第三十七話 雷撃戦




天文十九年(1550) 十月上旬 尾張国知多郡富貴村近郊 岡部 元信




"ゴォォォォウ"

唸るような音と共に、一際大きな雷が光った。稲光が日暮れ時で暗くなりかけている辺りを眩しく照らす。


海が時化ている。波は穏やかではない。今乗船している安宅級の大船でもいくらか揺れる。さらに、雨も大雨とまではいかないが結構に降っている。さて、このような最中に上陸などできるだろうか。


「権大夫っ!」

「ははっ」

若殿が水軍の頭領である伊丹権大夫に声を掛けた。風も大きい。いつもより声を張っておられる。


「間もなく富貴村のあたりだろう。この天気だが上陸はできるか」

「この程度ならばやってみせまする。降りる兵達次第でござりまする!」

ほぅ。水軍は問題ないと。中々言ってくれるではないか。

「よし!皆の者よいか!」

"おぅッ"

将達が大きく応じた。儂も声を張り上げる。若殿からの指示を受けて、吉良上野介殿が盤を広げる。雨に濡れても良いように駒で演習をやるようだ。城の形や凸の形をした駒が置かれる。


「この後、富貴村付近に到着次第、上陸用の強襲挺に乗り換えて奇襲上陸する。上陸後、三浦左衛門尉と庵原安房守は五百を率いて本陣の造営、その他の者は北上し、成岩城を目指す」

「「ははっ」」

奇襲上陸からの城攻めだ。中々面白い趣向ではないか。腕がなるの。

「我ら駿河伊豆衆に与えられた任務は、陽動による三河衆と遠江衆の支援である。その任務達成の手段として半田、常滑方面で奇襲作戦を実行し、織田勢に動揺を与える。常滑は織田の資金源だ。ここが脅かされると、織田は相当に肝を冷やすはずだ」

"ハハハ"と将達から笑いが溢れる。

「成岩城までは一里半だ。途中長尾砦があるが、荒鷲からの情報ではほとんど兵はおらぬらしい。すぐに陥落せしめて成岩城へ向かう。成岩城には三百の兵が籠っているとのことだが、夜襲で今日中に落とす。一夜を明かした後、半田方面と常滑方面に軍を分ける。関口刑部少輔は成岩城の防衛、井伊彦次郎は親衛隊千名と新次郎、三浦内匠助、久能余五郎、朝比奈藤三郎および又太郎、孕石主水佑と共に半田方面へ、その他の者は俺と共に常滑の大野城に向かう。ここまでで不明なこと、意見あるものはおるか。遠慮は要らぬぞ」

若殿が将達の顔を見ている。凛々しいお顔だ。下知も分かりやすい。御大将は名将になるかも知れぬ。

誰も異を唱えない様子を見て、若殿が"よし"と大きく頷かれた。


「本作戦は神速を尊ぶ。荷駄は気にするな。必ずや後から追い着かせる。雷の如く速く、迅速に、ただ進め!ちょうど我らの駆ける音を消そうと雷も轟いている。そう、これは雷撃戦である」

雷撃戦とな。これまた面白い事を仰せになる。そう言われると、我らの上陸に立ちはだかるように見えていた雷が、我らの背を押しているように思えてくる。若殿は中々雄弁家でもあるようじゃ。




上陸前の最後の軍議が終わると、水軍の水兵達が慌ただしく動き始めた。上陸用の強襲挺を下ろす準備だ。吊り上げられた小船を滑車を使って下ろしている。

"よぉぉおぅぅしっ!"

"あと一間下だ。慎重に下げろ!"

水兵の大きな声が聞こえてくる。

強襲挺が着水すると、上陸部隊が次々に船へと乗り込んでいく。


船に船を乗せるという発想が斬新じゃな。御屋形様から若殿の麾下になったときは、どのように儂を使ってくれるか期待と不安があったが、杞憂だったようじゃ。これは見ていて飽きぬ。


お、あれは安倍大蔵尉殿ではないか。随分と早いの。儂も早くせねば出遅れてしまうな。




「「イチッ」」


「「ニッ」」


「「イチッ」」


「「ニッ」」


兵達が櫂を必死に漕いでいる。お陰でかなりの速度で強襲挺が岸に向かって進む。強襲挺の上では将も兵も無い。儂も漕ぎ手の一人となって櫂を握りしめる。


普段使わぬ力を使うの。こんなことなら訓練で積極的に漕いでおけばよかった。少しばかりの後悔をしていると、岸が近づいてきた。


閑散としている。漁民のものだろうか。あばら家がいくつか点在する程度だ。不審な点は見当たらない。何もない片田舎なのだろう。


海岸に乗り付けると、整然と、そして粛々と兵達が下船していく。親衛隊か……。今回若殿の傘下に入ったことで、自分が引き連れてきた朗党と親衛隊の兵を幾らか指揮する事となった。


親衛隊の兵の動きは機敏だ。異様に足並みが揃っている。日々の厳しい訓練や共同生活の成果と言えようか。


訓練は何度か見てきたが実際に率いるのは初めてだ。それもそうか。戦場に親衛隊が出るのは初めてと聞いた。敵を前にした時に怯むこと無ければよいが……。




天文十九年(1550)十月上旬 尾張国愛知郡鳴海荘末森村 末森城 織田 信秀




「沓掛城へ一万、三吉城へ一万もの今川勢が攻めて参りましてございまする」

「あい分かった。下がってよい」

"はっ"

儂の言葉を受けて、乱破が音もなく消えていった。頼もしいやつらよ。乱破達が手に入れる情報のお陰で大分儲けたが、今回は聞きたくない知らせばかりであるな。二万か……、治部大輔め……いや、参議だったな。大軍を軽々と動かしてくれるものよ……。


「二万の大軍ですと……。すぐに大和守様に援軍をお頼みするべきでは?」

「分かっておる。だがまずはどうするか考えてからじゃ」

奥が不満そうな顔を浮かべている。いや、これは不安な顔だな。弾正忠家だけでは精一杯かき集めても四千の兵を用意するのが限界だ。大和守様とて二千が一杯だろうな。さてどうしたものか。


「大和守様とて、尾張の危機とあらば兵を出してくれるはずだ。それを沓掛城にあて、親父殿は敵の横っ腹をつつくしか無いだろう」

「三郎殿!そなたは御父上のご容態を承知で斯様なことを申しておるのか」

「お家の大事に体調もいやもありますまい」

「……そなた……っ!」

奥が立ち上がって座する三郎を見下ろす。今にも手を出して叩きそうだ。


ため息が出る。腹を痛めて生んだ子だろうに。どうしてここまで拗れたものか。三郎の言葉足らずがいかぬのかも知れぬ。だが、こやつをしかと理解すれば、良いものをもっておると分かるのじゃが……。


「父上、敵は二万もの大軍ですが、大軍で有るがゆえに兵糧の確保は難儀しましょう。ここは籠城して敵の兵糧が尽きるのを待つべきかと」

「勘十郎殿の意見はもっともじゃ。大和守様の兵と当家の兵を合わさば十分に籠城できるはず。殿のお身体の事もありますれば、ここは籠城が最善の一手かと」

勘十郎の具申に、すかさず奥が賛意を示す。籠城は常道ではあるが……。


「今川の兵糧が潤沢だったらどうする。一年、二年と籠城するのか?馬鹿馬鹿しい。こちらが先に干上がるぞ」

「三郎殿、その物言いは何ですかっ」

「母上、勘十郎もよいか。今川は侮れませぬ。数年前の北条攻めでは相当な兵糧を用意して周到に攻めたとか。此度も潤沢に用意しておるやも知れませぬ」

「だからと言ってそなたは殿に矢面に立てと申すのか!」

「それが大将の役目なれば致し方ありませぬ。兵は大将が先頭に立つことで奮い立つものでござりまする」

"パチンッ"

奥が三郎の頬を叩いた。渇いた高い音が響く。


「奥!三郎!止めよ。今は身内で争う時では無い!」

「なれど……!」

奥が不満気に訴える。三郎は静かにしている。

「奥に心配をかけてすまぬ。その方らの気持ちは嬉しい。勘十郎と奥の策は常道でもある。……だが、三郎の案は中々に良い」

「殿!!」

「父上」

奥と勘十郎が不満そうにしている。三郎は無表情を装っている。

「……ふむ」

どうしたものかと思案していると、走る音が聞こえてきた。


「ご注進申し上げますっ!!」

甲冑を着た若武者が息を切らしてやって来た。相当に急いだようだ。大きく肩を揺らしながら息をしている。

「控えよ。軍議中である」

「構わぬ。急ぎ申せ」

勘十郎と三郎が真逆の事を申したので使いが困っている。"申せ"と儂が許すと堰を切ったように話し出した。


「はっ!今川の水軍が富貴村付近に押し寄せ、兵が奇襲上陸して参りました。上陸した兵は既に長尾砦、成岩城を落としましてござりまする。ただ今は二隊に別れて半田城、大野城へ向かっている由とのこと!」

「何だと!?」

三郎と勘十郎が驚いている。だが勘十郎より三郎の方が事態を深刻に捉えているな。二人の顔を見比べれば分かる。

「親父殿。常滑はまずいぞ。だが……これは今川の誘いかも知れぬ。その方!上陸した今川の兵力は分かるかっ!?」

「はっ、およそ三千と思われます。今は隊を分け、半田方面に約一千、常滑方面に約一千が向かっておりまする。残りは成岩城や上陸地点の守備を担っておる様子」

「で、あるか!千か、やはりこれは今川の誘いだな。半田も常滑も千の兵力では落とせたとしても維持が難しい。とはいえ常滑の佐治がどこまで持ちこたえるか……何としてでも離反は避けねばならん。あまり悠長にはできぬ」

三郎が冷静に分析している。儂も三郎と同じ読みよ。


「上陸してきた者の旗印は何であった」

この儂を誘い出す者が誰なのか、ふと気になった。使い番の若武者に尋ねる。

「はっ、今川の赤鳥紋の下に八紘一宇の文字が書かれておりましてござりまする」

「新しい旗印だな。噂に聞く治部大輔が率いているのではないか」

三郎がニヤリとして儂の顔を見る。治部大輔……。参議の嫡男か。

「大義であった。大野城に誰ぞ使わして城主の佐治に伝えよ。必ず今川を叩くとな。敵が大野城に向かっているとのことだができるか?」

「はっ。このまま某が参りまする!千名では大野城は囲えませぬ。どこぞより忍んで必ずや佐治様へ伝えまする」

「あい分かった。万事上手くいった後はその方の功にも報いよう。顔を覚えておくぞ」

使い番を下がらせると、大きなため息が出た。時が無い。決断をせねばならぬ。


「ふむ……。治部大輔か誰か分からぬが、全くやっかいな事をしてくれるの。だが、お陰で悩む必要は無くなった。儂は出陣するぞ。まずは清洲まで出向いて大和守様に出兵を願わねばならぬ」

「殿っ!?」

「奥、その方の心配は嬉しい。だが時が無くなった。儂は大和守様に援軍を願う。その後はそのまま今川を迎え撃つ。今生の別れになるかも知れぬ。後を頼む」

「親父殿、俺も行くぞ」

「うむ、良かろう。勘十郎は母上と共に城を頼むぞ」

「あなた様……」

奥がしをらしく儂の方を見てきた。今生の別れになるやもと思うと、いつもより一層と艶やかに見える。おお、そうだ。忘れる所であった。


「奥の血でも塗って行こうかの。このような顔では大和守様も不安になろうて」

小刀で奥の指を軽く切る。滲んだ血を唇に塗った。少しばかり血色がよく見えるだろう。窶れきったこの顔では将兵が付いて来ぬ。それに奥の血を塗らば儂の心持ちも変わる。少しばかり力が沸いた。

「斯様なことをせねばならぬ程お疲れであろうに……お痛わしい」

着物の裾を目尻に当てて、奥が涙ぐんでいる。

「そう言ってくれるな。では行ってくる」

奥と勘十郎が神妙な面持ちで儂を送り出した。身体が悲鳴を上げている。だが家臣達に弱々しい所は見せられぬ。心の中で己に鞭を打って歩き出す。後ろに続く三郎は厳しい表情のまま静かに付いてくる。

「落ち着いているな、三郎」

「大将が落ち着いているのに将が慌てても仕方あるまい」

"フッ"

自然と笑いが出た。

三郎は本質が分かっている。やはり儂の後を継ぐのは三郎だな。勘十郎は品行方正だが、常道過ぎてある意味単純過ぎる。


この身体が朽ちるまでに、三郎へ恙無く譲ることが出来れば良いが……。

だがまずは今川を退けてからだ。今川を退けなければ我らに先は無い。



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