川の主が死んだ~出雲への訪問編~

武田武蔵

第1話 大黒天

新しい川の主の名は、”節”と言った。

彼女が川の主になり、暫く。出雲の地に日本の神々が集う聖なる催しがあると言う。それは川や山の主も同様で、少女は一番遅く川の主と成った為、各主や神々に挨拶に向かわなければならない事になった。

 その為、数日間川を留守にする。その際の留守番は、大黒天の化身がすると言うので、近くの大黒天の奉られている神社に参りに向かう事となったのである。一人では不安だと言うので、川風の鬼神が共にヒトに化けて着いてきた。

「主殿は、臆病なのか」

 近く、と行っても汽車に暫く揺られる事になる。客席の向かいに腰掛けた、好青年に化けた鬼神は、節に問うた。

「漣も知っているでしょう。私は一人では外にも出られなかったのよ」

 今、節が吐いた名は、川風の鬼神の人間に化けた際の仮の名である。強いて言えば、川風の鬼神と言うものも俗称であり、本当の名は漣乃丈鬼比古れんのじょうきひこと言う。更に重ねると、人の姿になった時には、鬼塚漣おにづかれんと名乗るのである。

 因みに、節にも川の主としての新たな名を、出雲の地にて最高神に与えられる予定である。

 やがて列車は山を抜け、海岸線へと至る。

「うわぁ、この真っ青な水溜まりは何」

 節ははしゃいだように漣を見る。漣は小さくため息を吐き、

「海と言うものだ。広くて、果てしない」

 そうして水平線を指差し、

「私は行った事はないが、あの向こうに新たな地があると聞く」

 と、説明した。

「そうなの」

 身体から溢れる高揚感のまま、節は声を弾ませた。

「私も行ってみたい……」

 産み落とされた時から外を知らぬ少女は、世界に興味を持ったらしい。これは出雲から帰る際に東京の銀座辺りで地球儀を買わなければならないと、漣は心の中で思考した。

 不意に通り過ぎた駅名を目にすると、下車駅が次である事がわかった。

「次の駅で下りるぞ」

 立ち上がり、足元に置いたトランクを持ち、漣が言った。

「はぁい」

 先程前の海が山の中のトンネルにより遮られた事に、少し不満げに節は答えた。そうして、己もトランクの持ち手を持ち、席を立ち先を行く漣の後を追ったのであった。

 汽車は汽笛を上げてトンネルを出る。乗車口の窓から見える風景は、木立が這う森の中であった。

 降りた駅の駅名は、”大黒柱”と書かれていた。如何にも大黒天の奉られているような場所である。

「やっと着いたぁ」

 厳しい残暑の中で、節は麦わら帽子を被った。

「行くぞ、主殿」

 鬼の姿で走れば、半刻もかからない距離である。しかし、節は大鴨の言っていた汽車と言うものに興味を持ち、ヒトとして出向きたいと言ったのである。付き添いは、ヒトに化けられる川風の鬼神──漣に絞られた。

 どうやら無人駅のようで、漣は駅舎に貼られた時刻表を確かめる。次の電車は、三時間後であった。大黒柱駅は、以前一度訪れた事があるが、どうやって大黒天の奉られている神社に向かうか迄は、記憶が曖昧である。その為の三時間であろうと、彼は考えた。

 誰もいない改札を抜け、繁る林の中に出る。森の中に無理やり駅を立てたのか、それとも参拝客用に駅を建てたは良いが、手入れをされず、森となったのか。

 今となっては、わからない事である。

「森の中は涼しいわね」

 日光を遮られた為、ほの暗くなった森の中を進みながら、節は言った。

「そうだろうか」

 普段は比較的通気性の良い狩衣を着ている為、ヒトの服を纏うと、逆に暑く感じる。白いカッターシャツと、サスペンダーで止めた茶色のズボンと言うヒトの装束は、やはり些か暑い。扇で風を吹かせる漣を先頭に、更に深い森の中へと大黒天を奉る神社に続く道を辿った。

 木立に吹いた、涼やかな風が節の伸びた後ろ髪を弄ぶ。間も無く、朽ちた鳥居が見えてきた。

「本当に、大黒天様はいらっしゃるのかしら」

 鳥居の向こう側に広がる、半ば崩れた本堂を見て、節は不安になった。

「紛いなりにも神社として機能はしている。例え化身のみのお姿であれ、逢う事が出来るだろう。さぁ、主殿」

 と、漣は節を促した。

「あ、はいっ」

 漣の前に押し出され、慌てたように節は言葉を発する。そうして、色褪せた鈴の緒へと手を伸ばした。一度唾液を飲み込み、鈴の緒を鳴らす。間も無く、何処からともなく声が聞こえてきた。

「このような古ぼけた社に参拝客か。お主は何を望むのだ」

 その声に節は前を見る。そこには、右肩に大袋を抱え、左手に小槌を持つ、福耳の壮年くらいの恰幅の良い姿をした大黒天が立っていた。頭の頭巾が、風に揺れる。

「あなたが大黒天様、それともその化身」

「如何にも、我は大黒天だ。化身などではない」

 と、大黒天と名乗る神は言った。

「偶々地方を回っていてな。その途中で、この社に立ち寄った。日差しが強いので、夕方を待とうと日除けにはなるだろう社の中にいたのだ」

「まさか、本当に大黒天殿か」

 漣は慌てたように節を連れ、地面に跪いた。

「申し訳ない事を致しました。彼女は川の主になって短い故、ご無礼をお許し下さい」

 先程までの態度とは裏腹に、漣は言葉を紡ぐ。

「ほほう、お前、名は何と言う」

 節を見て、大黒天は言った。

「節と申します。出雲の地にて、主としての名を最高神様から頂く予定です」

「成る程。未だ確りと認められた主ではないようだな」

「はい、そうです」

 節は顔を上げた。

「この間の十五夜に、元の大蛙の主が死にました。私は生前の約束として、新たな主となったのです。丁度、思い詰めて首を吊った日でした。葬式の最中に魂だけ抜け出して、川に向かった訳です」

「ほう。では、出雲に行くのだな。最高神天照大神様から名を貰う為に」

「そうなります。それで……」

 と、彼女は意を決して大黒天に告げた。

「私の川を、護って頂きたいのです。出雲に行く数日の間だけで良いので」

 すると大黒天は、大袋と小槌を社に置き、数段高くなっていた社の上から、節の前に飛び降りた。

「あいわかった。引き受けよう。幼い川の主よ」

 そう言った。

「しかし、我は忙しい。その代わりに、同じ働きをして、何かがあればすぐに我が駆けつけられる、特殊な化身を用意しよう」

「有難うございます」

 節はこうべを垂れた。

 大黒天は懐から人形を取り出し、節に差し出した。

「これを川の何処かに貼れば良い。お前もそろそろ出雲に出かける頃だろう。今日中にでも貼って欲しい」

 彼は頬笑んだ。

「わかりました。川に帰り次第、橋の裏に張り付けましょう」

「物分かりの良い娘だ。ヒトの目に触れる場所に貼る事を避けるようにと言う所だった」

「感謝します。大黒天様。それでは、またいつかお逢いしましょう」

 と、節は再び大黒天にこうべを垂れて、踵を返し歩き出した。

 鳥居を潜った時、即ち大黒天の目から離れた時、節は緊張の糸が切れたように座り込んだ。

「あぁ、緊張した……」

 大黒天から譲り受けた人形を手に、身体を震わせる。

「主殿、大丈夫か」

 漣が手を差し伸べた。

「えぇ、大丈夫よ、漣。有難う」

 節は言って、トランクを開けて人形をしまい込んだ。そうして立ち上がり、

「行きましょう」

 トランクの持ち手を持ち、言った。

 駅迄の道のりは、行きとは違い、比較的楽なものであった。恐らく軽く勾配があったのであろう、滑るように、蔦の這う駅へと着いていた。漣は時計を見る。二時五十分。なんとか、間に間に合う事が出来た。

 ホームに出て、日陰を見付けて汽車を待つ。暫くすると、汽笛の音が聞こえてきた。汽車はホームに入り、止まる。節と漣は、それに乗り込んだ。

「後は帰って人形を張り付けるだけね」

 足を組んだ漣に向かい、節は言う。

「ヒトから主に戻るのも大変だろう。川に棲む連中に任せよう。私と主殿は明日には出雲に向かう為に、東京を目指す」

「もう、漣。旅先では主殿はなしよ。節と呼んで頂戴」

 その言葉に、漣は少し節から顔を背け、

「……わかった、節」

 と、呟いた。その顔には、紅葉が散っている。


 やがて、故郷の駅に着くと、二人は川へと戻り、会議を開いたモノたちを呼んだ。既に夜は更け、月が天上に昇っている。

「帰られたのですね、主殿」

 と、山女魚が顔を出す。

「今か今かと待っておりました」

 大鴨が姿を現した。

「明日には出雲にお立ちになるのですか」

 そう聞いたのは長寿の亀であった。

「えぇ、そうするわ。それと、これ。橋の裏に張っておいて」

 節は大黒天から貰い受けた紙の人形を亀に食ませた。

「これは」

 と、山女魚が問う。

「大黒神様から頂いた化身用の人形よ。人間から見えない所に貼って欲しいみたいなの」

「わかりました。貼っておきましょう。主殿は早くお休みになられた方が宜しいかと」

「有難う、そうするわ」

 節はそう言って、草の寝床に横たわった。

「漣、来る」

 少し間を開けて、彼女は聞いた。

「私は木の上で眠ろう。節は紛いなりにも川の主だ。何かが起きてしまった後では申し訳ない」

 そう言って、漣は素早く木に上ってしまった。

「我々は頂いた人形を橋の下に貼っておきます。早く、お眠り下さい」

 大鴨はそう言って、節を眠りへと誘った。

 翌朝、節と漣は東京行きの汽車に乗り、遥か出雲の地に旅立った。

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