半々
大塚
第1話
明日山田が出てくるからおまえ迎えに行け、あいつはしばらく岡山に置くことになったから適当なところまで送ってやれ、と
運転席の窓を叩いて半分寝ていた俺を起こしたのは
「髪」
「あ?」
「なんでそんな長いん」
逮捕収監刑務所在住となれば坊主が相場ではないだろうか。山田の髪は檻に入る前よりもだいぶ長くなっており、肩口でもつれる漆黒を見てこいつ癖毛やったんかと今更気付く。山田とは俺が14の年からの付き合いだ。山田は俺よりふたつ年上で、23の年で傷害事件を起こして逮捕された。
「俺、牢名主になってね」
「は?」
「牢名主権限」
「髪伸ばすんが?」
「そう。いいだろ」
「知らん」
言い合いながらクルマを走らせ、いちばん初めに見つけたコンビニで髪を縛るゴムとペットボトルのお茶と弁当とおにぎりとホットスナックを買った。山田が食べたいというので棒アイスも買った。過ぎた夏の限定商品だ。残っとって良かったな。
「岡山だっけ」
「せや。知っとんか」
「田鍋さんから手紙は貰ってた。そうか、俺、東京にいちゃマズいのか」
「おまえ、自分が誰をボコしたんかもう忘れたんか?」
助手席で長い脚を立てて座る山田はまず髪を肩口で纏め、それから煙草に火を点け、ひとくち吸った紙巻きを俺の口に押し付け、買ったばかりのアイスの封を切った。
「美味い」
「良かったな」
「食う?」
「要らんよ」
「食えよ」
流れるように伸びてきた山田の左手が紙巻きを取り上げ、代わりに棒アイスを口に突っ込んでくる。ああもう。
「はんもはわっへへんな」
「あー?」
「なあんも変わってへんなぁ! 4年やぞ!? 4年もム所におったら、多少はまともになるかと思うとったわ!」
「まとも。てなに」
アイスを食い終えた山田が俺の横顔をじっと見詰めて笑う。4年。4年も経ったのに山田は本当に何も変わっていなかった。嫌味なほどに整った顔立ちも、そこに浮かぶ笑みに何の感情も含まれていないことも、コンビニで選んだ煙草も、食べたことのない限定品のアイスをすぐに買うところも、なにも。14と16で出会ったあの頃から、どうしてこんなに何も変わらずにいられるのだろう。
「おまえがぶん殴ったチンピラ……」
「
「覚えとんかい」
「死んだ?」
「……ああ」
「ふーん」
23の年、山田は俺たちが世話になってる組の縄張りを荒らしたチンピラをぼこぼこにぶん殴った。山田は大抵の人間よりも背が高くガタイが良くなにより他者に暴力を振るうことに対して何の躊躇いもない側の人間なので、キャバの店長から連絡を受けて駆け付けた俺が止めなかったらたぶん花畑はその場で殴り殺されていた。花畑は意識不明重体のまま病院でたくさんの管に繋がれて2年を過ごし、それから死んだ。
問題は。花畑親男が俺たちが想定していたよりちょっと偉いチンピラだったということだ。俺たちが世話になってる
「岡山に誰がいんの? 俺のこと引き受けてもいいなんて変なやつだね」
「
「んぐ」
新しい煙草に火を点けた山田の喉から変な音がして、俺はくちびるの端をひっそりと歪める。真砂さん。元ヤクザ。なんで足を洗ったのかっていうと、幹部をやってた組織が色々あって解散したから。右腕だった男も死んじゃって、こちら側の世界に何の未練もない真砂さんは生まれ故郷の岡山に帰ってしまった。山田が収監されている4年のあいだに起きた出来事だ。
「あの人苦手」
「なんで。ええ人やん」
「ええ人だから。だってヤクザだぜ。あの人だって人殺してるだろ。それなのにええ人って、絶対おかしい」
「せやなあ」
軽口を叩きながら下道をやめて首都高に乗る。田鍋さんには適当なところまで送ってやれと言われたけれど、適当ってどのあたりまでなんだろう。名古屋かな。
窓を薄く開けた山田は無駄口をぴたりとやめ、安全運転を極めたクルマを追い抜かしていくほかのクルマたちをぼんやりと眺めている。吹き込む風で纏めきれなかった髪がふわふわと舞っている。本当にめちゃくちゃええ男やな。顔だけはな。それ以外は全部駄目。倫理観ないし、暴力衝動をコントロールできないし、牢名主になったなんてへらへらしていたけどそれだってどうせ人を殴ったり蹴ったり、最悪死なせたりしてその地位を手に入れたんだろう。いちばん上に座っていた方が、刑務所の中でも幾らかは居心地良く過ごせるだろうから。
中央自動車道に入ってからは目に付いたSA全部に立ち寄った。山田がそうしたいと言ったからだ。山田はすべてのSAで名物とされているモノを食い、クルマの中で食べるからと言ってお土産用のお菓子を買い込んだ。山田が飯を食っているあいだ俺はクルマにずっといた。支払いはすべて田鍋さんが持たせてくれた茶封筒の中の札束からだが、こんな調子で無事岡山に辿り着けるのだろうか。マジで名古屋で新幹線に叩き込んだ方が無難な気がしてくる。
夜になって、SAの駐車場で眠って、朝になってまたクルマを走らせた。眠っている俺の頬を山田が手の甲で撫でたり、頭を触ったりしているのには気付いていたがしたいようにさせた。だが、両腕だけは絶対に駄目だ。腹の上で硬く腕を組み、少し暑かったけど黒いシャツの袖も下ろしたまんまでいた。
名古屋で高速道路を降りた。寄り道ばかりしていたから、また夜になっていた。
「味噌煮込み食いてえ」
「食い意地」
「おまえが送ってくれるのはここまで? 岡山までは連れてってくんねえの?」
「……俺も仕事あんねん」
嘘だった。別に俺は、暇だった。14の年で田鍋さんに拾われた俺は不良だったとか喧嘩が強かったとかではなく、どっちかというと何の取り柄もないつまらない14歳だった。だけど、田鍋さんがなんで俺を拾ったのかは、知ってる。
「じゃあさ、どこでもいいから宿泊まろ」
「は?」
「そしたら明日すぐ新幹線乗ってやるよ」
「……言うたな。忘れんなよ」
ジャケットの胸ポケットからスマホを取り出し、今すぐ泊まれそうな宿を検索する。ラブホじゃなければどこでもいい。とはいえあんまり古くて汚いのも嫌だ。都合よく新規オープンしたビジホとかないかな。と思いながら探していたら、あった。すぐ電話をする。素泊まり2名。予約完了。
「行くで。ベッドで寝れる」
「味噌煮込みは?」
「チェックインしてからな!」
そういうことになった。
都合よく新規オープンしたばかりのホテルは当たり前だが大変綺麗で、俺たちのような得体の知れない男ふたりにもフロント係は愛想良く、部屋は広く、ベッドはでかく、ユニットバスとは別に大浴場もあるという話だった。が。
「俺入れねえ。ひとりで行ってこいよ」
「言われんでも行くわ」
山田の背中には馬鹿でかい観音様だか水滸伝の英雄だか石川五右衛門だか知らんが何某かの極彩色の刺青が入っている。俺は筋彫りすら入れていないので、堂々と大浴場を使うことができる。
ホテルの外で念願の味噌煮込みうどんを食い、ついでに洒落た喫茶店でコーヒーを飲んでから部屋に戻り、俺はいやにがらんとした大浴場、山田はユニットバスに入っていった。大浴場の前に置かれた自販機でビールを買って戻ると、バスローブを引っ掛けた山田がベッドの上で黙々と髪を拭いていて、
「ドライヤー使え」
「どこにあるのか分かんねえ」
そもそもこいつは『ドライヤー』というモノを視認したことがないのかもしれない。昔からちょっとそういうところがある。部屋の中の引き出しを幾つか開けたら、備え付けのドライヤーが出てきた。
「乾かしてやるから、」
こっち来い、と言った瞬間手首を掴まれていた。
「おまえ、まだやってんのか」
「……関係あるか?」
注射痕だらけの俺の左腕。それを長い髪のあいだからじっと睨み据える山田。余計な世話だと思った。俺が俺の体をどうしようが、こいつには何の関係もなかろうに。
「戸川組はおくすり厳禁なはずだったけどな。俺が4年入ってるあいだに変わっちまったのか?」
「どうやろな。俺も誰の許可も取らんでやっとるからなぁ」
睨み合う。俺は山田のこういうところが嫌いだ。大嫌いだ。14の年。俺は通っていた中学の先輩のさらに先輩グループの手引きで『おくすり』に手を出した。理由は色々あるけど、今は関係ない。グループはどこぞの組が抱え込んでいる売人から『おくすり』を買い、俺みたいなどうしようもないガキに売り捌いて収入を得ていた。今で言う半グレ?みたいなもんだと思う。それを邪魔しに来たのが今俺が世話になっている戸川組だ。田鍋さんだ。田鍋さんはやたらと背が高く表情のない若い男ひとり連れて取引の現場に現れ、戸川のシマで余計なことしてもらっちゃ困るねと笑って煙草のけむりを吐いた。田鍋さんはその時も現在もいつも紺色のジャージを着ていて、ぱっと見ヤクザには見えない、ふつうのおっさんに見える。でも田鍋さんは人殺しだ。戸川組の中で殺しだけを請け負う、そういう専門職の人だ。もう説明しなくても伝わると思うけど、田鍋さんがその時連れてきたばかでかい男が今俺の腕を掴んでいる山田徹で、山田は田鍋さんの弟子みたいな感じだった。とはいえ山田は人殺しの術をすでに心得ていたので、田鍋さんが教えたのは殺さずに要求を通すやり方だったそうなのだが。
田鍋さんと山田の介入によりチープなおくすり密売ルートは壊滅し、残されたのは手に負えない薬漬けのガキ、
「里中」
山田の左手が俺の左手を掴み、右手が左頬に添えられる。俺は右手に握っていたドライヤーを素早く振り上げ、山田の左こめかみに振り下ろす。ゴッ。鈍い音がした。山田はまるで表情を変えない。
「俺が飯食ってるあいだにヤってたんだろ」
「うるさい」
「注射どこだ。全部捨てろ」
「うるさい」
「田鍋さんは知ってるのか? 知らないなら……」
「言うたらええやろ! クソが! おまえに俺の何が分かんねん!!」
ヤクザとして必要なもの全部持ってる山田に俺のことなど分かるはずがない。分かられて堪るか。
山田の整った顔が嫌いだ。腕っ節の強さが嫌いだ。人を殴り殺すことを躊躇わない感情のなさが嫌いだ。
それなのに。
「俺はおまえのことが好きなのに、おまえは俺のことが嫌いなんだな、里中」
俺のことを好きだという、その無神経さが大嫌いだ。
俺たちを拾った田鍋さんは、俺だけと飯を食ってる時におまえたちは半々だからなぁと言った。半々? 意味不明だ。腑に落ちない顔をする俺を見ると田鍋さんはいつも笑って、山田にない部分をおまえが持ってる、おまえにないものを山田が持ってる、面白いな、きょうだいでもなんでもない他人なのに、そういうことあるんだな、と言った。田鍋さんに悪気はないんだと思う。いつも。今もそうだ。俺に山田を迎えに行け、適当なとこまで送ってやれ、それはきょうだいや幼なじみみたいに育った俺たちに久しぶりにゆっくり話す時間を作ってやりたい、そういう意図だったんだろう。
違う、ちゃうんよ田鍋さん。俺らそんなええもんとちゃう。ヤク中で劣等感の塊の俺と、人殺しで感情不足の山田が半々なわけないやん。
こいつが俺のことを好きだと言い出したのはいつからだったか。知り合って1年とかそれぐらい経った頃だろうか。おまえが好きだと言う山田をキモいねんボケカスと言ってぶん殴った。俺のひょろひょろの体から放たれる拳なんて何の効果もなかったろうに、そうか、ごめん、と俯いた彼はどこかをひどく傷めたように見えた。
山田が手を放す。手首にくっきりと痕が付いている。力の加減が分かっていない。俺に殴られた左こめかみを手のひらで摩った山田は、新幹線のチケットってどうやって買うんだ、と呟いた。
「明日買うたるよ、駅で……」
「そうか、すまん」
「別に……」
山田がふらりとベッドから立ち上がったので、咄嗟に手を伸ばしていた。他意はあまりなかったのだが彼が適当に引っ掛けていたバスローブの股座に手を突っ込んでしまっていた。身長差の成せる技だ。まず山田はパンツを履いていなかった。そして勃起すらしていなかった。ふにゃふにゃ。なのにでかい。だから嫌いなんだよこいつのこと。
「なんだ急に」
「俺のこと好き好き言うわりに勃起もせんのんな」
「したらやらせてくれるのかよ」
「へし折る」
「怖」
クッと喉を鳴らした山田を鏡台前に座らせ、長い黒髪をドライヤーで乾かしてやる。「手を洗ってきた方がいいんじゃないか」と言われたが無視した。山田は納得のいかない顔をしていた。
翌朝。礼儀正しいホテルの従業員たちに見送られてチェックアウト、そのまま名古屋駅に向かった。新幹線の切符を買う。念の為グリーン車。高い席に座らせとけばこいつに喧嘩売ろうなんてやつはそうそう現れないだろう。
「寝過ごすなや。真砂さんには俺からメールしとくから」
「分かった」
「岡山で喧嘩すなや。田鍋さんからも連絡行くと思うけど」
「おまえがくすりやめるなら、喧嘩しない」
「……なんやその交換条件。誰も得せえへん」
「くすりはな、里中。寿命を縮めるんだよ」
田鍋さんにも同じこと言われたな。14の年。山田には言ってないけど、俺がこの悪い遊びを再開したのは4年前のことだ。つまり。
「ほなな。達者で暮らせ。ああ、髪は切れよ」
「またな」
少ない手荷物を持った山田が改札の中に消えて行くのを視界の端で確認し、俺はクルマに戻った。早く東京に帰りたかった。
持ち歩いていた悪いクスリは帰路点々と捨てていった。もうこれは、要らない。
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