受験に行ったら、面接官がドラゴンだった話

あおいしろくま

第1話 圧迫面接

 人にはそれぞれ好きな物語があるのだという。

 僕はおとぎ話が好きだ。

 小さな女の子が涙を流すような悲しいお話も好きだけど、特に好きなのは、剣を手にしたハンターが姫のためにドラゴンを討つような冒険譚。

 おとぎ話はハッピーエンドが一番だ。

 僕はおとぎ話から沢山のことを教えてもらった。

 落ち込んだ仲間を元気づける方法、北の空に輝く星の名前、武器の使い方、ドラゴンの弱点。

 いつか、教わった全部が役に立つ、そう信じている。

 けど、おとぎ話では教えてくれなかったこともある。

 例えば……面接の受け答えとか。


『君はどうしてドラゴンスレイヤー科を希望したのかな?』

「はい、みんなを守るためです」


 どんな質問が飛んでくるのか、おとぎ話は教えてくれなかったから、宿の女将さんに聞いてみた。

 自分なりに用意した回答を小さく声に出す。


「……う~ん、何か違うような気がする」


 長い廊下にポツンと置かれた椅子が一つ。向かいには鉄格子に覆われた教室の入り口がある。教室には窓一つなく、中の様子は全く分からない。まるで動物を閉じ込めておく檻みたいだ。

 僕はやたら厳重な教室を前に、自分の順番を待っていた。

 今日は、この竜廠会学園の面接試験日だった。


「はい、連合国民を守るためです。……うん、これで行こう」


 面接用の答えを確認し、目を閉じる。心臓の音がはっきりと聞こえた。 

 そのままゆっくりと深呼吸をすると、すぅっと心が薙いでいく。

 おとぎ話で知った胸を鎮める方法に、思いの外効果があることを、故郷からの旅の間に実感した。


「ディオ、今ごろ何をしてるかな」


 故郷の家族のことを考えながら息を整えていると、突然、教室の扉が開く音が聞こえた。


『次の方は三分後に入室してください』


 教室の中から中年男性の声が聞こえた。おそらく面接官だろう。

 それとほぼ同時に、開け放たれた扉から一人の女の子が出てきた。

 ずっと俯いたまま、黒い前髪が顔に大きな影を落としている。そのせいで目鼻立ちはよくわからない。ただ、彼女の頬が気色ばんでいることだけは分かった。


「くっ、なんでっ!!!」


 女の子は俯いたまま、後ろ手に扉を閉めた。

 背丈は僕とほぼ同じくらい。白いシャツの上から、この辺りではあまり見慣れない刺繡が入ったガウンを羽織っている。

 顔は良く見えない。代わりに、腰の二本の短剣に目を惹かれた。螺旋を描く蔦の模様が美しい鞘を下げていた。


 しかし、その美しい鞘をじっくりと見ることはできなかった。女の子が短剣を鞘ごと教室の鉄格子に打ち付けたからだ。

 ガィンと甲高い金属音が響く。

 僕はその場で目を丸くした。それからしばらくの間、彼女は扉の前から動かなかった。


「あの、大丈夫ですか」


 椅子から立ち上がった僕がハンカチを差し出すと、女の子は初めて僕の方へと顔を向ける。彫りが浅く人形みたいな顔の彼女は、怒っているようにも、今にも泣き出しそうにも見えた。


「僕も面接に来たんです。中で何かあったんですか」


 すると、みるみる内に、女の子の目に涙が溜まっていく。


「す、すいません、その、僕、デリカシーがないってよく言われてて、何が原因なのかは分からないんですけど、お気を悪くされたなら、その」

「……ごめん、私のことは放っておいて」


 女の子はハンカチを受け取ることなく、廊下の向こうへと走り去っていく。その後を追うことはできなかった。

 気付けば、面接官の言っていた三分はとうに過ぎていた。

 僕はハンカチをしまったその手で自分の頬を叩き、引き戸のふちに手を掛けた。


「立ったままで結構です。まずはお名前をどうぞ」


 教室の中は暗かった。

 部屋の向こう半分は黒いカーテンで仕切られていて、見えない反対側から声が聞こえてくる。

 こちら側には僕一人だけ。明らかに僕が想像していた面接とは違う。何を聞かれるのかわかったものじゃない。

 さっきの子が泣きながら教室から出てきたのも、何かおかしな質問をされたからなのかもしれない。僕は指先をピンと伸ばして身構えた。


「ネイスミス・グラスゴーです。インギルテの生まれです」

「随分と遠いところから来たな」

「いえ、どうしてもここで学ばせていただきたかったですから」

「それはおおいに結構」


 顔が見えない男の声。多分、パパよりも年上だ。ここの先生なのだろうか。あまりにも不自然なカーテンのせいで、全部がうさん臭く聞こえてしまう。

 ごくりと唾をのむ。これは面接試験だ。僕の将来が決まる試験。

 だけど、面接なのに相手の顔が見えないなんてことがあり得るのか。


「そう緊張しなくてもいい。俺の質問にいつも通り答えてくれればいいんだ」


 面接官の口調は決して丁寧ではない。

 けれど、短い気遣いの言葉が緊張を少しほぐしてくれた。

 僕は顔も見えない面接官に少し好感を抱き始めていた。……この瞬間までは。


「……本当にいつも通りに答えられるのなら、だがな」


 挑戦的な物言いに、疑問符が浮かぶ。

 しかし、僕が口をはさむ前に、面接官は言葉を継いだ。


「ネイスミス君に聞きたいことは一つだけだ。たった一つだけの質問に、ただ嘘偽りなく答えてくれればいい」


 その瞬間、僕と向こう側を隔てていたカーテンが床に落ちた。

 同時に、僕の頭の中は真っ白になり、海魚の小骨のように引っかかっていた疑問が一瞬にして解けた。

 カーテンの向こうには、筋骨隆々の中年男性が一人。それと、あともう一体。


 そこには、僕や面接官をまるまる飲み込んでしまえそうなほどに大きなドラゴンの顔があった。顔だけで大人の身長と変わらないほどの大きさだ。

 ギョロリと大きな二つの瞳が、僕を見下ろしていた。

 生き物としての本能が、どうしようもなく全身を竦ませる。


「どうして君は竜廠会学園、ドラゴンスレイヤー科へ入りたいのだね」

「僕は、僕は……」

「嘘偽りなく述べたまえ」


 僕は蛇に睨まれた蛙だった。質問をしていたのは人間の面接官だったけれど、もう、面接官の顔は目に入っていなかった。この恐ろしいドラゴンに詰問されているのだと錯覚してしまっていた。

 頭の中から、事前に用意していた建前はすべて吹き飛んでしまっていた。


「僕は……自由に生きたいんです。弟の分まで」


 我に返って、隠し通すつもりだった少し恥ずかしい本当の理由を洗いざらい喋ってしまったことに気づいたのは、鉄格子の部屋を出て、あのドラゴンが僕の視界から消えた後のことだった。

 その日、宿屋へ向かう帰り道は、とても前を向いて歩けなかった。

 この面接試験を考えた人は意地悪だ。あの時の僕は金縛りにあったみたいに動けなかった。かすれた声を出せただけでも上出来だったに違いない。


「あの時の女の子もこんな気持ちだったのかな……」


 面接前に教室から出てきた女の子の、赤く染まった頬を思い出す。

 正直なところ、僕はほとんど合格をあきらめていた。隠し通すつもりだった自分勝手な志望理由をまるごと全部喋ってしまったからだ。

 その日の夜は泣いた。翌日は六つも年下の宿屋の子どもに慰められてしまった。

 恥ずかしかった。何がドラゴンスレイヤーだ。ビビり散らかしておいて。

 けれど。


「……本物のドラゴン、かっこよかったなぁ」


 おとぎ話の中でしか見たことがなかった憧れのドラゴンと、実際にドラゴンとに遭遇しても動揺して何もできなかった僕。

 自分が情けなかった。

 それでも結果を聞く前に故郷へ帰らなかったのは、おとぎ話でしか知らなかったドラゴンをこの目で見て、未練のようなものが芽生えてしまったからかもしれない。


 こうして、僕の冒険譚は始まりもせずに終わった。

 そう思っていた。


 けれど、物語はいつだって想像の向こう側にある。そんな当たり前のことに気づいたのは、面接の日から二週間後。

 滞在する宿屋の女将さんから、合格通知が届いたと知らせをもらってからのことだった。

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