宰相の企みと逆襲の第一歩

 その店は、疲れた勤労者に似つかわしい草臥れた店構えだった。

男はテーブルに座るなり酒を頼み、呑み始めた。


 ブツブツ言っている言葉を聴き取ると、主人の悪口らしく、あのケチがとか、この給金でどれだけ仕事させたら気が済むのか、何時間も怒鳴りやがってなどと言っている。


 頃合いを見て、クリスは前に座り、自分も酔った振りをして、「御同輩のお仕事も大変ですか。お互い上司に恵まれないですなあ。」と話しかける。


そこからは、お互いの上司のどちらが酷いかを比べ合い、意気投合した振りをして、勘定を持った上で、奢るのでもう一軒行こうと提案すると、男は直ぐに乗って来た。


乗り合い馬車に乗ると、直ぐにクリスは男の首筋を手刀し、気絶させるとヘブラリー家の離れに連れて行った。


酔いが醒めるまで数時間放置したあと、水に顔を突っ込ませて強制的に起こす。


「ミラー様、申し訳ありません。」

水面から出てきた第一声は謝罪だった。


(これは相当酷い扱いされているなあ。)

男の背後にいるダニエルとクリスは顔を見合わす。


男は周りを見て状況を理解したのか、ここは何処だと騒ぎ出した。


「黙れ!お前は聞かれたことだけ答えれば良い。さもなければ・・・」

男の横に立っているバースが脅す。


「お前の主人がヘブラリー家の結婚を潰す企みをしているのは知っているな。その詳細を話せ。」


「なんの事ですか。私には主人がやっている事なんて何も知りません。」


「惚けるたびに一本ずつ折っていくからな。」

ポキンと左手の小指を折る。


悲鳴を上げる男の背後からクリスが声をかける。


「この人は、主人の指示通りに動いているだけなんだから、あまりひどい目にあわさないで下さい。

 貴方も本当のことを早く言えば痛い目にあわず、大金を貰えますよ。」


「お前は!良くも騙したな。」

クリスに気づいた男が掴み掛かろうとするが、バースに殴られる。


クリスが銀貨を10枚出し、「いい情報をくれたらあげるんだけどな。」と目の前に積み上げる。


 男がゴクンと喉を鳴らし、迷う表情をすると、1枚減らし、「時間が経つと減っていって最後は拷問だ。金と拷問どちらがいい?」と言いながら、また1枚取る。

 男は「言う。言うから銀貨をくれ。」と話し始めた。


男の話では、毎日のようにミラー男爵は宰相の家で打ち合わせをして、家に帰っては執事である男に指示を出している。


「その内容は?」とクリスが尋ねると、男は話し始めた。


 宰相の目的は、ダニエルの代わりにポールとジーナを結婚させるとともにダニエルを暗殺することで、落ち目と見られている自身の復権と、娘の婚家や孫娘すら統制できないとマーチ侯爵を貶めること、更にダニエルを登用しようとした王の権威を傷つけることであり、モリス式部官の読みどおりである。


 その為にミラー男爵は3か所へ働きかけをしており、男は執事としてその対応に追われていた。


 一つは、ポールとジーナの当事者である。彼らは非常に乗り気で、ここについては問題がない。

 男曰く、お坊ちゃんとお嬢ちゃんは転がすのが簡単だが、ポールが襲撃に加わり、ジーナを迎えに行くと言って聞かないのが困っていると言う。

 

 二つ目は、襲撃を行う傭兵団との交渉である。


 腕利きということで高名な鷹の爪団に依頼しているが、ミラー男爵は吝嗇で最小限の要員で後払いと主張するが、鷹の爪団は安全を見越し余裕のある態勢で、報酬を前金で寄こすように求め、板挟みで男は困っていた。


 しかし、ジーナの情報で警護兵が軽装の10名と聞き、なんとか折り合える見込みが出てきたと言う。


「おそらく傭兵は20名〜30名で済むでしょう。襲撃が武名ある騎士を殺害することということで人数を通常より多めに言ってましてが、これなら予算内に収まりそうだ。あとは半金を前払いすればやってくれるでしょう。」と男が話す。


三つ目はメイ侯爵である。


 宰相はダニエル暗殺後、ポールとジーナを匿い結婚させるとともに、両伯爵と交渉し、両家の当主をポールにすることによって自分の影響下に置くつもりであった。


 特にジャニアリー伯爵領は王都に近く、自派閥に確保しておきたいところであったが、息子を殺され、メンツを潰されたジャニアリー伯爵が言うことを聞くか疑問であったため、隣接するメイ侯爵に侵攻させて圧力をかけ、無理にでも家督をポールに譲らせる考えであった。


 メイ侯爵には係争地を与えることで報酬とし、ミラー男爵がジューン子爵領を得るというのが、宰相と男爵の考えであったが、メイ侯爵はジューン領も割譲するよう求め、男がメイ家家老と協議を重ねている。


 この話合いが難航しているため、連日男はミラー男爵に怒鳴られ、殴られたり拷問じみたことさえされていた。


「全く折り合える目処がつかないのです。胃が痛い。」


「いい方法を教えてやろうか。お前はミラーに忠誠心はないのだな。」

ダニエルはここで初めて口を出した。


男は驚いたようだったが、腹が据わったのか落ち着いて答える。

「誰があんな男に。金があれば直ぐに辞めますよ。」


「ならばミラーとメイにそれぞれ都合のいい返事をしてしまえ。

お前には他で暮らせるだけの金をやるから、これからもこちらに情報を流せ。

そして当日に男爵の金を持ってそのまま逃げてしまえばいい。

なんならオレの地元に隠れてもいいぞ。」


「今更ですがお名前を伺ってもよろしいですか?」

「ダニエル・ジャニアリーだ。」


「やっぱりそうですか。この陰謀は隠密にしていたはずですが、なぜわかったのですか。」


「そんな事はどうでもいい。どうするんだ。選択肢はさっきの案に乗るか、ここで死ぬかだがな。」


「男爵には死ぬほどの義理もないし、むしろ失敗して欲しいぐらいです。ダニエル様に付きますので、金と逃げ場所をお願いします。」


男はバビーと名乗り、今後ダニエルの為に働く事を誓った。


ダニエルはバビーに対して3点の指示を出す。

ミラー男爵には、ダニエルはすっかり油断してまもなく領主になれると有頂天であること、

傭兵団には、護衛の数をなるべく少なく、ダニエルも噂ほどではないと伝えること、

メイ侯爵には事件と同時に早急に侵攻するように伝えること

である。


 バビーは承知して帰っていったが、その前に、裏切ったらお前も家族も生まれてきたことを後悔するような死に方をするぞとバースがたっぷりと脅す。


「うまくいきましたね。」

クリスがホッとしてように言う。


「バースもクリスも御苦労。初手はまずまずだ。

相手のペースと思わせながら、こちらのシナリオにすり替えなければならん。

頼りにしているぞ。」


ダニエルが手を見ると汗が一杯だった。

やったこともない謀略合戦を練達の相手と戦うのでケリがつくまで緊張しっぱなしだろう。

(直ぐに片がつく戦場が恋しいよ)と心でボヤいた。

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