百日紅の咲く庭で

井上 幸

第1話 最後の夜に

明日は君の結婚式。

最後の夜を僕のもとでと君は戻ってくれた。

本当に、あっという間に大きくなった。


今夜は二人、縁側に腰かけてゆっくり酒をみ交わそう。

君には情けない姿を沢山見せてしまったし、淋しい想いもさせたことだろう。

僕はいい父親だなんて、胸を張って言える自信はどこにもない。


現にほら。

今 僕は隣に座る君の顔を見ることも、言葉をかけることすらできやしない。

にじむ視界に花がる。

今夜は月が出ないから、ひどい顔を見られずに済んだと僕は少しほっとしているんだ。


「お父さん」


呼びかけられて、酒器しゅきを握る手に力がこもる。


「今まで、育ててくれてありがとう」


返事の代わりに、僕はくいっと酒をあおる。


「私ね、お父さんの娘で本当に幸せよ。ねぇ、お父さん。お父さんは幸せ、だった……?」


震える声に覚悟を決めてそちらを見れば、うるむ瞳にぶつかった。

熱を持つ息ひとつき出して、声が震えぬよう腹に力を込める。


「あたりまえじゃないか。君は、僕の愛した女性ひとがくれた幸せそのものだ。君の笑顔も涙も怒った顔も、全部が僕の宝物だよ」


そう言うと君は目を丸くして、星がきらきら輝く瞳をまばたいた。

一筋星がこぼれ落ち、君は柔らかに微笑んだ。


「ふふっ。お父さんはいつもそう。私が一番欲しい言葉をくれるのね」


あぁ。あの女性ひとにそっくりな、僕らの天使むすめが巣立つ時が来た。


「明日は早いだろう。もう寝なさい」


流れたしずくぬぐう君の肩、そっと手を置きうながした。

君はちょっぴりはにかんで。


「うん。おやすみなさい、お父さん」

「おやすみ。幸せに、なりなさい」


絡まる視線に君はしっかりとうなずいて。そっと僕に背を向けた。

足音が、ゆっくりと遠ざかる。

風に混じった少しの寂しさと大きな安堵が、僕の頬を優しく撫ぜていく。

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