第6話 赤座美紗(34・主婦)―その6―

 二人は場所を変え、あるレストランへ入った。そこは一席ずつ個室のようになっており、周囲に話を聞かれる心配が少ない場所だった。

 店の中でも特に奥の方に席を取った。コーヒーだけを注文し、本題へと入っていった。


「本当に、下田さんが殺し屋なんですか?」


「昨日あなたの話を聞きたいって言ったけど、実は殺し屋のことをお伝えするつもりだったの。もちろんわたしが殺し屋だなんて自分から言うつもりはなかったわよ。あくまで噂っていうていでね。でもあの場所でその話が出るなんて思ってなかったから、手間が省けてよかったわ」


 美紗はいまだにこの状況についていけていなかった。昨日まで普通に会話していたママ友が、殺し屋を名乗って目の前に座っているのである。こんな経験は当たり前だが普通は起こり得ない。

 下田はコーヒーを一口すすってから続けた。


「それで、殺したい相手は誰なの?」


「夫です」


「そうだと思ってたわ。原因はやっぱりモラハラ?」


 美紗は昨日のことを話した。相槌を打ちながら彼女の話を聞く下田の一挙手一投足には、昨日までには感じなかった危険な色気を感じさせる。


「ひどいわね。どこまでもあなたを下に見てる感じ」


「正直、モラハラは以前からありましたけど、もう耐えられなくなりました」


「離婚は考えなかったの?」


「考えたことはあります。でも、彼はわたしが世間知らずなことを分かってるから、離婚しても一人で生きられないと思ってるんです。まあ、実際その通りなんですけど……」


「要は弱みを握られてるようなものってことね」


「ええ、まあ」


「あなた達のこと、もう少し詳しく教えてくださるかしら。出会いから現在に至るまで」


「分かりました」


 美紗が康夫と出会ったのは高校生の時である。だがこの時はまだ恋愛に発展せず、卒業してしまった。

 地方の大学に進学した彼女は、ある時学内で康夫と再会した。聞けば彼も美紗と同じ大学を偶然にも受験しており、合格を決めていたのだった。

 このことをきっかけにして、二人は高校の時よりも仲を深め、ついに交際へと進展した。


「結婚は大学を出てから?」


「そうです。夫に卒業したら結婚しようと言われて。わたしもそのつもりでした」


 康夫の仕事能力が高かったのか、彼は社内で評判を上げ、現在は部長に昇進、若くして副社長の地位にまで昇り詰めるのではないかと噂されているらしい。

 康夫のモラハラ気質が出始めたのは、彼の地位が確立されてきたころからだった。


「自分の金で食わせてやってるんだ、という態度が日に日に強くなってきました。京太が生まれると、ますます私への当たりが強くなってきて」


 ここまで話して、美紗は涙を流した。静かにすすり泣く彼女を、下田はただ見つめているのみである。


「すみません、泣くつもりはなかったんです」


「別にいいわよ。十年以上、自由を奪われて暴言も吐かれて、よく耐えてきたわね」


「ありがとうございます」


 下田はペンと一枚の書類を取り出した。


「覚悟はできてる?」


「はい、もうできてます」


「じゃあ、ここにサインをして。注意事項もちゃんと読むのよ」


 書類には三つの注意事項が書かれていた。


「一、報酬の支払いは期限を越えてはいけない」

「二、依頼の内容を他人に口外してはいけない」

「三、依頼後も絶対に後悔してはいけない」


「守れなかったら、その時は覚悟しといてね」


「はい」


 美紗は震えたが、意を決して、書類にサインをした。

 下田は受け取ると、サインを確認した。


「いいわ。これで契約成立ね。で、殺し方はどうする?」


「それもわたしが決めるんですか?」


「ええ、でもこちらで用意されてるものから選んでもらう形よ」


「……おすすめの方法はあるんですか?」


 下田は少し考えてから質問した。


「ご主人って近いうちに一人になるタイミングってあるの?」


「一人かは分からないですけど、来週の月曜日から出張が入ってます」


「場所は知ってるの?」


「はい」


「なら狙撃はどうかしら? 出張先のホテルにいらっしゃる時に遠くから的確に急所を狙うの。あなたが疑われることもないし、確実よ」


「なら、それにします」


「じゃあ決まりね。早くても月曜日だから時間がかかるけど、もう少しの辛抱だから」


 下田が立ち上がろうとした時、美紗はふと気になったことを投げかけた。


「あの、報酬はいつお支払いすれば?」


「うちでは成功報酬にしてるの。成功したらこちらから連絡をするわ。その時にお話ししましょう」


 言い終わった後に、下田は何かをひらめいた表情をした。


「そうね、報酬額くらいは決めておいてもいいかもしれないわね」


「そうしてもらえるとありがたいです。おいくらですか?」


「料理教室の月謝4年分、で、どうかしら?」


「月謝分?」


「もちろん一気にお支払いいただく必要はないわ。4年分なら京太君が小学校を卒業するまででしょ? その時までうちの教室に通ってくだされば、それでいいわ」





 美紗のもとに夫の訃報が入ったのは、火曜日の早朝だった。

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