時そば 失敗編

青水

時そば 失敗編

 真冬の夜。

 一人の男が外套のポケットに手を突っ込みながら、寂しく歩いている。はあ、と息を吐き出せば、その吐息は煙草の煙のように白く宙を漂う。寒い、そして腹が減った。どこか温かい飯が食べられるところはないかしらん、と思ってきょろきょろしていると、屋台のそば屋を発見した。


「お、これはいい」


 男は屋台のそば屋でかけそばを注文した。

 主人がかけそばを作っている間、男はズボンのポケットに入っている銭をこっそり数えた。


「一、二、三、四……」


 ポケットの中に入っていたのは一五文。

 かけそば一杯一六文なり。一文足りない。主人の顔を一瞥するが、一文まけてくれるようには見えない。銭が足りないのなら、そばを諦めるしかない。しかし、男の体は凍えきっていたし、それに空腹も耐え難いものであった。

 これはなんとかして一文ごまかすしかない、と男は決意した。

 かけそばが出来上がった。

 味自体はそこまでおいしくなかったが、寒さと空腹で狂いそうになっていた体にそばは染みわたった。

 あっという間に食べ終えると、男は主人の手のひらに一文銭を数えながらのせていく。


「一、二、三、四、五、六、七、八――あ、ところで今何時?」

「へい、九時です」

「九時かあ……十、十一、十二、十三、十四、十五、十六。はい、どうも、ごちそうさま!」


 計画通り、と口元を緩ませすぐさま立ち去ろうとした男。

 しかし、主人の大きな手が男の手首を掴んではなさない。


「お客さん、一文足りませんよ?」

「え……気のせいじゃあないかな?」

「気のせいじゃないさ」


 主人は男の手首を掴んだまま、もう一方の手のひらの上にのった銭を一枚ずつ落としていく。


「一枚、二枚、三枚、四枚、五枚、六枚、七枚、八枚、九枚、十枚、十一枚、十二枚、十三枚、十四枚、十五枚」


 一文銭がすべて落ちた。

 真冬だというのに、男の額から汗がしたたり落ちる。


「十五枚。あれえ、お客さん、一枚足りないねえ」

「も、もう一度、今度は両手を使ってきちんと数えてみてはどうです?」

「その必要はないさ。お客さん、一文ちょろまかそうとしたね?」

「ぐっ……」


 主人はどこからか取り出した鉈を構えながら、笑顔で舌なめずりをする。目は氷のように冷たく、笑ってなどいない。これは殺人者の目だと男は感じた。


「金が足りねえってんなら、体で支払ってもらうしかねえよなぁ?」

「や、やめ……」

「お客さんからはいい出汁が取れそうだ」

「た、たす――ぎゃあああああ!」


 こうして、一文をごまかそうとした客は、主人によってさばかれてしまったのでした。その後、人間の骨や肉で出汁をとったとされる『人そば』なるそばが誕生したとかしなかったとか……。


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時そば 失敗編 青水 @Aomizu

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