例え、この世界に言葉が溢れていても

星海芽生

君だけが教えてくれるもの

「委員長!」


 廊下を歩いていると、後ろから私を呼ぶ声がした。

 振り向くと、駆け足で近寄ってくる一つの影を見つけた。


「…水野君」


 私に名前を呼ばれた彼は、ニコニコと笑顔を浮かべながら私の隣に並ぶ。


「今さ、ちょっといい?」

「いいけど…」

「見せたいものがあって……、じゃーん!」


 彼は、背中に隠しながら来たのであろう一枚の紙を出した。

 突然出された紙をなんだろうと見てみると、65点と赤字で書かれた古文のテストであるようだった。


「これは…?」

「この間の古文の追試!」

「ああ…抜き打ちの…」

「そう!! いっつも10回くらい受けなおし食らってるんだけどさ」


情けなさそうに笑いながら言う彼に

知っている、と私も小さく笑った。


クラスの人気者で

違うクラスの人とも交友が沢山あって

運動神経がとても良くて

それに反比例するかのように勉強は苦手で…

だけど

勉強なんて適当でいいじゃんかという人の中でも

彼は、しっかりと追試を受けている。

成果がなかなか伴わなくても

授業中寝てしまうことが多くても。

決まりごとは守り

やらなければならないことはやる。


そんな姿を、私はいつも、見ていた。


誰がその姿を笑おうとも。


「だけどさ、今回は1発で合格したんだよな」


合格点ギリギリだったけど、と表情が苦笑いに変わる。

それに私は首を振った。


「ギリギリでも合格は合格です。おめでとう」


なかなか伴わなくとも

1番最初のテストで受かるのが正しいことだったとしても

その後の努力は、後付けでしかないとしても

その一つ一つの壁を乗り越える力は本物だと、私は思う。


逃げ出すことだってできる。

それによって、叱られることはあっても

重い罰を受けることはない。


それでも、この人はそれをしない。

絶対にしない。


私は、それを知ってる。


だから、心から言える。

おめでとうって。



「ありがとう。でもさ、これ委員長のおかげなんだ」

「私?」


思いもよらない言葉に思わず彼の顔を凝視した。

そんな私に、彼は嘘偽りのない顔で視線を返してきた。


「そ! 追試受ける前にさ、アドバイスくれたじゃん?」


『木曽先生は、1つ前の授業で取り扱った作品に出てくる単語と

文法の問題を出すので、今回のだと…この頁から…この頁までを

復習したら、大丈夫だと思いますよ』


「ってさ…。友達の皆は、勉強に関してはてきとーだからさ

聞いても答えてくれないし、一応自分なりにいっつも勉強してんだけどさ

なにせ授業中寝てるからさ…」

「…うん」

「普通に授業聞いてたらわかる事でも、わかんない俺にさ

聞いてないのに、優しく教えてくれた。

だからさ、委員長のおかげだよ」

「いえ、そんな……」


あまりにも、真っ直ぐにお礼を伝えてくれる彼に

思わず顔が火照る。

真っ直ぐに視線を返せなくなる。


「委員長って、凄いよな」


変な汗を背中に感じながら

火照った頬を覚まそう掌で仰ぐ私に

また迷いのない声で彼は呟いた。


「え…?」

「古文もだけど、現代文も英語もさ、先生に単語の意味とか

あてられてもすぐ答えられてさ。なんでも知っててすげぇなって」


知らないことなんかなさそうだという水野君に

そんなことはない、と私は返す。


教科書に載っていること

先生が教えてくれること

辞書で引いた言葉


私が知っているのは“学校”で習うこと

”授業”で学ぶことばかりで

それ以外のことになったら、きっと水野くんたちの方が何でも知っている。


それに、最近ずっとわからなくて、困っていることがある。


「ずっと…わからないことがあるんです」



ただ一人、周りに流されることなく

必死に試験を受けるその姿を見る度に

ぎゅっと、締め付けられる胸の感覚。


会話などするほどの仲ではないけれど

ふとした時に言葉を交わした時の微かな喜び。


それでも、他の人たちとは違って、委員長と呼ばれ

親からつけられた名が紡がれることのない寂しさ。


遠くから見つめながら

夜、一人窓の外を眺めながら

思い出す。ただ一人を。


この感情を、表す言葉がわからない。



「委員長がわからないこと?」


不思議そうに顔を覗き込んでくる彼に

顔の火照りが増す。


わかる。わかるけれど。

この感情につける名前はわかるけれど。


もしも、そんな勇気たったの一ミリもないけど

貴方にこの気持ちを伝えるとした時に

どんな言葉で伝えたらいいのかわからないの。


知ってるよ。

これが恋ってものなんでしょう?

教科書に載ってる小説を書いた

あの有名な文豪たちが身を削って悩んで

時には命すらかけて抱いたもの。


あの人たちは、教科書に載るくらいの文才があって

それでも、恋を表現する文章は全ての人が理解するには

難しすぎる言葉の紡ぎ方で。


それを授業で習って

なんとか知識として落としているだけの私には

益々、この想いを表す事が出来ない。


好きです。なんて

クラスの子たちが言っているように簡単に言えるほど

簡単で明白な想いではないし

かといって、あ…愛してる。なんて

そんな恥ずかしい上に仰々しい言葉は使えない。


「水野君なら…わかるのかも」


私に、この気持ちを教えてくれた人だから。

君の傍にいて、君へのこの気持ちに向き合い続けていたら

いつかはこの問いに答えが出るんだろうか。


「俺?」


きょとんとした彼の声に我に返る。

無意識とは言え、とんでもないことを言った。


「あ、いえっ、その」


ここで、疑問を打ち明けようものなら

それは最早自分の気持ちを本人に打ち明けるようなもの。

それだけは回避したい…!


「ええっと…これは…なんというか…」

「…ふ、ははっ」


突然笑いだす彼に

今度は私がきょとんとする番だった。

目じりに涙を浮かべせながら笑っている。


「な…なに…」

「いや…っ、突然あてられても平然としてんのに

今、そんな焦ってるから…おかしくてさ…ははっ」

「ひ、ひどい、そんなに笑わなくても…!」


酷い、と言いながら

内心私のことで笑っている事実に喜んでいる自分が情けない。

しかし、まぁ、可愛い笑顔ですこと…!


「ごめんごめん。

…じゃあ、今度からは二人ともせんせーだな」

「へ…?」

「委員長が何に悩んでるのかわからないけど

俺が応えられるかもしれないことなんだろ?」

「う…、うん…?」

「そんな焦るくらいだし、すぐに聞いたりしない。

いつか、委員長が聞いてみたいって思ったら教えてよ」


その代わり…


そっと水野君が私に近づく。

吐息が聞こえる距離に、胸がドキリと高鳴った。

自分の息が止まる。


「また、勉強、教えてくれよな」


じゃーなって、片手を挙げながら

沢山の友達の中へ帰っていく。


友達の群れの中に入り

その中心となって笑う彼の姿は

さっきまで、私と話していたとは思えないほど

遠く感じて。


それでも、耳元で小さく交わされた

約束とも取れないような二人だけの約束と

頭をぼんやりとさせるほどの顔の火照りが

言い表せない気持ちを厚くさせていく。


もっともっと、厚くなって

熱くなって

膨れて

溢れそうになって

この胸が壊れてしまいそうになった時

君へ伝えるべき言葉が出てくるのかもしれない。


今考えて、その言葉は

好きでも愛してるでもないと思ったこの気持ちを。


君を前にして、咄嗟に出てくるその言葉が

きっと、私が探している答えなんだろうと思う。


ただのクラスのまとめ役という肩書を持っただけの

冴えない私が

クラスの人気者の君に想いを伝える。

そんな日が来るとも思えないけれど。


クラスメイト達の間から

ふと、水野君と視線が合う。

その瞬間に、優しく微笑む彼に

きっともう、逃げられない、と思った。


もう二度と、この想いは消えない。

答えを見つけるまで。

そして、多分、見つけてからも。


そんな、きがした。

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例え、この世界に言葉が溢れていても 星海芽生 @mei_h

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