わんわんお③
ここで引き下がれば俺はもう、ライオン使いではなくなる。
それはつまり〝死〟を意味する。
ハレンチを克服できなかった先にあるのはボスからの制裁。……即ち、死。
だったら──。
死んだつもりになって、目の前で牙を剥き出しにするライオンにぶつかるべきだ。
俺は今まで逃げてばかりだった。戦おうともせず逃げ続けてきた。……だがそれは、昨日までの話だ。
今の俺にはぶつかれるだけの覚悟と勇気がある。
軽井沢さんの机を三度も蹴飛ばし誓った、強固な魂が!
それに俺が死ねば自分を変えたいと思っている楓はずっとクソッタレなままだ。
昨日、あれだけトレーニングがしたいって言ってたもんな。
夜遅くまで筋トレだってがんばっていたもんな。
だから諦めない! 俺の命も! 楓が真っ当な道を歩む人生も!!
ぶつかれ! 恐れるな!
「うるせぇ! トレーニングがしたいなら体操着に着替えて来い!」
楓が体操着に着替えなければ、三限目の体育後を繰り返すことはできない。つまりはハレンチの克服には至らないってことだ。
なによりこれは第一段階に過ぎない。こんなところで躓いているようでは、とてもじゃないがこの先のトレーニングについて来れるとは到底思えない。
だからぶつかる。たとえ兄として間違った行いだとしても、突き進む──。
──さぁ、来い。楓! お兄ちゃんは負けないぞ!
しかし次の瞬間! 楓の表情からは何故か険しさが消えて、パァッと花が咲くように満面の笑みに包まれてしまった⁈
「あぁん♡ それ! お兄ちゃぁん! もっと言って♡」
なっ⁈ ど、どういうことだ? ここは食って掛かって来る場面。むしろ俺はそれを覚悟の上で真っ向からぶつかった。
それなのに甘えた声で「もっと言って♡」だって?
なにがいったい……どうなっている……。
ま、まぁとりあえず、もっと言ってみるか。もっと言いながら、体操着に着替えさせられたら御の字だ……。
「こんの雌ブタがァッ! さっさと体操着に着替えて来い! トレーニングはそれからだ!」
すると楓は再度ベッドの上に仰向けになると、両腕を俺に向かって広げたではないか!
「そう。それ♡ もっと! もっと耳元で言って! 来て! お兄ちゃん♡」
……な、なにこれ?
おいでおいでをされてしまったぞ。
………………………………。
……いや。そ、そうか。そういうことか。
俺はいったい、いつから誤解をしていた? 楓が欲するトレーニングは罵倒されることだったじゃないか!
昨晩、あれほどまでに筋トレをがんばっていたから知らず知らずのうちに、勘違いをしてしまっていた。
ってことは……。今、まさに楓が欲するトレーニングが行われてしまっているんだ……!
……これはまずいぞ。
ライオン使いである俺からの命令『体操着に着替えて来い』を完全に無視して、楓のためだけのトレーニングが始まってしまっているんだ。
「ねぇお兄ちゃん♡ こっち来て昨日みたいにもっと罵倒して?♡ ねぇ〜え! はーやーくー♡」
なんてことだ。制服姿の楓が罵倒をおねだりしてきた。
俺はこれまでに何度、体操着に着替えて来いと言った?
……記憶が正しければ5回。
どうして気がつかなかった。なぜ、疑わなかった。
いったい俺はいつから、錯覚していた?
楓は最初から俺のことを『ライオン使い』としてなんて──見ていなかったんだ……。
体良く罵倒してくれる、トレーニングマシーン……。
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