短編

Neko

【相続から譲渡】

 俺は特別なんだと思う。こんなにも人から外れた行いをしているのに、報いは一度たりとも受けたことがない。被害を被るのは、いつも人間じみたやつらばかりだ。


 足元に転がった死屍累々の光景を、光を灯さない漆黒の瞳に映しながら一人思案する。


 裏社会を生きるその男は、近年類まれな才能に恵まれ、人間業とは思えない偉業を成し遂げてきた。一介の構成員に過ぎなかった彼は、いつしか闇の統率者となった。誰もが彼にひれ伏し、降伏する。しかし、その光景を目にしても彼の心は動かない。人間としての感情を失ったその姿は、神から遣わされた使徒のようだ。


 とある投資家が言っていた。「君は、特別だ」と。その投資家もまた、比類ない才能を持っていた。彼はとある凄腕の医者に出会ってから、その才を如何なく発揮してきた。瞬く間に投資家は大富豪となり、裏社会にまで目を付けられることになる。男と投資家が出会ったのは、何年か前。大きな取引をした際に豪華な料亭で出会った。当時、男は末端の構成員でしかなかった。



 「君は、特別だ」、それが富豪の発した最初の言葉だ。


 富豪との面会を機に、男の人生が一変し、何事も万事うまくいくようになった。

しかし、富豪は人間であった。男と出会って5日後、順風満帆だった富豪は取引にことごとく失敗し、自ら命を絶った。


 「私は、人間だった」、それがかつて巨万の富を一人で築いた天才の最期の言葉であった。



 後処理を他の奴らに任せ、男は地獄のような光景を背にして歩き出す。一人の若い男が身辺警護を名乗り出たが、手を軽く振って断る。どうせ俺は死なない。

 明け方の朝日が目に刺さる。闇を生きてきた男に光は眩しい。光を避けるように暗い路地に入った。ふと目を上げると、小さい協会がある。

 男はふっと笑った。神なんて存在しない。もしいたのなら、俺は真っ先にその報いを受けているはずだ。彼は無神論者であった。


 いつもは気にしない建造物だが、今日は違った。明け方からいもしない神に祈りを捧げるような人間がいたら、見てみたいと思ったのだ。純粋な興味で、こじんまりした協会の中を覗いてみた。


 はっと息を呑んだ。女がいる。協会中央の祭壇で、膝をついて手を祈りの形に組んでいた。女を祝福するかのように、明け方の光が彼女を際立たせていた。

 思わず後ずさったのが悪かった。じゃりっと、靴が擦れて音を立てる。


 女がこちらに気づいた。男はしまった、と思った。

 「・・・あなたも祈りにきたの?」

 彼女は床まで伸びた絹のような金髪を揺らしながら、小首を傾げ、微笑んでそう尋ねる。透き通るような蒼い瞳は、この世の全てを見透かしているようだ。

後光を背負った彼女の姿はまるで―――。



 人生何があるか分かったもんじゃない。ふとしたことから人生が変わることがあると、男は実感した。あの邂逅から、二人は会話を交わすようになった。


 「貴方の行いは神に認められたものではないけれど、私は一人の人間として貴方を扱います」

 祭壇の中央で微笑みながら、彼女は宣言する。


 「貴方は、どう生きてきたの?」

 頭に傷を負い、朦朧とした男の瞳に彼女は優しく問いかける。


 「貴方は、孤独ではないわ」

 銃創を負った男の腕に触れながら、慈雨の笑みを携えた彼女は言う。


 「私は貴方と同じ人間です」

 病に侵され、うなされている男に、透き通った碧眼が訴える。


 「どうか、死なないで」

 全身に銃弾を浴び、もはや意識のない男を抱え、彼女は一粒の涙を流す。


  男は最後の力を振り絞って、彼女の頬に手を伸ばした。と、同時に、彼女と人生を共にしてみたかったと、そんな人間じみたことを考えた。


 ―――・・・あぁ。

男は気付いてしまった。


 ―――俺は人間だったのか。

男は女の手の中で、最期に知った。



 あるところに女がいた。

 まるで神から遣わされた天使のように、光を帯びた長い金髪に透明な青い瞳を持った女だった。裏社会を統べる大悪党が亡くなってから、彼女はまるで神の使途のようにすべての人の心を浄化していった。


 彼女を見た人々は口を揃えて言う。


 彼女はまるで女神のようだ、と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る