで、彼を人間だったものに変える。

残りの一人は、素早く真横に並んだ車越しに、一発で仕留める。


死人しか載せなくなった車は、速度を失って私達の車の背後に消えていった。


サイドミラー越しにその姿を追った私は、助手席に座りなおすと、拳銃を膝の上に置いて、煙草を一本咥える。

火を付けて、煙を吐き出すと、運転席に居た彼女が小さく鼻を鳴らした。


「ここからこの様子じゃ、先が思いやられる。もう世界は崩れてきたかな」

「もう崩れてるんじゃない?」

「かもしれない」

「無の空間での過ごし方でも考えないと」


私が彼女の呟きに答えると、彼女は小さく口元を笑わせた。


「君は初体験だろうけど、可能性世界の終わりなんて何時だってこんなもの」


彼女は暫く笑っていた顔を元に戻すと、普段通りの口調で言った。


「タイト・ロープとは良く言ったもので、可能性世界の最期は何時だって予想していない事が起きてばかり…」

「天下の往来で銃が必要になることも普通?」

「肯定。普通のこと。ありふれた出来事の一つ」


彼女はそういうと、私の方に顔も向けずに口を開いた。


「ポテンシャルキーパーになれるのは、軸の世界で死んだ者のうち…レコードに選ばれた…もしくは既にポテンシャルキーパーになったものからの推薦でのみなることができるけれど、前者の場合、この混沌とした中で銃も持てず、人を殺す決心も付かずに世界ごと消えて狭間送りになる人間が多い」

「…貴女みたいな、援護は無し?」

「間に合わない。可能性世界は、僕達が観測できる限度を超えてる。だから、軸の世界へ影響を及ぼしそうでないのなら、僕達は見捨てる」

「影響を及ぼさない可能性世界って?」

「影響が極僅かだったり、可能性世界に対する可能性世界だったり…ある程度の世界の揺れはレコードが吸収できるから、それで済ませる」

「なるほどね…漠然としないけど」


私がそういうと、彼女は小さく首を縦に振った。


「日本人のように、平和で、本物の銃すら見たことのない人間が大半を占める土地では良くあること。軸の世界に何も影響を及ぼさなければ、僕達にとってはどうでもいいことだしね」

「…この世界はそうじゃなかった。と」

「そう。この世界の危機は軸の世界への危機と同じ」

「危機、ね」


私はそう言って、咥えていた煙草を灰皿に置いた。


 ・

 ・


結局、黒塗りのクラウンが1台、私達に迫って来た以外は何事もなく勝神威まで戻って来た。

本当に、先ほどの一幕は何だったのかと思う程に、何時もの平日のお昼過ぎの景色。

私はレコードを開いて見てみたが、レコード上では、あちらこちらにレコード違反者が溢れているらしく、真っ赤な文字で書かれた人の名前が、びっしりとページを埋めていた。


「レコード違反者が溢れかえっている割には、何時もの光景だけど」


高速を降りて、勝神威の中心街に向かっている車内で、私はポツリと呟いた。


「そう?それは外面だけしか見えていない」


彼女はそういうと、適当な所でハザードを焚いて、車を路肩に止める。

騒がしかったエンジン音が消えると、街の喧騒に交じって、普段は聞かないような音がチラホラと耳に入って来た。


「何の音か分かる?」

「銃声に、人の悲鳴に…重機の音…?最近、工事はやっていなかったはず」

「小規模とはいえ、この世界の仕組みを知った者たちが行動しだ証拠だ。これほどに銃声が多いのは少々違和感だけど」


彼女はそう言って車を降りる。

私も、彼女の後に続いて車を降りた。


「さて…まだ連絡が来ない。ただ…援軍は続々と来ているらしい。僕達も仕事にかかろう」


彼女はそういうなり、煙草を咥えながら、丁度目の前にある雑居ビルを指さした。


「まずはあのビルの人間を全て"処置"して回る。反抗されたら容赦しなくていい。ただ、何もなければ、注射器を使うんだ。僕は3階までをやるから、君は4階から上をやって」


事態を飲み込み切れていない私を他所に、彼女はそういうだけ言ってビルの扉に手を伸ばす。

私も彼女からさっき渡された注射器を取り出すと、彼女の後に続いて中へと入っていった。


「銃は出さないで。刺激を与えると彼らは全てを知ってしまう」


入ってすぐ、上の階へとつながる階段にたどり着く前。

彼女は私にそう言った。


私は小さく頷いて階段を上がっていく。

入ったこともない建物で、何処に人がいるかも分からないが…今はお昼過ぎ。

大抵の人間は昼食を終えて、午後の仕事に取り掛かっている最中であろうことは容易に想像が出来た。


4階に上がる直前、階段の踊り場で壁に寄り掛かった私は、レコードを開いて、4階にいるレコード違反者を割り出した。

レコードに、ただ単純に、今いるビルの4階にいる違反者は?と聞いただけ。

レコードは、直ぐに答えを返してきた。

曰く、全員。だそうだ。


私は返って来た結果を見て、小さくため息を付くと、丁度階段の前を通り過ぎて行った男の姿を目で追った。

直ぐに階段を駆け上がっていき、彼を呼び止める。


「すいません」


彼は私の声を聞くなり、直ぐにこちらに振り返った。

散々、人々が暴走する話を聞かされ、高速道路で4人も葬った直後だ。

彼もすぐに豹変するのだろうと、少し警戒して近づいていったが、彼はキョトンとした表情で私の顔をじっと見つめていた。


「何でしょう?」


そう言った彼に、私はポケットから取り出した自分の手帳を見せる。

すると、彼は先ほどの小樽の男と同じように、世界から切り離された。

瞳は何も捉えず、耳は聞こえてないだろう。

私はその様子を見て、少々首を傾げると、直ぐに注射器を彼の首筋に突き立てて中身を注ぎ込む。


全てが終わると、私は彼がこの世界に戻ってくる前に彼の横を通り過ぎて行った。

中身を出しつくした注射器の押し棒を引いて、再び中身を不思議な液体で満たす。


「一丁上り…」


私は誰も聞いていない中でひとり呟くと、煙草を一本咥えて火を付けた。

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