第4話 『羽刈り』
まだ、集合時間までは余裕があったけれど、技錬場に着いたのは僕が最後だった。
僕が技錬場に着いたとき、クラスメイトとオチバ先生に加えて、知らない顔の男女二人組が僕らを待っていた。
皆が揃ったのを確認して、オチバ先生はパンパンと二回手を叩いた。
「これから皆さんにはドラスレ科恒例のオリエンテーション、『羽刈り』に参加してもらいます。三年生の先輩たちが協力してくれますから、安心してくださいね」
オチバ先生の紹介と同時に、二人組の先輩が揃って頭を下げた。二人の間にはかなりの身長差があって、不揃いな高さのお辞儀が少しだけ面白かった。
「エイミーだ、よろしくな」
まず気さくに挨拶をしたのは女性の先輩の方だった。
背丈は明らかに小さく、後ろに背負った馬鹿みたいに大きなツーハンデッドソードが足の間からちらりと見えている。相当に重そうな武器だけど、あの小柄な体で振り回せるのだろうか。
そして、小ぶりなナイフを一本、おまけのように腰に差している。
ナイフは大剣とあまりにも大きさに差があり過ぎて、なんだかオモチャみたいだ。
「ドミニク。名前を覚える必要はない」
次に男性の先輩。見るからに面倒くさそうに挨拶をして、すぐにそっぽを向いてしまった。
もう一人のエイミー先輩は何も口を挟まないあたり、いつものことなのだろうか。ドミニク先輩の武器はナイフだけだ。
先輩二人が装備しているナイフは見るからに同じもの。飾り気は全くない、古ぼけた鞘に収まっている。訓練用の備品なのだろうか。
先輩たちの自己紹介が終わったところで、クラスメイトの男子が手を挙げた。
「はい、バース君、何かな?」
「せんせー、羽刈りって何ですか~?」
「いい質問だね~」
質問を投げかけたのは、僕の隣の席に座っていた男子だ。バース、その名前を聞き覚えはなかった。もっとも、自己紹介をしてくれた先輩と先生、そしてモモチヨさん以外は誰一人名前を知らないのだが。
バースくんは、まるでバスケット片手にピクニックにでも行くような軽いノリで手を挙げた。
「これから、みんなにはドラゴンの羽膜を刈り取ってもらいます」
オチバ先生は笑顔で質問に答えた。
一瞬にして凍る空気。
しばらくしてから、クラスメイトの誰かがどっと吹き出した。
「ハハハ、冗談キツイっすよ」
「来年の目標的な感じ?」
釣られたように、みんなの笑い声が技錬場に響く。みんなが冗談だと笑っている中、一人だけ、笑っていない女の子がいた。モモチヨさんだ。
「冗談でも将来の話でもありません。今、この場で戦ってもらいます。それでは呼んでみましょう、ウム先生~!」
オチバ先生は笑うみんなをどこか微笑ましい面持ちで見回してから、大きく声を張り上げ、誰かを呼ぶ。同時に技錬場の端へと退避した。
それが合図だった。
突然、大きな影が僕たちの頭上に落ちる。
一瞬遅れて、赤茶けた巨体が空から降ってきた。
地面を揺らす重い衝撃が足元を伝い、その巨体は無事に技錬場のど真ん中へと着地した。
「あれは、面接のときの……!!」
一目見て、いや、ちゃんと見るまでもない。
アイツだ。あの時のドラゴンだ。
爬虫類のような目でぎょろりとあたりを見回す。僕と目が合ったような気がした。
みんなは石になったように固まっている。
ドラゴンにそういう魔法みたいな力があったわけじゃない。ただただ、僕たちは驚愕と恐怖で動けなくなっていた。
ついさっきまで冗談だと笑っていた本物のドラゴンが、目と鼻の先にいるんだ。
『今、ここで戦ってもらいます』
いきなりそんなことを言われても、無理に決まってる。
着地したドラゴンが空に向かって吼えた。ビリビリと震えた空気が頬を打ち、脳を揺らす。
僕は混乱していた。
いつの間にか、僕は武器を構え、がむしゃらにドラゴンの元へ駆け出していた。
……後から思えば、あの時、僕の頭は間違いなくどうかしていた。
何か考えがあったわけでもなく、目の前の危険が分からなかったわけでもない。
ただ、逃げちゃいけない。
その思いが、初めて会った時竦んで動けなかったことへの後悔が、身体を動かしていた。
走り出したのは僕だけだった。
爆発しそうなほどに早鐘を打つ心臓を抑えることさえ忘れて、半狂乱で声を上げる。
「あぁぁぁぁ!!」
叫び声を上げながらドラゴンに向かって槍を突き出す。
全く届いていない。もう、距離感さえつかめなくなっていた。
理性とか計算だとか、そういうものは全部品切れになってしまっていた。
ドラゴンは羽をはためかせる。風圧で飛ばされそうになって必死に踏ん張った。
羽を畳んだドラゴンの向こう側に、モモチヨさんの姿が見えた。
彼女は大きく目を見開いていた。彼女の瞳のその奥に、燃え上がる怒りの炎が見えた気がした。
モモチヨさんが背負っていた弓をキリリと引き絞り、矢を放つ。
しかし、ドラゴンの羽ばたきから生み出された暴力的な風が狙いを逸らし、あらぬ方向へと飛んで行ってしまう。
彼女はギリリと音がしそうなほどに歯を噛んだ。
僕はその顔を見て、面接の時のことを思い出していた。
短剣の鞘を打ち付けた時、彼女はちょうどあんな顔をしていた。
次の瞬間、僕が風圧に足を踏ん張り、槍を構え直すのと同時に、モモチヨさんは弓を捨てて、腰の短剣を抜き、そのまま走り出した。
まっすぐにドラゴンが居る方向へ。
「私だってぇぇええ!!」
ドラゴンはモモチヨの接近を察知して体を回転させ、羽を大きく広げる。
さっきと同じように風で防御するつもりなのだろう。
僕はその様子を背中側からしっかりと見ていた。
……それがいけなかった。
ドラゴンの上半身とその向こう側に意識を集中していた僕は、振り向きの反動で真横から迫る尻尾に気が付かなかった。
尻尾はさっきの風圧とは比べ物にならない力で僕を横なぎにする寸前にまで迫っていて、ようやく危機に気付いた時にはすでに手遅れ。
僕は思わず目をつむってしまった。
「……あれ?」
だけど、いつまでたっても尻尾が僕を薙ぎ払うことはなかった。
代わりに、いつの間にか、僕の隣で長い黒髪が揺れていた。オチバ先生だ。
「はい1アウト~。次からは気を付けてね」
自己紹介の時と全く変わらない気さくな声。
僕は目を見張った。
オチバ先生は素手でドラゴンの尻尾を受け止めていた。その声から全く焦りは感じられない。
すぐにドラゴンの尻尾から力が抜けた。
ドラゴンの正面では、モモチヨが必死の形相で、ドラゴンへと取りついている。
時折振るう短剣の刃は鱗に阻まれて通らないけれど、鱗のない羽の部分には少しずつ傷をつけている。
「お~、すごいね。私の時でもここまで頑張った子はいなかったよ。……あ、君もナイスガッツ!」
オチバ先生が向かって笑いかける。
その顔を見た時、僕の心臓は一際大きく跳ねた。
オチバ先生はこんなにすごい人だったのか。
武器も持たず、素手でドラゴンの尻尾を受け止めるなんて、とても人間業とは思えない。まるで、おとぎ話に出てくる英雄みたいだ。
先生が丸腰だったのも、武器を持つ必要がなかったからだと考えれば、説明がつく。
決して大柄ではないその背中が、今はとても頼もしい。
思えば、自分が誰かをかばうことはあっても、誰かに守られたのは初めてだったような気がする。僕はずっとお兄ちゃんだったから。
いつの間にか、目の前のドラゴンもモモチヨも視界から消えて、オチバ先生から目が離せなくなっていた。
「それじゃ無事に紹介も終わったから、本番、始めようかな」
その時のオチバ先生は、宿屋のリザちゃんがいたずらに成功したときみたいな、どこか楽しくもちょっと意地悪な笑顔だった。
先生の声を合図に、後ろに控えていた二人の先輩がドラゴンに向かって飛び出していく。
僕はその後ろ姿を、どこか遠い世界の出来事みたいに、ただぼうっと眺めていた。
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