A-ram 〖エイ・ラム〗
八子禅
第1話 体験版はここまで
「お、駅前でなんか配ってんぞ」
試供品か何かだろうか。
高校で知り合い、友人になった奥下太一と二人で下校していると、駅前に人だかりができていた。
ホンモノの自分を、取り戻せ。
そう書かれた幟が、いくつか置かれている。
なんか大袈裟なキャッチコピーだなあ、と星谷陽太はそう思った。
「え、これ食ったら、ゲームうまくなるんスか」
胸に『
「おい、もらってこうぜ、陽太」
奥下太一は、鼻の下を伸ばしてお姉さんから試供品をもらっている。
「よっしゃ、これで勝てるな」
ゲームの大会などでも、試合の合間に飲むものや、摂取するものにこだわっているプレイヤーも多い。
エナジードリンクのスポンサーがついたプロの選手もいるし、特に珍しいとも思わなくなっている。
「大体、練習もしないで勝ちたいってのが、まずおかしいと思わないの」
負けるとギャーギャーうるさいのに、練習とかはやだ、と奥下は言う。
「フットサルの練習はしてるでしょ」
色々とあるから、と奥下は部活には入っていないが、知り合いのフットサルチームには入っているらしく、わりと頻繁に練習に参加している。
「まあ、そりゃあな。動かねえと体なまるし」
じゃあ、ゲームも同じだろう、と陽太は思う。
「ゲームもそうでしょ。トレモがある意味、そろそろ理解しろって」
トレーニングモードは、実践的なシーンを再現して、繰り返し練習する機能があるが、奥下は全く活用しない。
「ああ、武器とか全部使えて楽しいよな、あそこ」
ゲーム中で使える武器が全種揃っている。そりゃあ、使い方や当て方を練習するんだから使えて当然だろ、と陽太は思う。
奥下は、武器の威力を試して遊んでいるだけである。そんなのはトレーニングではない。
「まあ、それでも楽しいって思えるなら、僕はいいけど」
通話しながらFPS系のゲームをしていると、奥下はありえないミスを連発して死んでいく。
そのリアクションがあまりに面白いから、いっそヘタなままでも、陽太は構わないのだが、自分がちゃんと活躍して勝てた時の気持ちよさも、味わって欲しい。
「お前、さっきのお姉ちゃんからさりげなく離れたろ」
目のやり場に困っただけだ、と陽太は思った。
かなりセクシーな服だったから。
「その、女子が苦手すぎるってのも、トレモでどうにかできねえのか」
奥下が笑う。
突然話題を変えたと思ったら、そこに食いついてきたのか。
「そんな便利なものが、世の中に存在するもんか」
「妹とか、協力してくれねえの。女兄妹いたら、慣れそうなもんなんだけどなあ」
妹の日奈は、そりゃあ昔は可愛いもんだったよ。
今となっては、遠い日の幻。夢みたいなものだ。
中学二年の妹に、直接『モブ眼鏡』と言われる兄の気持ち、奥下よ、君には絶対にわかりえないだろうさ。
視力は昔から悪いから、眼鏡は必須。中学から髪型はほとんど変えていない。
身長は、まだ伸びてない。高校に入れば少しは、という最後の希望は持っている。父親もあまり大きくないので、過度の期待は持っていないけれど、捨てるにはだ早いでしょって事で。
奥下は、髪を明るく染めて、襟足を少し伸ばしている。その、猫っぽい顔とよく合っている。身長も高い。おまけによく喋る。
女子の友人も多いし、彼女の『ミーちゃん』もいる。別の高校に通っているらしいが、実際に会わせてもらった事はない。
ただでさえ女子に免疫が足りないお前が、直接会ったら、あまりの可愛さにやられて、死んじまいかねないから、と言われている。
どこの世界に、友人の彼女に会って即死する人間がいるのか。
そう思ったものの、実際に会ってまともに会話できる自信もない。
「無理だ。妹は、僕の事を、使い魔とか使用人とか、そういうもんだと思ってる」
「使い魔、いいじゃん。それなんかエッチじゃん」
男兄弟の奥下君は、わからないのだろうね。不仲の兄を相手に、体面を取り繕う必要のない女の子が、どれだけ気が強くて、獰猛か、という事を。
「そんなお前が、いきなり好井さんとか、マジで身の程知れよって」
「……うるさいな」
入学式の時に、一目見た時から、陽太はたちまち心を奪われた。
男子生徒達の、憧れの的。そう断言していい。
黒髪のボニーテール。可愛らしい髪留めは、毎日変わる。
美人だけど、きつい雰囲気はない。さりげない気配りもできる。
声も可愛らしいし、笑顔などを見れば、体やら心やらがメロメロになる。ゼリーみたいに溶けそうになるし、もうそういう力に目覚めているんじゃないかと思うぐらいだ。
彼女が中学時代から続けている女子バスケ部に入ったら、今年の男子バスケ部の入部希望者が例年の五割増しになった、と奥下に教えてもらった。
陽太は、入部届にバと書いたところで、奥下に見つかった。
やるしかねえ、と思い詰めた顔をしていたらしい。
女子が苦手で、運動神経も残念でした、な星谷陽太でさえ、これか。
奥下には当然止められた。ゲームならそこそこ付き合ってやるから、俺と遊ぼうぜ、と。
「まあ好井さん、ヘタなアイドルより、よっぽど可愛いしな。中学でも、すげえ人気だったらしいけど、同級生に幼馴染の男友達がいてさ、そいつが寄り付く男どもを追っ払ってたって話もあるし」
入学して既に二か月。
親しく話している男子は、今のところほとんどいない。
男子バスケ部の連中と、部活の事で話しているのは見かけたことはあるが、親密な気配はない、と思う。
「え、初耳なんだけど」
陽太は、聞き捨てならないワードに、敏感に反応した。
幼馴染み、だと。あまりにも危険すぎるワードだ。
「だってさ、お前好井さんと誰かがしゃべってるだけで、スゲえ顔してんだぞ。
幼馴染みとか、嫉妬しすぎて、ゲームの世界なら『ヘッドショット』でぶち抜き案件じゃん。なんかしでかしそうで、俺怖ぇんだ。今、言っちゃったけどさ」
「そ、そんな事はないぞ、奥下君。僕は極めて冷静であることは間違いのない事実であると述べております」
全く、健全じゃねえなあ。お前の恋心って。
「わかったわ。今度、ミーちゃんの女友達、紹介してやるよ」
え、と陽太が驚いてると、奥下は自分のスマホを取り出して、サクサクと操作をする。
「お、返事きた。さすが愛しのミーちゃん。レスポンスも
ちょっと待ってくれ。
陽太は、顔を真っ赤にして、奥下の手からスマホを取り上げようとしたが、運動神経でも雲泥なら、手足の長さでも全く違う奥下に、あっさりと避けられる。
「いいよー。だって。安心しろよ、地味だけど、素材と将来性はかなり良いヤツだって話はしてるから。お前の写真も見せたことあるし」
ええ、何勝手に紹介してんの、僕はミーちゃんの画像すら、見れば魂抜かれるからやめとけって、見せてもらってないのに。
「で、好井さんのナイト様だけどな、
*
なんだよ、勝手に色々決めちゃってさ。
僕の何を見てきたんだ。初対面の女の子と、気さくに話せるスキルなんて、運動神経よりよっぽど、時空の彼方に失ってるレベルなんだが?
考えただけで憂鬱になる。笑われるのも目に浮かぶ。
そんな扱いをうけるのは、実の血を分け合った妹だけで十分だ。
陽太は、PCの電源をつけ、奥下といつも遊んでいるFPSゲームを起動し、ソロでランクマッチに潜っていた。
帰宅してすぐに始め、母が、夕食ができたと言っても無視して続けていたら、妹に蹴とばされた。片付かないからさっさと食べろって。
ヘッドセットをつけていたので聞こえなかった。
プレイしていたキャラが動作を止める。
操作していたパッドコントローラーを、蹴られた拍子に落としてしまったからだ。
その隙をつかれて、即死した。
「なに、なんか文句あんの。言っとくけど、ノックはしたからね。そんなもんつけてるから、聞こえないんだよ」
日奈は、陽太と違って気が強い。本当に同じ血をわけた兄妹なのか、と思うほど、性格が正反対だった。髪も明るく染めたセミロング。部屋着として履いているハーフパンツから、すらりとした生足がのぞいている。
ゲームばかりしている兄とは違い、妹は運動が好きだし、趣味も全く違う。
「お風呂も食べ終わったらすぐ入ってってさ。どうせ、寝るまでやるんでしょ。もう呆れられてるよ、それ」
はあ、兄貴ってほんと、ゲーム馬鹿。
兄が夕食を食べている間に、妹はさっさと風呂に入っていた。
妹は、必ず陽太より先に入る。だって、汚いもん、とはっきりと言われていた。
いつからだろう。
妹のああいう態度を、丸ごと受け流すようになったのは。
体を強めに洗う。イライラしている時は、少し長めに体を洗うのがクセになっている。いつもなら、ゲームで負けが込んでいる場合が多い。
妹の事は、もう諦めている。
なぜ、そんなに嫌われているのかはわからないが、年頃で、色々と気に食わないのだろう。
今日は、奥下に振り回されたおかげで、散々だ。
そこに対する憤りはあるし、その影響はゲームに出ていた。
せっかく調子を取り戻したと思ったら、妹に足蹴にされた。
もう少しで勝てたのに。
そうは思ったが、怒りより先に、恐れの方が先にきている事に驚く。
二歳下の妹の事が、最近、怖いと感じる。
何を考えているのかも、昔ならまだ、理解できていたのに、わからないのが当たり前になっている。
せめて、理由の一つでもわかればいいが、直接聞けば、問題はさらに答えを失い、難解になるだけだろう。答えを知りたくもない、と正直なところ、思っていたりもする。
風呂から上がり、体を拭き、髪は生乾きのまま、部屋に上がってヘッドセットをつける。濡れた髪にクセがつくのも構わずに、プレイを再開する。
ゲームの良いところは、ちゃんとルールがあるという事だ。
でも、ゲームを再開した一発目で、チートのプレイヤーに出くわした。
ルールはあるけど、全員が守ってるとは言ってない。
人生にもよくある話だ。よくあるけど、よくはない、よね。
もういい。もう今日はいい。心は無にして。トレモしよ。
練習したいな。
色々と、あればいいのにな。
現実にこそ、必要な気がしてきたよ。このモード。
陽太は、しばらく無心で、射撃の練習をした。動く標的に、正確に照準を合わせ、弾を当てていく。動きがシンプルなら、外すことは滅多にない。
空腹をわずかに感じるまで、陽太はひたすらトレーニングを続けた。
気が付くと、深夜の一時に差し掛かっている。
数時間、休むこともトイレに立つこともなく、延々と撃ち込みを続けた。
深夜の夜食は、控えている。
時々、猛烈にお腹がへった時は、買い置きがしてあるカップ麺などを食べるが、最近はちょっと体重が気になりだしていて、我慢しないと戻れなくなる懸念があった。
ああ、そうだ。
さっきもらったサプリ。
そう思い立ち、制服のズボンのポケットに手を突っ込む。
『エクスペリエンス』という名前が、ちょっとオシャレにデザインされたパッケージだった。
このサプリの商品名らしい。
お姉さんの胸にデザインされていたさっきのA-ram《エイ・ラム》ってのは、製造メーカーの名前だったみたいだ。まあ、どっちでもいい事だけど。
ホンモノを取り戻せ、か。
試供品のパッケージの裏面にも、この一文がのっている。
全く、そんなのがいるなら、切実にお願いしたい。
ホンモノの僕とやら、やれるんなら、もっとうまくやってよ。
『エクスペリエンス』を口に入れると、柑橘系の味がした。
なかなかおいしいじゃん、これ。
陽太は、あくびをして、背伸びする。
眠くなってきたな。ぶっ通しでトレモをやり続けていた。同じことを黙々と繰り返し、数時間プレイし続けていたのだ。疲れて当然だ、と思った。
眼鏡をいつもの場所において、ベッドに潜り込む。
目を閉じると、すくに眠れそうだった。
*
星谷陽太は、いつも通りの時間に目が覚めた。
寝覚めは良い。昨日はなんか嫌な事があった気がするが、あまりよく思い出せない。思い出せたって仕方ないから、丁度いいか。
いつも通りの、トーストと、ソーセージと目玉焼き、サラダの朝食を食べ、歯を磨き、洗顔して、寝ぐせを整える。
「お兄ちゃん、おはよ」
ああ、日奈。おはよ。
妹に挨拶をする。中学校の方が家から近いので、朝は陽太の方が少し早い。
部屋着のスエットとシャツを脱ぎ、制服に着替えて、最寄り駅まで歩いて向かう。
妹が、いってらっしゃーい、と声を掛けてきた。
足取りが軽い。なんか今日は、天気もいいからか。気分もいつにもまして晴れやかだ。
高校がある駅の改札を出ると、陽太に向かって手を振ってくる人がいた。
奥下太一ではない。夏服の、女子生徒だった。
「おはよう、陽太君」
目が合う。
しっかりと、その吸い込まれそうな瞳を見つめた。
黒髪が、朝陽に照らされてキラキラと輝いている。
いや、黒髪だけではなく、全身が輝いて見える。
「陽太君。あの、そんなに見つめないで。恥ずかしいから」
好井杏里さん。
なんてこった。
マジかよ。
好井さんだよ。
好井さんが、僕に手を振って、駆け寄って挨拶してくれるなんて。
「早く行こ」
手を、差し出してくる。
神様、こんな事、本当にいいんですか。
陽太は、それでも自然に手を握れた。
初めて触れる彼女の手。心臓が朝から大忙しだ。あまりにやわらかく、温かかった。言葉にできない気持ちでいっぱいになる。もうお腹いっぱいだった。
「週末が待ちきれないな。今から楽しみ」
え、週末?
「デートだよ。忘れちゃったの」
彼女は夏服を着ている。
六月は迎えている、という事か。蒸し暑くなってきて、天気が悪い日も多くなってきたけど、今日は夏を先取りしたかのような快晴だった。
陽太は、ホントに、それホントに……と繰り返す。
「もう、誘ってくれたの陽太君じゃない。付き合って初めてのデートたから、楽しみにしててって」
凄いな、僕。
見直したわ、僕。
陽太は、好井さんの、あまりにも可愛い笑顔に、眩暈がした。
こんな幸せがあっていいのか、控えめにいって、世界一の女の子と、手を繋ぎ合って、一緒に登校しているなんて。
それだけでも十二分の出来事なのに、初めてのデートの約束もしているとは、本当に凄い。凄いとしか言えない、大偉業じゃないか。
校門の前に、人だかりができている。
「あれ、朝からなんかやってる」
お姉さんが立っている。
朝方にしては大胆すぎる格好をしていた。
なんとビキニ姿にサンダルだった。
腕に籠バッグを持っている。
真夏のビーチにでもいそうな人だ。
ただ、繰り返すが、ここは高校の校門である。
普通に警察に通報されるレベルだと思った。
先生は何してるんたろう、
「杏里さん、早くいこ。僕らには関係ないから」
ほら、子供の頃からよく言われるじゃないか。
怪しい人にはついてっちゃいけません。何も貰ってはいけませんって。
学校の近くには、そういう人がいる場合がある。
まあ、水着のお姉さんは、かなり美人だし、いろいろと抜群だけど。
あまりに浮いているから、違和感しかない。
ほとんどの生徒達も、少し遠めに見てから、通り過ぎていく。
こんなの、バカな生徒でもない限り、怪しんで近寄らないよ。
「え、これ食ったら、なんでもうまくいくんスか!」
籠バッグから試供品のようなものを受け取った奥下が、大きな声で騒いでいた。
お前かよ、と陽太は思わず振り返った。
水着姿の女の人が、陽太を見ていた。
バッチリと目が合ってしまった。
女の人は怖い。改めて、そう感じる笑顔だった。
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