第60話

「さあ、降参するのですっ! 私にこの弓を撃たせないで欲しいのですっ」


 チェルシーの勇ましい声が、高らかに訓練場内に響き渡った。


 弓矢の狙いはハルベルトの眉間に定められており、防護の加護を以ってしても、尋常でないダメージが予想される。


 ハルベルトは半ば観念したかのように薄く笑うと、ゆっくりと視線を下に落とす。


「綺麗な足だ。俺の元で女を磨けば、お前なら必ず最高の女になれただろうに…」


「……分かったです」


 そのとき聞こえた予想外の返答に、ハルベルトは再び顔を上げた。しかしそこにあったのは、まるでゴミでも見下ろすような、心底冷め切った翡翠色の瞳であった。


「最期の言葉として、受け取ったです」


 ドッシリと据わった彼女の瞳は、その弓を射る事に何の躊躇いも無い事を雄弁に物語る。


 その瞬間、生命の危機を感じ取ったハルベルトは、慌てて声を張り上げた。


「参った! 降参だ! 俺の敗けだ!」


   ~~~


「ハルベルト様ー」


 爆風で乱れた髪もそのままに、ハイスとロートがハルベルトの元へと駆け戻った。


「済まない。お前たちの覚悟を、勝利に変えることが出来なかった」


 まだ身体が痛むのか、ハルベルトはふらつきながらも何とか一人で立ち上がる。


「仰らないで下さい、ハルベルト様。私たちが期待に添えられなかった事が敗因なのですから」


「そうですわ。ハルベルト様が敗けた訳ではありませんわ」


 ハイスとロートが縋り付くように、両脇からハルベルトの身体を支えに入った。


「そうか。この敗北は、お前たちの責任か…」


 ハルベルトは力の無い声で呟くと、ハイスとロートの顔を交互に見つめる。


「だったら、仕置きが必要だな!」


 次の瞬間、ハルベルトは二人の身体をドンと両手で突き飛ばした。


「仕置きとなれば激しくいくぞ。覚悟することだ」


「は、はいー、ハルベルト様ー」


 その突き刺さるような鋭い視線に射抜かれ、二人は身をよじりながら恍惚の表情を浮かべる。


「あのー、ハルベルト殿…」


「言わずとも分かっている」


 そのとき所在無さげに現れたザイードに、ハルベルトは不遜な表情を向けた。


「この勝負は俺の敗けだ。約束どおり我が名を以って、ヤツらの罪を帳消しにしてやろう!」


 そうしてハルベルトは、声高らかに宣言した。


   ~~~


「やったですーっ! コーヘーさん、私ちゃんとやり遂げたですー」


 チェルシーが満面の笑みを浮かべながら、神木公平の胸元へと飛び込んでいく。しかし次の瞬間、革製胸甲鎧ブレストアーマーの首元をむんずと掴まれ、チェルシーの両足が空を切って空回りした。


「なんですか、トーコさん? ただの幼なじみさんは邪魔しないで欲しいですー」


 チェルシーはジト目で振り返ると、佐敷瞳子に囁きかける。


「ただの…知り合いの方が、もっと関係ない」


 佐敷瞳子も視線を逸らさず、負けじとキッと睨み返す。


「何だい、コーヘー。アンタ嫁がいるのに、えらくお盛んじゃないかい」


「ちょ、ちょっとメイさんっ。訳の分からない事を言わないでください」


 何やら意味深な表情でバンバンと背中を叩いてくるメイに、神木公平は焦ったような声を上げた。


 そのとき傭兵組合本部の三階執務室の窓辺に、賑やかな光景を見下ろす影がひとつ…


「おやまあチェルシーったら、面白そうな子たちを連れてきたじゃないの」


 愉悦な笑みを浮かべながら、ひとりの女性が佇んでいた。

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