第1話 クルッた頭の私
ゆっくりと息をすると、石灰水に二酸化炭素を混ぜたときのように空気を白く濁した。
手はかじかみ、凍える寒さの中必死に耐えている。
秋も終りに近づいてきた頃だ。
昼間も風が冷たいというのに、日の当らない月明かりだけがこの地を照らす夜は言うまでもなくただただ寒い。
でも、私にとってはこの寒い外が辛くもあり、少し心が落ち着く場所でもあった。
熱が溜まり、一度暴れた思考を冷やすのに調度良かった。
時計の針は11時をとっくに過ぎている。
誰もいない公園内を見渡す。
蛍光灯の明かりは私が立っているベンチをスポットライトのように照らす。
突然、「ぴゅ~」と風が通り過ぎ思わず身震いした。
「サムッ」
こんなに寒いからこそ、何も考えずに済む。
この孤独感も、虚無感も、全て・・・。
―――――――――――――――――――――・・・
ダウンコートなどの服を布団のように重ね着して一睡もせずに一夜を過ごした。
スマホの電源を入れると朝の5時なのと、電池が残り30パーセントしかない事に気付く。
一睡もしていないのにやけに早く時間が過ぎたように感じた。
垂れそうになった鼻水を「ズズッ」と吸い上げて立ち上がる。
どこでもいい。
どこか温かい場所はないだろうか。
沢山の洋服を両手で抱え込むように担ぎ、フラフラと道を歩く。
すると黒猫が道路をまたぎこちらへ近づいてきた。
と、思ったら私など知らん顔してあちらへ歩く。
「猫は気ままでいいな。」
そんな事をポツリと呟き黒猫とは違う方向を向いて止まった足を再び動かそうとすると誰かが私に問う。
「おまえさんは何が望みじゃ?」
びっくりして後ろを振り向くと、どこかへ行ってしまったはずの黒猫がこちらを向いて「ニャー」と鳴いていた。
「望みなんて無いわ。て、猫に言ってもしょうがないか。」
幻聴だと分かっていても声を出さずにはいられなかった。
上から目線で幼女みたいな声。
そして、「おまえさん」と見下すような言い方。
本当にイラッとした。
「そうカッカしなさんな。」
まただ。
誰が私に話しかけているのかが分からない。
まさかこの黒猫・・・いや、そんなはずは・・・。
こんなにも朝早く外でほっつき歩いている人など一人も見当たらないというのに、耳にはなまいきな声だけが響く。
黒猫はただただこっちをジッと見つめるばかり。
「わしじゃ。わし!て、この姿が悪いのかのう。」
すると、黒猫は突然人の姿になった。
「誰よ。化け物。」
「化け物か。言い響きじゃ。だが、残念ながらわしは化け物ではなく神じゃ。そんなことより望みを聞いておろう。」
見た目はどうみても幼女だ。
黒い着物に見せかけた洋服を着ていて、黒髪のショートボブの頭には髪飾りがくっついている。
「望みなんか無い、て言っているでしょ。なんでそんな事を聞くの?」
黒猫が幼女に化けた事はもうどうでもよかった。
今はただ幼女相手にきつく言ってしまった自分を恥じた。
だが、自称なまいき神様はそんなこと気にしている素振りは無く、不気味に微笑み、私の心を見透かすように言った。
「『愛されたい。』そうじゃろ?」
私は「全て知っているかのように言わないで。何も知らないくせに!」と、言ってやりたかった。
でも、何も言えずに俯く。
そして言った。
「アイしてほしい。」
――――――――――――――――――――・・・
私は頭が冷やされたあの夜の時に気付いた。
私はあの人に依存していた。
あんな分かりやすいDVを受けていたというのに、私はたまに見せる夫の優しさに騙され、感覚が麻痺させられていた。
・
・
・
「やめて!」
「お前のせいで会社が首になったんだぞ!」
「う・・・う・・・」
夫は暴言を吐きながら私を殴り続ける。
硬い拳で、何度も、何度も。
痛みが体をむしばみ唸る事しかできない。
これが毎日のように続く。
あなたは想像できますか?
きっと、出来ないだろうね。
わたしはこれが当たり前になってしまい、気付けば本当の痛みが分からなくなっていた。
それに、これがいつから始まったのかも思い出せない。
でも、この痛みを感じながら思い出させるのは、暴力を受け始める前の彼の優しさとたまに見せる彼の笑顔だった。
「昨日はごめんね。」と私に謝る彼の姿はいつだって頭から離れない。
その時に私はいつも、「私はあなたに尽くすから、あなたは私をアイしてね。」と答えた。
「尽くす。」と言った。
だから私は彼の元から逃げる事はなかった。
・
・
・
「お前なんか嫌いだ。消えろ!」
いつものように殴られ、初めて言われた。
『嫌い。』『消えろ。』
逆にどうして今まで言われなかったのだろうか。
この時初めて我に返った。
我に返ったからといって暴力がおさまる訳ではなく、ただただ殴られ続ける。
「い、痛い。やめ、やめて。痛い。痛いよ・・・。」
この時に初めて、幻滅というものを覚えた。
――――――――――――――――――――・・・
そして離婚にいたった訳であるが、あの家を飛び出したのは私で、飛び出したはいいがお金を家に置いてきてしまい実家に帰る事が出来ずどこかで一夜を過ごさなくてはならなくなったのだ。
「アイしてほしい。」
そう呟くと、自称なまいき神様はこちらに背を向け前進した。
「ついてくるのじゃ。」
私は疑いながらもついて行くことにした。
「『愛されたい。』と言ってもあやつをおまえさんにもう1度愛させる事はできん。だから別の方法でおまえさんの望みを叶えてやろう。」
「あやつ。」というのはあの人の事を指しているのだろうか。
この自称なまいき神様に何が出来るというのだろうか。
「楽しく遊べるといいのう。」
自称なまいき神様は立ち止まって突拍子の無い事を言った。
さすがにこれには困惑した。
ここはさっきまで寒さで死にそうになりながら一夜を過ごした公園のベンチではないか。
「どういうこと?」
あの自称なまいき神様に問いつめようとしたが、その時にはもうその姿は無かった。
そのかわりに推定小学3年生ぐらいの少年が現れた。
そしてその少年はニカッと笑い大きな声で言った。
「お母さん!!!」
「え?」
お母さん?
これはこれはまた突拍子もなく困惑させる言葉だった。
私に子どもはいない。
きっと人違いをしているのだろう。
「えっと・・・僕ちゃん。名前は?」
すると少年はニカッと笑って言った。
「
「翔君か・・。」
家はどこかと聞こうとしたが速攻遮られた。
「お母さんの名前知ってるよ!
「当たってる・・・。」
どうして?
どうして翔君は私の名前を知っているの?
するともう一度翔君は元気よく言った。
「お母さんだから!」
そしてまた同じことを繰り返す。
「お母さんだから知ってる!僕、お母さんに会いに来た。ねぇ、一緒に遊ぼう!」
翔君は両手で抱えているサッカーボールを私に見せるように頭の上まで上げて見せた。
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