第15話 島野耕助(28・会社員)―その5―
週明けに事態は大きく動く。
「おはようございます」
耕助が出勤したが、社員たちは一様に彼から目を外していた。無視をしているわけではないのだろうが、なるべく触れないように努めている雰囲気である。
空気のおかしさを察した耕助は、すでにデスクに座っている課長のもとへ駆け寄った。
「何をなさったんです?」
「訊く前に自分のデスクを確認してはどうかね」
言われた耕助は自分のデスクへ向かった。そこには張り紙でこう書かれていた。
「本日人事部に島野耕助君の退職届を提出した。数日中に受理されると思われるため、近日中にデスクの荷物をまとめておくように」
耕助が海原課長の方を向くと、彼はあの喫煙室の時のようなにやにやした笑顔を見せつけてきた。
「おはようございます。どうかしましたか?」
遅れて下田係長が入ってきた。すぐに彼は耕助の持つ紙を取った。そして書いている内容を見て表情を変えた。
「課長、これはどういうことですか?」
下田係長は紙を手にしたまま課長のもとへ向かった。
「そういうことだよ下田君。彼は近日中にこの会社からおさらばすることになった」
「退職届、ということは、島野君があくまで自分の意思で辞めた形を取ると、そういうわけですか?」
「好きなように取ればいいさ。とにかくあいつは辞めることになるんだ」
「でしたら僕を辞めさせるべきではないでしょうか? こんなことを言っては何ですが、あなたがここまでお
「わたしの成績の半分は君のおかげだ。君がいなけりゃ、わたしの今の立場もなかったかもしれない。だから下野君に今ここで辞められてしまうとわたしが立ち行かなくなるんだよ。それに悪いが、私の島野への恨みはそれだけで語れるもんじゃない。下野君、君は一日あいつの話を聞いただけ。それだけで全てを分かったつもりになられちゃ困るね」
「僕は全て分かっているつもりですよ」
「どうだかな。さあ、そこをどいてくれ。今日は部長について取引先へ向かわなければいけないんだ。先日亡くなられた、赤座さんの件でね。じゃあ、後はよろしくな」
海原課長は鼻歌交じりに部屋を出ていった。耕助はデスクに座り込むことしかできなかった。
社員達はまたひそひそと話し込んでいた。
「できることなら殺してやりたいですよ!」
昼休憩、あの時と同じように耕助と下田係長は社員食堂で食事をとっていた。
「あんまりそういうことは大きい声で言うもんじゃないよ」
「分かってますけど、悔しいですよ。勝手に退職届出して、しかもそれが受理されるかもしれないなんて。人事部も何やってんだ」
「願いじゃなくて届だからね、基本的には無下にできないんだろう」
下田係長は冷静に弁当を食べている。決して腹を立てているわけではないことは耕助にも判断できたが、それでも巻き込んでしまった申し訳なさと、課長に立ち向かってくれたありがたさで、すっかり恐縮してしまっていた。
「課長を辞めさせられないなら、逆に向こうが辞めてくれるように差し向けることはできませんかね?」
「いい案あるの?」
「あったら苦労しませんよ。はあ、何とかできないかなあ」
その時、係長はとんでもないことを言い放った。
「さっき殺したいとか何とか言ってたけど、たしかにこの世から消すのは手っ取り早いかもね」
「本気ですか!?」
「自分で殺さなくても、事故らせたり自殺に追い込んだり、やりようはいくらでもあるんじゃないか」
ふと、耕助はある噂を思い出した。今、巷でまことしやかに囁かれている殺し屋の噂を。
「下田係長って、殺し屋の噂、聞いたことあります?」
「何? それに頼もうって思ってるわけ?」
「噂が本当か知りませんけど、本当だったら何とかなると思いませんか?」
「藁へもすがる思いってやつか」
「だめな時はその時です。何とかそこに連絡を取りつけて……」
「どうやって?」
「どうやってって、それは……あれ、ええと、どうやって連絡とればいいんだ」
「『#259』」
係長は声のトーンも変えずに言った。
「え?」
「殺し屋の電話番号。『#259』だ。僕の知ってるのはこれくらいだよ。殺し屋なんて本当かどうか分からないから、僕も色々策は練っとくよ」
帰り道、耕助は通話履歴が残らないように、公衆電話を使ってこの『#259』へ繋いだ。
「ご依頼ですか?」
出たのは女性の声だった。本当に繋がったことで、耕助は思わず息を詰まらせたが、すぐに切り替えて言葉を発した。
「殺してほしい相手がいるんですが」
軽い依頼内容を伝え、詳しく話をするために、明日の夜、殺し屋と落ち合うこととなった。場所はとあるバーである。
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