カルテット [ Quartet ]

tk(たけ)

第1話 ふたたび実家暮らしへ

 私はこの春、転職に伴い実家に戻ることになった。幸い、まだかつての部屋が残っていて、姉も結婚せずに実家にいる。

 だからかそれほど大きな抵抗にあう事も無く、引っ越すことが出来た。


 もちろん、最初の頃は近所のおばちゃん達に質問攻めにあったが、私が離婚して出戻った訳ではないと分かると、次第に挨拶と天気の話だけに落ち着いた。

 そして、新しい職場で働き始める数日前。その日は昔かよった小学校のほうへ散歩をした。


 昔、小学校の近くには文房具屋さんがあって、文房具のほかに学校指定の体育着、室内履き、そして校帽やバッジなどを売っていた。

 でも、私達が良く通っていたのは、その並びにあった駄菓子屋さん。

 お菓子やジュースのほかに、安いおもちゃや、漫画雑誌を売っていて、ゲーム機とガチャ台なんかも置いてあったので、放課後にはいつも子供が集まっていた。


 そのお店からさらに離れたところに、小泉さんの家のお店があって、ここは子供ではなく、腕組みをして真剣な表情をしたおじさん達が、集まるような店だった。

 確か、おじさんとおばさんがお店に居て、お店の名前は覚えていない。

 そこでは、金魚にメダカ、水草、水槽なんかを売っていて、お店の奥にはもう一枚扉があったけど、その中の様子は見たことがなかった。

 あぁそうだ、お店の裏には金網で囲われた大きな池がたくさんあって、たぶん錦鯉がたくさんいて、車が何台も駐められる場所もあった。

 でもそっちはタバコ臭くて近寄らなかった。


 ただ一度だけ、夏休み前にカブトムシやメダカの飼育方法や観察について、お母さんと話を聞きに行った事がある。

 お店のおじさんもおばさんもにこやかで、優しかったけど、お店の中の少し生臭いような匂いがどうにも苦手で、結局、飼い始めることは無かった。

 そんな懐かしい景色を思い出しながら、小学校のほうへ向かったのだが、文房具屋さんも駄菓子屋さんも無くなり、その辺りは新興住宅街として、綺麗な街並みに変わっていた。

 正直、たった十五年ほどで、こんなに変わってしまうのかと驚いた。


 そんな整然と並んだ戸建住宅の向こうに、カラフルなのぼり旗が見えた。興味を引かれて近付くと、観賞魚と書かれた旗とメダカと書かれた旗だった。

 そのままお店の前まで行くと、景観に馴染むように、壁や屋根が綺麗になっていて、入口の引き戸も新しくなっていた。

 そして、照明が明るくなったようで、以前より中の様子がよく見えて、入り易い雰囲気に変わっていた。

 更にお店に近付いて、ガラス越しに中を覗いていると、若い女性の店員さんが出て来て、引き戸を開けてくれた。


「良ければ入ってご覧ください」


 その顔を見て、私はハッと息を飲んだ。その娘はたぶん、同級生の小泉さんだった。

 同じクラスになったことは無いが、お店屋さんの子供なので私は知っていた。

 でも、小泉さんは気が付いていないようだ。少し寂しいが、話したこともないので当たり前だろう。

 気を取り直して、開いた扉に、少し顔を入れて匂いを確かめた。


あれっ、匂わない……


 その驚いた表情で察したのか、小泉さんが教えてくれた。


「最近は、水をしっかりと循環させているので、以前ほど匂わなくなったんですよ」


小泉さんが苦笑しながら、教えてくれた。


「そうなんですね。気にならないです」

「だから、二階を喫茶店にしています。といっても本格的な味では無くて、あくまでも熱帯魚を観ながら、くつろぐ場所ってだけですけどね」


「二階もあるんですか」

「はい、改装する時に、変えちゃいました」


「お店、ずいぶん広くなりましたね」

「以前の店をご存知なんですね。屋外にあった池なども、すべて中に入れました」


「何か、開けちゃいけない扉がありましたよね」

「あぁ、そうですね。小部屋を締め切って、部屋の中の温度を高くしていました。でも今は違う方法なので」


「明るくて綺麗なお店ですね」

「この辺、お家が増えて、案外、お客様がいるんですよね」


 確かに、昔はこの辺りに農家があって、畑や果樹園だった。それが全部、家になったのなら、お客さんは増えるだろう。


「ところで、違ったらすみませんけど、近藤 知恵さんですか?」


びっくりしてしまった。

まさか、名前を覚えていて、私の事が分かるなんて。


「はい、そうです。小泉さんですよね?」


「そうっ! 小泉 陽子!」


「お店を継いだの?」

「うん、そんな感じ。だいぶ、手伝ってもらったいるけどね。近藤さんは?」


「四月からこっちで働くから、戻って来た」

「へぇ、そうなんだ。懐かしいし嬉しいね」


 その後、小泉さんにコーヒーをご馳走になりながら、一時間以上、お互いの話をした。

 小泉さんが、私の事をフルネームで覚えていてくれたのは、二年に一度、開催されていた作品展の絵や工作物が、上手だなと思っていたからだった。


 その晩、今日の昼間、見て来たことなどを家族に話した。すると文房具屋さんも駄菓子屋さんも、宅地開発の波に飲まれて、無くなってしまったことを教えてくれた。

 でも、小泉観賞魚店だけは、場所が端だったのと、広い土地の一部を売り渡す事で、あの場所に残ったそうだ。

 その時、当時、大学の法学部にいた娘が戻って来て、両親を支えたというのは、この辺では有名な話らしい。

 確かに会社に対抗して、お店を残すことは、並大抵の苦労では無かっただろう。


「今日、その娘に会ってきたよ。お店を引き継いだみたいだよ」

「そうなんだよ。大学を中退したんだそうだよ」


「えっー! そうなの!? そんな素振り無かったよ」

「だいぶ 頭のいい、しっかりとした娘らしいよ」


「ふーん、すごかったんだね」


 昼間の彼女の表情からは、法律を盾にして、闘うなんて事が想像出来ない。でも、もう何年も接客をしているんだから、そんな様子はおくびにも出さない、それくらいの事は出来るんだろうなと思った。


「まぁ、それに引き換え、知恵はねぇ」

「まぁ、母さん、良いじゃないか」


「お父さんがそうやって甘やかすから、すぐに帰って来ちゃうんですよ」


「それだけ大変だったんだよ。家でくらい、ゆっくりさせてやってくれ」


 私が会社を辞めて戻ると言い出してから、何度となく繰り返されてきた話だ。

 もう、私から言う事は何も無い。最初の頃、意見を言っていた姉も飛び火を嫌い、最近は何も言わない。

 もちろん、嫌な気分になるけど、食事を中断して席を離れることはしなくなった。

 ただ、いつかお母さんにも、私が辞めるほど嫌だったことを分かって欲しかった。


「ごちそうさま」


 お姉ちゃんが食器を流しにつけると、リビングでソファに座った。お母さんも食べ終わった。お父さんは全員が食べ終わるまで、席をたたない。静かに私が食べるテーブルに、残っていた。


「初日に持って行く手土産は、もう買ったか?」

「ううん、まだ」


「明日でも、母さんと買ってきたらどうだ。車のほうが便利だぞ」

「そうだね、そうするよ」


 数日が経ち、いよいよ出勤初日を迎えた。

 定時より三十分ほど早く着いたので、ひと息つける場所を探した。残念ながら、カフェの類は見つからなかった。

 一応、会社が入っているビルに入り、目的のフロアまでエレベーターで昇ってみる。すると、すでに照明は点いていて、何人か人がいた。

それならば、ここで待たせて貰おうと、通路で待つことにした。

出勤してくる社員の邪魔にならぬように、端に寄って立つと、入口の扉が開き、若くて少し小さい女の子が出て来た。


「おはようございます! 何か弊社にご用でしょうか」


 明るく元気なハキハキとした声だ。これなら色んな相手に好まれる事だろう。


「おはようございます。 本日から御社でお世話になります近藤 知恵と申します。だいぶ早く着いたので、こちらで待たせていただけないでしょうか」


「それでしたら、こちらへどうぞ」


彼女に従い扉を入ると、待合い用の椅子へ案内してくれた。


「課長が出勤したら、お見えになってること、伝えますので、こちらでお待ちください」

「はい、ありがとうございます」


 一礼して去っていく彼女のキビキビとした動きを目で追いながら、可愛らしいと眺めた。

 そして、見えなくなってしまうと、何となく今日は良いことがありそうだと思った。


 時間が過ぎて十五分前になると、出勤者がどっと増えた。その中には課長もいたようで、声を掛けに出て来てくれた。

そしてあと少し、こちらで待つことになった。

 その間、私はそわそわとしながら、挨拶の言葉を考えた。そして九時数分前、改めて迎えに来てくれた。


「さぁ、社長へ挨拶しましょう」


課長は社長秘書に話をすると、社長室へ入るよう案内された。


「社長、おはようございます!」


「おっ、来たかね」


「はい、挨拶をさせてください」


課長は自分が横にそれると私を一歩前へ促した。


 私は社長のそばへ歩み寄ると、そのにこやかに笑う顔を見て挨拶をした。


「本日より藤原コーポレーションに入社した近藤 知恵です。どうぞよろしくお願いします」


「うん、こちらこそ、期待してるよ。慌てなくていいけどさ」


 以前、勤めていた会社よりも、だいぶこじんまりとしているが業績は高く、それはこの白髪頭の社長の人柄に依るところが大きいらしかった。

 私はしっかりと社長に頭を下げると、社長室を離れた。


「次は全体へ紹介するわよ」


 課長はフロアのちょうど真ん中辺りに行くと、スピーカーの電源を入れ、マイクを持ち、私の入社を知らせた。

 それからマイクを渡された私は、全体に向かって挨拶とお辞儀をした。

 大きな拍手を浴びると、改めて今日からここで働くということを意識した。


 私の席は、課長、係長と来てその次、そして私の隣には今朝の女性がいた。

 課長の下には係長が三人いて、それぞれにニ〜四名の部下がいた。その全員を集めると、改めて課長が私を紹介し、同僚も一人ずつ名前と担当業務を教えてくれた。


 私の係長は、岡田 裕三さん、そして若手の女の子は今村 さつきさんという名前だった。

今日からこの三人で業務にあたる。

とはいっても、午前中は会社に関しての勉強だった。

業務の内容や主な取引先、そして業界での位置付けと、中長期の事業戦略、最後に今年度の事業計画や管理指標などを説明してくれた。


 そこまで済むともう昼食時だったので、四人で食事を食べに出掛けた。

 会社のそばにある美味しいと評判の定食屋さんで食べると、石田課長のご馳走でカフェへ寄った。

 決してだらけている訳ではないが、この会社は少しゆとりがあるのかもしれない。三人からは昼食を食べずに働くような感じは受けなかった。

 でも業績は悪くない。その理由は後々分かることとなった。


(つづく)

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