1.死を経た管理人 -1-

土砂降りの深夜に出かけてから、もう3時間半が過ぎた。

私は、あの後直ぐ、半壊した車から回収したトランクケースを自分の車に詰め込んで、現場を後にしている。


朝になったというのに空はどんよりとした曇り空で、狭いワンルーム…薄い壁と屋根からは大粒の雨粒が当たっては砕ける音が聞こえ続けていた。

ここは1階部分が車庫になっていて…そこから錆びて朽ち果てそうな階段を登った2階部分が住居となる不思議な建物。


ここが、今の私の暮らしの全てだ。

家具の少ない部屋…唯一音の出せる安物のラジオカセットは、この大雨で碌な電波も拾わない。


諦めて唯一持っている古い外人グループのカセットテープを掛けてみても、カセットテープ自体が外れ品だったのか、3周したあたりでテープが伸びきってしまい、音楽とは程遠い雑音を流すようになったから、ついさっき捨てた。


片付いていて、家具と物の無い空間。

床に敷かれた分厚くいカーペットの上…部屋のど真ん中に座って押し黙っていた私は、何をするわけでもなく唯々その場に居るだけの人形になっていた。


チラッと視線を動かして、壁に掛かったデジタル時計を見てみると、時計は朝の7時12分を回った所らしい。

私はそれを見て、小さくため息を付くと、ゆっくりと立ち上がって、大きな姿見に自分の姿を映し出した。


18歳。訪れることのなかった年齢にまで成長した自分の姿が映し出される。

流行りからもお洒落からも程遠い、白いYシャツに濃い青色のジーパン姿。

黒くパーマすら掛かっていない髪はショートカットに切りそろえられ、きっちりと揃えられた前髪のすぐ下には切れ気味の猫目がパッチリと開いて鏡を見つめていた。


鏡に映った自分を、じっと見つめながら、ゆっくりとジーパンのポケットから取り出した、潰れた煙草の箱を取り出して、中に入っていた一本を咥える。

丁度最後の一本だった煙草を咥えて、箱はクシャ!っと潰してゴミ箱に捨てると、同じくポケットからジッポーライターを取り出して火を付けた。


ゆっくりと部屋の中を見回して…

玄関口代わりになっている扉の横にある下駄箱の上に置かれたメモ帳とペンに目を向ける。

咥え煙草のまま玄関口まで歩いていくと、そのメモ帳に幾つかの書置きを残して、靴を履く。


壁に刺さった釘にぶら下げてあるキーホルダーを掴み取ると、私は部屋に振り返ることなく部屋の扉を開けた。


一気に耳に入る雨音が大きくなる。

階段にも屋根が付いているけれど、その隙間から容赦なく大粒の雨が吹き込んできた。

私は口元の煙草の火が消えないように手で覆いながら、早歩きで階段を降りていく。


カン、カンと濡れた鉄の階段は足音を響かせる。

私は素早くその階段を降りて行き、鍵のかかっていない愛機のドアノブに手を掛けた。


「千尋。ちょっと待てよ」


車に乗り込もうとした私を、男の声が一瞬引き留めた。

私は気にせず乗り込むと、ドアを開けたまま、彼の方に首を向ける。

男…20歳に届かなさそうなくらいの歳の男は、車に腕をかけて私の目の前で屈んだ。


「成果は?」


そう短く尋ねてきた男は私の"上司"こと真島昌宗だった。


「部屋にあるトランクが目当てなら、それが成果。悲惨に散ってった男の遺体が目当てだったのなら、その限りでは無いけど」


私は咥えていた煙草を車の灰皿に置くと、ぶっきらぼうに答えた。

昌宗はヒューッと口を鳴らす。


「トランクで合ってる。助かったよ」

「そう…それで?貴方は何時になったら私に"レコード"とやらを渡してくれるの?」

「もう暫く待ってくれ。お前の分のレコードがどうしても安定していないんで手こずってるんだ…呼び出す方法でこの世界に連れてきたからかな……」


私の問いに、そう答えた彼は小さく鼻を鳴らして顎に手を当てた。

それを見た私は灰皿に置いた煙草を口に咥えなおす。


「で、今日は何処にいる?」

「ぶらついてみようかな。何かありそうなの?」

「いいや。街には居るか?」

「どうだろう。私の気分次第って所」

「分かった…3日後までは何もない。前言ったことさえ守ってくれれば好きにしてていい」


昌宗がそういうのを聞いた私は、小さく頷くと車のドアを閉めた。

階段を上がっていく彼を少し見続けた後、キーシリンダーに挿し込んだ鍵を捻る。

キュルル…とセルが回り、すぐにエンジンが掛かった。


サイドブレーキを下ろして、ギアをバックに入れると、周囲に何もない事を確認して車を車道に出す。

ギアをローに入れて、車を街の流れの一部に変えた私はワイパーを動かす。

煙草を灰皿に置いて…煙を吐き出した私は、大粒の雨が降り続ける街の中心部に車の鼻先を向けた。


私は当てもなく車を走らせようかとも思ったが…結局、この生活になってからすっかりお馴染みになってしまった喫茶店に行くことにした。

カフェ・アップルスター。中心部…近くに高校があって…商店街からも程近い路地に立つビルの中にあるカフェだ。


咥え直した煙草が短くなる頃に到着する。

路地裏の路肩に車を止めて、エンジンを切って外に出た。

レインコートの類を着ていないので、駆け足で店内の扉を開けて入っていく。


カランコロンというベルの音。

一瞬、私の顔を見た店主は直ぐに自分の手元に目線を戻した。


私は普段座っているカウンターの隅の席に腰かけると、お冷を持ってきたウェイトレスに注文を告げる。


「カレーライスと…食後にブレンドコーヒーを…」


そう告げると、ウェイトレスは一礼して去っていく。

手持ち無沙汰になった私は、カウンターの隅に積み重ねられていた新聞を2つ手に取った。


「……」


1つ目の新聞を広げて…徐に煙草を一本取り出そうとして…煙草が無くなった事を思い出した。

ほんの少し目を細めると、開いた新聞の紙面に目を落とす。


2週間後には消える世界の新聞は、私が生きていた頃の世界の新聞と大差は無いように見えた。

何もかもがいつも通り。


政治家の汚職疑惑の記事…

芸能人の何てことない結婚もしくは離婚の記事…

表面だけ変えて、大したことも書かない、相変わらず今日もこの国は平和ですと言いたそうな記事がズラリと並んでいた。


1つ目の新聞を読み終える頃に、頼んだカレーライスが運ばれてきて…私はそれを食べながら2つ目の新聞に手を伸ばす。

行儀は良くないが…昔からの癖だから、それは中々抜けきらないものだ。


ほんのりと辛いカレーを少々時間をかけて食べてゆく。

最初の新聞よりもゴシップ色の強い新聞を眺めていた私は、ふと気になり記事を見つけてスプーンを持った左手を止めて皿に置く。

口内に残っていたカレーライスを飲み込み、水を一口飲んだ私は、新聞を持ってそこに書かれた文字を見て目を疑う。


"動かぬ証拠!これが世界消滅までの道筋だ!"


そんなキャッチで始まった記事。

どう見たって面白半分で読むような新聞の記事だ。それも、殆ど誰にも読まれず…一部の読者だけが面白がりそうな内容の。


だけど、今の私にはそんな記事が嫌に現実的に思えてしまっていた。


"来る1986年8月上旬、ついにこの世界は終焉を迎える。"


その記事の予想するこの世が消え去る時期は2週間後だった。

1999年だっていうなら、私も少しだけ聞いたことはあるが…

そんな、"嫌に現実的な"値を書いたゴシップ記事に、私は少しの間夢中になる。


"1週間前。世の人々の4割が世の終焉を自覚する"

"3日前。世の人々の8割は終焉を自覚し、回避する術を求め始める"

"1日前。回避方法に得ることに成功する"


そこに事細かに書かれた世界が終わるまでの流れ。


"1週間前の段階でこの世の経済活動の殆どが破綻する"

"混乱に陥る世界の中で勃発する局地的な暴動によりこの世の4割が死亡"

"回避策発見後、生き残った人間はその回避策を成功するために人種・主義・信仰を関係なく団結する"

"【もし】回避策が成功した場合、その先の世界では人種・主義・信仰を火種とした争いは起きず、世から国境というものが消える世界となるだろう"


何処の人間が書いたのかも分からないような、切れ端に書かれている記事を読み進める。

一通り読んで…食べ残していたカレーのことを思い出して、全て食べきってから、再び記事に目を向けた。


ガラガラという音は聞こえてこないが、どこか自分の中の常識が塗り替えられたような感覚に浸りながら、その記事を2,3度読んだ私は、新聞を閉じた。


電波記事が書かれたそれを元に戻す。

すると、その新聞が戻されるのを待っていたかのように、見知らぬ男がその新聞を手に取って席に戻って行った。


一瞬私のことを睨んだような気がしたが、私は何も気にせずに、運ばれてきた食後のコーヒーに手を伸ばす。


新聞を持って行った男のことが気にかかったのは事実だが…"上司"である昌宗曰く、あくまでも私は"空気"以下の存在らしいから、一般人に干渉することをよしとされていない。


だから私はコーヒーを飲み切ると、サッサと会計を済ませて店を後にする。

店を出ると、さっきまでの大雨が一転して夏らしい晴れ空に変っていた。


暑さのせいなのか、路面からは湯気が少しだけ立ち込めている。

車まで戻って、ドアを開けて乗り込むとエンジンをかけた。

ワイパーを数度動かして、フロントガラスの水滴を消し去ってから、ゆっくりと車を車道に出す。


車内の時計はまだ7時半を少々過ぎた辺りだ。

ようやくこの街も起き出してきた頃合い。

このカフェのように早朝からやっているお店はそうないのだが…普段煙草を買っている街外れの煙草屋はそろそろ開く時間だった。


私は少々時間はかかるが、その煙草屋がある方向に車を向ける。

そして、今日はそのままこの街を出てみようと心に決めた。

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