第136話 クソガキ
アイウスを落とした後、北部勢力はカティルバリナを中心に沿岸の防衛を固め、町の復興に注力した。ケレム・カシシュ側の砲撃によって破壊された町並みの復興は進んでおらず、特に大きな市場があった中心部は酷い有様だったのだ。デニズヨルの議員や軍の中には余勢をかり、すぐにギュネシウスを攻めるべきだという意見も少なからずあったのだが、制圧後、日を置かずにアイウスを視察したドゥシュナンとイーキンの献策によって、住民生活の安定を優先させている。
逃げ出したカシシュ家の行政官の代わりに、まずは各種商工組合や地区の代表を集めて意思決定機関を作らせた。その次に北部勢力およびアバレ家に経済面、軍事面で協力すること、カシシュ家とは関係を断つこと、見返りに資金援助をすることなどを契約として取り交わした。一部の代表者からは、町を破壊した象徴であるカティルバリナが、未だ沖合にいること引き合いに出しての反対意見も出たのだが、軍事力を恐れてか、或いは我こそがアイウスを発展させてきたのだとか、利用できるだけ利用してやろうとの
多くの者は北部勢力と良い関係を結ぶことに賛同した。
「まずは一つ」
机上に広げた地図を前に、セルハンは感情を込めず呟く。それはやはり、今後の軍の展開に関して相変わらず厳しいものがあるからだろう。
今回のアイウス攻略戦と同じ戦法が、ギュネシウスでは通用しないことは明らかである。かといって、ギュネシウスを後回しにして内陸の領地に攻め込めば、その隙を突かれ、味方に大きな損害が出る可能性がある。
どうにも押さえている土地が薄いのだ。アイウスとの関係も、実態はどうあれ、占領ではなく住民自治の上で同盟を結ぶ形式をとった。こちらの守備隊が去れば裏切ることだってあるだろう。
大規模に軍を動かせば、たちまちのうちに北部勢力が分断される危うさは変わりない。それは他の有力家の勢力でも同じだった。
だが、アイウスだ。ケレム・カシシュはカティルバリナ艦隊があれば大丈夫だと慢心でもしていたのだろうか。ここに無能な指揮官が配置されていたお陰で、ほぼ損害なしでアイウスを味方に付け、ギュネシウスを半ば孤立させることに成功した。
ドゥシュナンの予想通りであれば、あとは北部勢力が動かずともギュネシウスは落ちるだろう。ケレム・カシシュを始めとして多くの勢力が
*
「あー、それでは皆さん。軍議を開始します」
アトパズルの中心部。ラピスラズリの顔料で草花が描かれた白壁の屋敷の一角で、キズミット・ソルマを交えた南部氏族連合の軍議が行なわれていた。
彼女とアルテンジュが見守る中、デミルが進行する。
「オドンジョ殿からつい先日、アイウスが北部勢力によって陥落したとの情報を頂いた。現地に駐在していたロッカクによれば、カティルバリナ艦隊をほぼ無傷で手に入れ、大した損害もなかったように見える。とのことだ」
カシムは腕組みをしてじっとしているが、タネルやエムレなどは顔を見合わせて感嘆の声を漏らしている。
「それを受けて今後の方針について、アルテンジュ様よりご提案がある。では、アルテンジュ様」
「うむ。今もって北部勢力が余に臣従するかどうかは定かではないが、これは以前に敗北を喫したギュネシウスを攻める好機である。よって、ギュネシウス攻めについて、
「王子」
「どうした? カシム殿」
「それはギュネシウス攻めの是非も含めて話し合うってことで?」
「……その通りだ」
「だ、そうだ。野郎ども、攻めるかどうか、つまり勝つ可能性があるかどうかまで含めて考えろよ」
カシムとのやり取りにアルテンジュは一瞬、渋い顔をしたが、またすぐに表情を戻した。しかし、隣の椅子に座るキズミット・ソルマは気付いており、彼女も眉根を寄せていた。
「ときに王子よ。お主から見て勝算はあるのか?」
平時の顔に戻したキズミットが問う。
「北部勢力が勝てたのです。我らが勝てない道理はありません」
深く息を吐いたキズミットが再び問う。
「お主らを散々に打ち払ったバリナとキョペキバルの艦隊は未だ健在。いかにして?」
「それを考えるのが彼らの役目です。私の頭ではどうせ、大した策など思い浮かぶはずもない」
彼女は再び溜息を
その反応をアルテンジュは多少なりとも苛立たしく思ったが、大事な協力者にそのような表情を見せるわけにもいかない。一度笑顔を作った後に真面目な表情を
やれ、亡くなった兵たちの無念を晴らすためにも直ちに攻め込むべきだ。
やれ、艦砲射撃への対策が無い状態で攻め込むのは死にに行くようなものだ。
やれ、北部勢力がいずれギュネシウスを落としてくれるだろうから、防御に徹していれば良いのだ。
その中に在ってもカシムは自分の意見を言わず、聞き役に徹しているように見えたのだが、ゆっくりと口を開いた。総指揮官としての役割を果たそうとしているのかも知れない。
「あー、その、なんだ。とりあえずはだな、どうやったら勝てるのか考えようじゃねえか。それが無理とか被害がでかいってんなら、攻めるのはやめた方がいい。そういうところでどうだ?」
「うむ。カシム殿の言う通りだ」
カシムの提案に、先ほど否定的な意見を述べていたテペクルジュのエムレが同意すれば、他の参加者も言葉の有無によらず、同意を表明した。
「海軍をどうするか、だな。
「やはり最大の障害となるのは海軍だ。あれをどうにかしなければならない」
「アイウスの陥落で、あちら側はルスやユズクとの行き来に大きな街道が使えなくなった。ギュネシウス近辺の残りの街道を封鎖すれば、守備隊だけでも壁の内側から出てくるのではないか?」
「オルマンユユの漁船で海軍を夜襲してみたらどうか?」
「北部勢力の海軍に動いてもらわなければ勝ち目はない」
意見が飛び交う中で、カシムがキズミット・ソルマに質問を投げかける。
「ところで、俺たちがギュネシウスに出払ったら、アトパズルの守備は大丈夫なので?」
「問題はない。……と言いたいところだが、ケレムめがこちらに全軍を差し向けて来れば難しいであろうな」
負ける、ではなく、難しいという。そこにキズミットの誇りがみえるが、一方でカシシュ側が全軍で攻め寄せることもないだろうと、ここにいた皆が思っている。
「ギュネシウス守備隊の規模は?」
「およそ2500。海軍抜きの数字です」
「破損していた城壁の修復は?」
「応急処置は終わっています」
カシムの問いにデミルがすらすらと淀みなく反応すれば、カシムはすぐにアルテンジュに向かい、
「王子、こいつは無理だ。ユズクを攻める方が何倍も可能性がありますぜ」
とぶっきらぼうに言う。
「なぜ、無理なのだ? 北部の連中にできたことが、なぜ我らにはできない?」
「あー、よく聞いてくださいよ。まず、北部の連中にはデニズヨルとデブラーチェニスの港があって、少ないとはいえ、海軍を掌握していた」
「うむ。そんなことは知っておる」
「加えて、アバレ家を味方に引き入れ、ビュークバルクとウチャンも協力しているという話だ」
「だから何だというのだ?」
「そんなことも分からねえんですかい?」
「早く結論を言え! 結論を!」
「はいはい。動員できる船の数が違うってことですよ。加えて北部の奴らは、油断していたカティルバリナ艦隊への夜襲に成功した。ギュネシウス沖の海軍は万全の態勢で待ち構えている。だが、こっちはオルマンユユの小さな漁船が少しだけ。あっちの海軍をどうにもできないからどうにもならねえ、ってことですよ」
「それを考えて成功させるのが貴殿の役目だろう」
「ちっ、これだからガキのお
「なんだと! 俺が攻めろと言ったら攻めるんだよ!」
「うるせえ!」
「王子に向かってその言い草はなんだ!」
「何が王子だ! てめえみたいなクソガキが王子なものか! いいか、よく聞けよ? こっちは南部氏族の命を預かってるんだよ! 前の敗戦でゲロ吐いてた奴が、そんなことも忘れてともかく攻めろなんざあ、そんな命令、誰が聞けるか!」
「黙れ! 黙れ黙れ黙れ! 俺の言うことを――」
「そこまでだ」
その、静かで重い声に、アルテンジュもカシムも、そして軍議に出席していた他の面々も水を打ったように静まり返り、声の主に注目した。
「カシム殿、我らが王子の心得違いで大変失礼した。この場はいったんお開きとして、後日とするのが良いと思うが
「……な!?」
カシムに頭を下げたキズミットを見て、アルテンジュは言葉を失う。
「いや、こちらこそお騒がせして申し訳ありません。ソルマ殿の言う通りにします」
対するカシムの返答にアルテンジュは再び声を失った。
軍議の参加者が気の毒そうな表情を向けて去っていく様子を、アルテンジュはただ呆然として眺め、やがてキズミットと二人だけとなったとき、アルテンジュは力任せに拳を机に打ち付けた。
「くそ! くそ! くそ! くそくそくそくそ! くそ!」
何度も何度も。
「キズミット殿、どうして俺の味方をしてくれなかったんですか!?」
「……カシム殿の言う通り、お主は本当にどうしようもないガキだのう」
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