犬系男子と鳳仙花

四乃森唯奈

プロローグ「悪夢からの目覚め」

 今にして思えば、あれが人生の分岐点だったのかもしれない。

 人生とは、何十・何百・何万……それ以上へと枝分かれした選択肢の中から、たった1本の道、たった1つの流れに沿って進むもの。

 そしてその道が示す先は大きく分けて2つ。──成功と後悔だ。


 もし、あのとき近道なんてしていなければ……。

 もし、あの日に塾が無かったら……。

 もし、オレが真っ直ぐ家へと帰路に着いていたら……。


 夜10時を過ぎた、薄暗い公園。

 家へのショートカットだからと選んだ、単純で深い意味の無かった選択肢。

 進んだ先に“何が”あるかなどわかるはずもない。それ故に、オレはあのとき──一生背負っていかなければならない『トラウマ』を植え付けられることになった。


 何が間違いだった? そんなの、今になって考えてももう遅い。


 過去はやり直せない。それが自然の摂理。それが、あるべき法則というものだから。


(……や。来ないで……)


 後悔が渦巻き、古傷が痛む。

 どんなに古傷を辿っても、そこにはだけが残されているだけ。痕跡、即ちそれは記録。所詮辿ったところで……変えたいと願ったところで。人が歩んだ一歩は記録され、やり直しは効かない。


 人生とはまさに『ゲーム』と同然。

出した目の数値によって歩数は変化し、それに伴う対価も代償さえも変化する。


 その人の『人生』も『将来』も『名誉』さえも。

 無数に伸びた選択肢。運によって進む道が変化するサイコロ。……たったそれだけ。たった1つの事柄を選んだだけで、人生の全てはひっくり返る。



 それによる“運命の改変”は──実に、理不尽の塊だ。



『──…………っとに最高っ!!』


『……やだ。もう……いやぁ……──』


『おっと逃げるなよ! まだまだ相手してもらわなきゃだからな。何勝手に終わらせようとしてんだぁ?』


『早く! 早く俺にも回してくださいよ!』


『何言ってんだ! 次は俺だって決まってんだよ!』


『そう焦んなって! 時間の猶予ゆうよはたっぷりあんだ。のんびりヤりゃあいいだろ』


『そんなに待てねぇよ!』


『なぁ、もういっそのこと全員で回すか? その方がより楽しめそうだし!』


『……やっ。……たすけて……だれかっ──』



 ✻


「……~~っ!?」


 瞬時に瞼は開き、寝起き状態を飛び越し意識は完全に覚醒した。

 呼吸が乱れ、心臓の鼓動は早鐘を打っている。


 見慣れ始めた天井、大学生活に合わせて住み始めた新しい住居。カーテンの隙間から陽の光が射し込んでいない真っ暗闇の部屋。そしてこの空間に……自分以外の人間の気配も影も、何1つとして存在していない。


 見渡した限りの情報を頭の中で徐々に整理していき、見えた答えは1つのみ。

 あれは『夢』だった、ということだけだ。


「…………最悪」


 頭を抱えながら、オレはボソッとそう言葉を溢した。

 ここ最近になって、あの夢を見る頻度が多くなっている。それは多分、この部屋に1人という、今の現状がもたらした結果なんだろう。……だからって、誰かを頼ることも出来ないのだが。


「……とりあえず、水飲むか」


 千鳥足な状態のまま、オレは寝室からキッチンへと移動し、冷蔵庫から水の入ったペットボトルを取り出した。ゴクゴク、と喉元を水が通っていく音が鳴る。


「……何なんだ。今になって……あんな昔の記憶」


 シンクへと背中を預け、そのまま床へと座り込む。


 先程の夢により蓋をしていた『悪夢』が覚醒したことで、全身から鳥肌が立ち、それに担う大量の汗が身体のあちこちから流れる。


 半分以上入っていたはずの水も一気に無くなり、オレの手に握られたペットボトルは文字通りの空っぽと成り果てていた。


「…………帰りたい」


 瞳から零れる一滴の涙。

 オレはそれを袖で拭い、その場で膝を抱えながら夜明けが来るのを待った。



 ──1人が好きだった。今も、昔も。


 だが『過去』と『現在』で違うのは、1人でいることが好きでもあり、嫌いでもあるということだ。

 1人が好きなはずなのに、1人が嫌いになった。明らかに矛盾が発生する並びではあるが、この並びには何1つ間違っている箇所はない。


 昔は好きだったはずのこの落ち着く空間は、今となっては全く別の空間と成り果ててしまっていた。


 家に帰りたい。この1ヵ月、幾度も脳裏を過った言葉だった。

 だが家に帰れば、オレはまたこうして目を覚ます。その度に家族はオレを心配して駆けつけてくれて……それが嫌で、いくつかの約束を交わして実家を出てきたものの、以前よりもあの夢を見る頻度が増していた。


 気配も影も、聞き慣れた親の声も響かない。

 完全に1人の空間となれば……この静かな空間そのものが、恐怖の対象と成り替わる。家族に迷惑をかけるのが嫌で自分から出てきたっていうのに……。本当、わがままだ。


 こういうときだけ、一緒にいて欲しいなんて……。

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