その3

 今から半年前、警察から連絡があり、

”貴方のお兄さんらしい人物の遺体が発見された。自殺の可能性が高いが、確認をお願いしたい”という電話が、彼女の所にかかってきた。

 出向いた先は東京都監察医務院。

 応対をしてくれた刑事しふくによると、遺体は高円寺の古びた一軒家の中で見つかったという。

 近隣の住民から”幽霊屋敷”と呼ばれているところで、今から十年以上前に住人が居なくなったが、所有者が不明だったので、取り壊しも出来ずに放置されたままで、誰も寄り付かなかったという。

 遺体は半年前の時点で、もう既に四か月は経過しており、腐敗が進み、ほんの少しの皮膚と骨ばかりだったから、辛うじて血液型がO型だと分かったくらいで、DNAの判定は不可能だった。

 身に着けていた服のポケットから、犬神誠太の探偵免許とバッジが発見されたため、そこから辿って、親族である彼女の元に連絡が来たのだという。

 遺体安置所で対面をした時、春枝自身にも正直識別は難しかったが、彼女は『兄である』と認めた。

『何故です?』

 俺の問いに、彼女は大きくため息をつき、

『”兄ではない”と否定したら、遺体はこのまま無縁墓地に送られてそれっきりになってしまいます。正直言ってその時は、”ここでもうケリをつけてしまった方がいい”そう思ったものですから』

『でも、その後貴方は考えを変えた・・・・』

 彼女は俺の問いに、黙って頷き返しただけだった。

『分かりました』

『え?』

『分かりました。そう申し上げたんですよ。私は結構気紛れでね。但し、料金は頂きます。』

 俺はソファから立ち上がると、デスクに立てかけてあったファイルケースから書類を出してくると、彼女の前に置き、

『契約書です。形式的なものではありますが、一通り目を通して下さい。納得が出来たらサインをお願いします』

 彼女は書類を一通り読み、それから自分で用意した銀色のボールペンで末尾にサインをして寄越した。

『結構です。それでは仕事にかかりましょう』

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 犬神誠太は、渋谷の道玄坂近くにある貸しビルの三階に事務所を持っていた。

 当り前だが、現在は別の業者に代わっている。

 しかし、ビルの管理会社の社員は、

『ある日突然犬神さんから”明後日で事務所を閉めたいと思う。溜まっていた家賃その他は後程送る。中の荷物は処理業者に頼んであるから引き取りに来る”そう言われましてね。確かにそれから三日後、処理業者が来まして、荷物を全部運び出して行きました。こちらの費用も後から銀行振り込みで全部済ませてくれましたが・・・・』と、まるで狐につままれたような表情を見せた。

 つまり、彼は跡形も残さず消えてしまったと、こういう訳だ。

 彼が住んでいたというアパートも似たようなものだったが、大家の婆さんによれば、やはり当人が”別の場所に引っ越すから”と、ある日突然告げ、残っていた家賃を全部払い、荷物は全部業者に処理させたという。

『ああ、そうだ。』

 帰り際に婆さんは思い出したように言った。

『手帳があったね。黒い表紙の・・・・それをあたしに預けてさ。

”もし誰かが訪ねてきたら、これだけは渡して欲しいってさ。こないだ警察が来た時に渡せばよかったかねぇ。忘れてたわ』

 そう言って俺にその手帳を見せてくれた。

 1年前の西暦が印刷された、何処の文房具屋でも売っている、ありふれたものだった。

『預かってもいいですか?』

『いいよ、どうせそんなもの置いといたって、何の役にもたちゃしないんだから。そうだ、あんたから警察に渡しといてくれよ。似たようなもんだろ』

 婆さんは素っ気ない口調で言うと、ぶつくさ言いながら、部屋の中へ戻っていった。

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