Phantasiaに住まう者ども
中田もな
Verus Ⅰ
故郷のイタリアを離れて、早くも三年の月日が経った。俺は今、ルーマニアの街中にある、大型ショッピングモールの中を歩いている。コーヒーやら調味料やらが底を尽きたので、散歩がてら並ぶショーウィンドウを眺め、オシャレなパン屋に入ったところだ。
高い天井を見上げると、かぼちゃのおもちゃや秋の花、オレンジ色のモールなどが飾られている。そう言えば、一週間後はハロウィンだ。俺も何年か前までは、仮装して仲間と盛り上がったりもしたが、社会人になってからはそういうこともなくなった。あれは親しい友人とするから楽しいわけで、異国の地でこそこそとするのは恥ずかしい。
「あ、そのパイもください」
「どれですか? これ?」
「それそれ、リンゴが入ってるやつ」
ルーマニア語はイタリア語と似ているから、そのまま喋っても何となく通じる。入社して早々、ルーマニアに異動になったときは焦ったが、言語面では何の問題も無くて助かった。
「じゃあ、全部で12 Leiね」
「はい、これで」
ゴソゴソと財布を漁って、折れていた紙幣を引っ張り出す。この財布も使い古して、そろそろ薄汚れてきた。せっかくの休日だし、このまま買いに行くのもありだな。
「えーっと、後は……。あぁ、仕事用の筆記用具か」
手元のメモを確認しながら、フロアの中を行ったり来たり。買い物は嫌いじゃないが、ウロウロするのはどうも疲れる。荷物も増えてきたし、外のベンチで休憩するか。
「お兄さん、そこ座るの?」
「ん? ああ、そうだけど……」
緑の蛍光色で塗られた、見た目にも派手なベンチ。俺がそこに座ろうとすると、突然横から声を掛けられた。傍の屋台で店番をしている少年が、俺に向かって手を振っている。胡桃色のミディアムヘアをぴょんぴょんさせながら、何やらニコニコと嬉しそうだ。
「あのね、僕、試作品を作ってるんだ! もし良かったら、お兄さんにも味見して欲しいな!」
「試作品? いいけど、もちろん無料だよな?」
「うんうん、たったの7 Leiだよ!」
そいつは俺の話もろくに聞かずに、そそくさと屋台のドアから出てくると、筒状の菓子を俺の目の前に押しつけた。くるくると巻かれた生地はほんのりとしたかぼちゃ色で、表面にはココナッツがふり掛けられている。
「Kürtőskalácsのハロウィン味! トッピングとして、かぼちゃのソフトクリームものせられるよ!」
言うや否や、そいつは勝手に屋台に戻って、勝手にソフトクリームをトッピングし始めた。俺から金をふんだくろうとしているのか、随分と多めに盛ってくる。
「おい、ふざけるな。7 Lei以上は払わねぇからな」
「もちろん、7 Leiでいいよ! お兄さんイケメンだから、特別サービス!」
……あいにく同性だが、イケメンと言われて悪い気はしない。俺はいくらか機嫌が良くなって、そいつをベンチに座らせてもそもそと食べ始めた。
「どう、お兄さん? 美味しいでしょ?」
「……まぁ、美味いな」
サクッとした焼き菓子に、甘いかぼちゃのソフトクリーム。ハンガリー生まれのスイーツは、ハロウィン仕様になっても美味かった。
「ふふふっ、良かった! お兄さんのお墨付きも貰ったし、これでハロウィンパーティのときに、自信をもって出品できるよ!」
少年は赤い瞳をキラキラさせながら、じっと俺の顔を覗き込んできた。視界に映りこんで来る、真紅の両目。それはまるで、「早く質問して!」と言わんばかりだった。
「……ハロウィンパーティって、ここら辺でやるのか?」
「ううん、ブラン城の方だよ! 観光客を相手に出店するんだ! 結構人が来るから、毎年忙しいの!」
ルーマニアの中部に位置するブラショフ県。首都ブカレストからも日帰りで行ける場所なんだが、そこにはブランという名前の有名な城がある。ドイツ人の同僚から聞いた話によると、そこは吸血鬼にゆかりのある城らしい。俺は詳しく知らないが。
「だからね、お兄さんにも来て欲しいな! 僕のお手伝いしてよ!」
「いや、何でそうなるんだよ。ハロウィンは休日じゃねぇし、普通に無理だから」
菓子を食べ終えた俺は、それだけ言うとさっさと席を後にしようとした。だがそいつは俺にがっしりとしがみつき、頭を腹に押しつけてくる。
「お兄さん、お願いだよー! お礼はちゃんとするからー!」
「いってぇな! おい、やめろ!」
「お願いお願いお願い!!」
「だから、いてぇっつーの!!」
無理やり引き剥がして、ついでに菓子のゴミを押しつけると、そいつはボロボロと泣き始めた。周りにも買い物客がいるし、俺が泣かせたみたいで地味に気まずい。
「ひどいよぉ、お兄さん……。僕一人じゃ、絶対に無理だよぉ……」
……ったく、何なんだよ、こいつは。俺の服を涙で濡らすわ、可愛い顔で見つめてくるわで、何としても俺を「うん」と言わせたいらしい。
「……タダ働きだったら許さねぇからな」
とうとう断り切れなかった俺がそう言うと、そいつは途端に顔を明るくする。……薄々気付いてはいたが、やっぱりただの嘘泣きだった。
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