失恋の旅路

@dekai3

さよなら、アキヒロ

「なあ、海行こうぜ、海」


 アキヒロはいつも通り屋根を伝って窓を開けて俺の部屋に入って来て、いつも通りの口調でそう言った。

 俺は驚きながらも目を擦りつつ跳ね起き、やんちゃな性格に似合わない黒い長髪のポニーテールとその根元に付けられた青いシュシュを見て、(ああ、確かにアキヒロだな)と納得をする。

 こいつは本当に他人の気持ちなんかお構いなしで、いつもこうやって唐突に俺の部屋にやって来ては突拍子もない事を言う。俺が寝ていようが勉強中だろうがゲーム中だろうが一人でよろしくやってようが失恋で傷心中だろうがお構いなしにやってくる。

 いくら隣同士で同年齢の幼馴染と言っても、もうちょっと遠慮という物を覚えてはくれなかったのだろうか。


「おい、聞いてんのかスグル。海だぞ、海。夏の最後の思い出と言ったら海だろ

「……今はもう秋に入った所だよ」

「いいんだよ、まだ暑いんだから夏で。秋は別れの季節って言うぐらいだしまだ早い」


 本当、俺の気持ちなんか全く考えないで言いたい放題行ってくれる。

 もう10月に入って数日経ったというのに夏は無いだろう。


「とりあえず今から海行くぞ。駅まで自転車で行けばちょうどいい感じに始発来るだろ」

「……朝ごはんはどうする?」

「いらねぇ、スグルは食べたきゃ食べな」

「そうか、だったら俺もいいよ。直ぐに着替える」

「おう、自転車のとこで待ってるわ」


 アキヒロはそう言い、入って来た時と同じように窓から外へと出て行った。

 俺とアキヒロは親が友人同士の幼馴染で、隣に住んでいる事もあって幼い時からずっと一緒だった。

 アキヒロは美容院をやっている親の影響か男なのに髪を伸ばしていて、お店のシャンプーやらを使っているのか常にサラサラな髪をしていた。

 だから小学生の時はよく女の子に間違われたり同級生からからかわれたりしていたけど、性格はやんちゃだったからそういう奴らとは容赦なく殴り合いの喧嘩をしていて、それを止めるのが俺の役目みたいな感じだった。

 アキヒロが女の子と思われていたのは身長が小さかったからなのもあると思う。逆に俺は身長がぐんぐんと伸びたから、中学に上がる事には頭一つ分ぐらいの差が出来ていた。


「おせーぞスグル。着替えるだけなのにそんなに時間かかるのか?」

「色々と持って行く物があったんだよ。アキヒロは手ぶらでいいの?」

「俺の荷物はだいたいスグルが持ってくれてるだろ?」

「ははっ、確かに」


 体が小さい事もあってかアキヒロは筋力が低く、重たい荷物はだいたい俺が持つ様になってた。

 小学生の頃は殴り合いの喧嘩をしていたアキヒロだけど、中学に入って同級生の男子と身長や体格の差が出てくるとそういう暴力的な事はしなくなり、代わりに口が達者になっていった。

 この時からだろう。俺が周囲からアキヒロの保護者扱いされだしたのは。

 アキヒロが自分につっかかってくる男子と口喧嘩していると、女子が俺を呼んで仲裁する様に言うのだ。

 俺は俺で他の奴らよりも身長が高かったから、その威圧感だけで穏便に事を済ませる事が出来たんだ。俺は殴り合いの喧嘩なんてした事無かったし。


「ほら、早く乗れよ」

「2ケツ? 自分のは?」

「今日はそういう気分なんだよ」


 アキヒロは既に俺の自転車の荷台に跨って座っていて、まるで自分が運転するかのような口調で言う。

 こういう時のアキヒロは何を言っても無駄なので観念してカゴに鞄を入れ、サドルに跨ってスタンドを後ろに蹴飛ばす。

 そして、背中にアキヒロの存在を感じながら、ペダルを漕ぎ出す。

 荷台に座っているアキヒロはとても軽くて、勢いよく漕いだらどこかへ飛んで行ってしまう様に思える。


「ちゃんと掴まってろよ、アキヒロ」

「お前無駄に体大きくて手を回せねぇんだよ。もっと細くなれねえの?」

「アキヒロの腕が短いんだろ?」

「は?」


 アキヒロの怒声を背中で流しながら、駅へと向かってペダルをこぎ続ける。

 俺の家とアキヒロの家から駅までは10分とかからない。道もほぼ真っ直ぐで、寄り道をする様な場所も無い。

 早朝の道はまだ通勤や通学の人が居なく、それどころか道路の車さえいない。

 まるでこの世界に俺とアキヒロの二人だけが残されてしまったかのような感覚に陥る。実際はそんな事無いのだろうけど、そうであった欲しいと思ってしまう魅力がある。


「お、やっぱ始発来てるじゃん。急げよスグル」

「ちょっと待てって、切符買うから!」


 あっという間に駅に到着すると、始発らしき電車が線路を走って駅までやって来るのが見えた。

 俺は慌てて自転車を駐輪所に停め、カゴの鞄を取り出して改札へと走る。

 アキヒロはあっという間に改札内まで辿り着いていて、俺が慌てながら券売機を操作するのを「早くしろって」と言いながら笑いながら見ている。

 そして、俺が改札から出てホームへ辿り着くと同時に電車も到着して、誰も座っていない車両のドアを開けた。

 俺は息を落ち着かせながら電車に乗り込み、アキヒロと二人で端の二人掛けの席に座る。


「な、ちょうど来ただろ?」

「……計算してたのか?」

「いや、偶然」

「なんだそれ」


 二人で横に並び、俺は目線を下にして、アキヒロは目線を上にして見つめ合って笑い合う。

 こうして横に座ると俺とアキヒロの体格差はよくわかり、確かに傍から見たら俺とスグルは同級生じゃなくて保護者みたいに見えるんだろうなと思う。

 だからお互いの親も俺とアキヒロをよく一緒にさせたがったし、実際にアキヒロが何かしたりスグルに何か起こった時は俺が対処をしていた。

 そうやって幼いころから周りが俺とアキヒロを一緒にしたがるもんだから、気が付いたら俺も俺でアキヒロの事ばかり考えていて、アキヒロのいい香りのする髪の毛とか、中学を卒業しても華奢なままの手足とか、アキヒロのやんちゃな中にもふっと見える優しい笑顔だとか、そういうのに惹かれてた。


 そして、気付いたら俺は、アキヒロに恋をしていた。

 アキヒロが付けている青いシュシュは俺が去年のクリスマスにプレゼントした物だ。その時は「お前も女物を送るのかよ」と嫌そうな顔をしていたけど、次の日から毎日シュシュを使ってくれて、俺はそれが凄く嬉しかった。

 アキヒロが髪型を気分で変えるようになったのも、その時からだったと思う。


「始発だから誰もいないな」


 そう言ってアキヒロは車内をキョロキョロと見回す。

 アキヒロが顔を振る度にポニーテールが揺れるのだけど、隣に居るからポニーテールが俺の腕に当たるし、揺れる度にお店で使っているだろうシャンプーの良い香りが漂ってくる。

 俺はその香りがとても好きで、思わずアキヒロを抱きしめてしまいそうになる。

 でも、それはもう叶わない。


「なあ、アキヒロ」

「なんだ、スグル」

「どうして……海なんだ?」

「わかんね」

「わかんねって、お前…」

「多分だけどさ、送り出すとしたら、川とか海とか、そういう場所なんだろ?」

「なるほどな」


 海が見える駅には直ぐに着いた。

 俺達が住んでいる街から三駅しか離れていない駅で、観光地みたいな泳げる場所のある海じゃなくて、工場が立ち並ぶ海だけど。


「海、汚ぇな」

「心が汚いと汚く見えるらしいぞ、アキヒロ?」

「じゃあスグルが見える海は綺麗なのか?」

「いや、俺にも汚く見える」

「はは、ダメじゃねえか」


 改札から出て直ぐの海沿いの道に立って、俺達は日が出ていない早朝特有の黒くどんよりとした海を見る。

 後四駅も離れれば海水浴場のある駅まで行けたのだけど、俺もアキヒロも今の俺達はここの海でいいんだと思ってこの駅で降りた。

 あんまり遠くに行くと帰るのに時間がかかるし、アキヒロはともかくとして俺は学校へ行かなくちゃいけないし。

 もう余り時間が無いのはなんとなくお互い分かってる。だから、勿体ぶらずに率直に言おう。

 なるべくアキヒロの方を見ずに、真っ直ぐ海を見ながら、俺はアキヒロへ声を掛ける。


「あのさ、アキヒロ」

「おう」


 アキヒロも同じ様に真っ直ぐ海を見ている様で、こういう所が幼馴染なんだなと再確認する。


「俺さ、ずっとアキヒロの事がさ…」

「スグル、俺はお前が嫌いだ!」

「えっ」


 俺の告白を遮る様に、海に向かってアキヒロが叫び出した。


「俺より大きいのが嫌いだ! 俺より力があるのが嫌いだ! 俺より男らしいのが嫌いだ!」

「お、おい、アキヒロ…」

「俺より優しいのが嫌いだ! 俺よりかっこいいのが嫌いだ! 俺より頼りがいがあるのが嫌いだ!」


 アキヒロは俺の静止に構わず叫び続ける。

 まるで俺に喋らせないかのように。


「俺が困っていたら直ぐに駆けつけてくれたのが嫌いだ! 無茶を言っても笑って許してくれたのが嫌いだ! 誰よりも俺を信じてくれたのが嫌いだ!」


 アキヒロの叫びは止まらない。

 俺はもうアキヒロの邪魔をせず、黙って前を向いたままそれを聞く。


「いつ会いに行っても笑顔で迎えてくれたから嫌いだ! 俺に青いシュシュをくれたのが嫌いだ! 毎日髪型を褒めてくれたのが嫌いだ!」


 アキヒロの声は段々と小さくなり、心なしか震えているように感じる。

 でも、俺はぐっと奥歯を噛み締め、アキヒロへ顔を向けたくなる気持ちを必死に堪える。


「男の癖に男である俺を好きになったのが嫌いだ!」


 今、アキヒロの顔を見てしまったら、俺はきっとアキヒロの事を忘れられなくなってしまう。アキヒロの必死の思いを踏みにじってしまう。


「自分の気持ちを言えなくて、ずっと堪えていたところが嫌いだ!」


 だから、どんなに苦しくても、真っ直ぐ海を見つめたまま視線を逸らさない。

 俺はアキヒロの想いを受け止めなければいけない。


「死んでしまった俺の後を追おうとしているスグルなんて、嫌いだ!!!」


 アキヒロは俺に生きろって、そう言ってくれているのだから。


「あぁ、あ…う、ぐぅぅ……」


 俺は必死に奥歯を噛み締め、アキヒロに言いたかった事を全て飲み込み、代わりに目から涙を流す。

 早朝の海はどんよりとしていて、まるで俺の心の中を映したかのように黒く濁っている。

 俺はその海を真っ直ぐ見つめて、必死に口を開かない様に噛み締めて、ただひたすら目から想いを垂れ流す。

 俺がアキヒロに向けていた想いが、どんよりとした海に吸い込まれて、元の形が分からなくなるまで混ざってしまう様に。
















 どれぐらい泣いていたのか分からない。

 気が付くと太陽は高く昇っていて、黒くどんよりしていた海は綺麗とまではいかないけど青い海へと変わっていた。

 隣には誰も居なくて、俺は一人きりで海に向かって棒立ちしていた。


 アキヒロは居ない。

 アキヒロは体格が小さいからか心臓が弱く、大人になる事が出来るか分からない子だと言われていた。

 中学まではなんとかなったみたいだけど、高校には進学せず、ずっと家で寝ているか病院で検査をしているだけだった。

 それでも、アキヒロは毎晩のように俺の部屋に来ては俺と話をしたりゲームをしたりして、俺はアキヒロが居なくなる事なんて全く考えて無かった。


 でも、アキヒロは死んだ。


 一昨日、アキヒロの通夜があって、

 昨日、アキヒロは骨になった。


 アキヒロの骨を壷に入れるのも、アキヒロをお墓に入れるのも、俺も手伝った。

 アキヒロの両親も、俺の両親も泣いていて、俺も沢山泣いた。

 そして、俺はアキヒロに会えなくなってしまった事が嫌で、俺も死んでしまおうと思っていた。




 俺は鞄から青いシュシュを取り出し、手に掴んで大きく振りかぶる。

 火葬する時に形見として受け取ったシュシュだけど、これは俺がアキヒロにあげた物だから俺が持っていちゃいけない物だ。

 だから、アキヒロと一緒に送り出す。


「さよならだ、アキヒロ」


 俺はまた涙を流しながら、振りかぶった手を大きく振り下ろし、シュシュを海へと投げ捨てる。

 シュシュは思ったより飛ばなかったけれど、海へ落ちてそのまま波に揉まれて消えて行った。


 家に帰った俺は親に黙って出かけた事を怒られたけど、「アキヒロとお別れをしてきた」と言ったら許して貰えた。


 学校から帰ってきたらアキヒロに線香をあげに行こう。

 女みたいだって嫌がるだろうけど、花も買って行こう。


 俺のアキヒロへの気持ちは海へと流してしまったけれど、それでも幼馴染だったんだからこれぐらいは許される筈だ。







 さよなら、俺の初恋。

 さよなら、俺の幼馴染。

 さよなら、アキヒロ。

 

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