第11話 A-side

 俺は、ひまわりになってしまった。


 ひまわりの部屋というものがあって、おれはそこにまわされるのだった。

 なぜこんな部屋があるのかというと、ひまわりさんは、人に後ろから見られることを気にするのだと言う。だから、後ろが壁の方が、いいからだと聞こえてきた。俺は仕事中後ろから見られることを気にするのだろうか。そんなこと自体、ここにきて初めて気にした。

 そう言われて、はじめて、気にするものなのかって気がしてきた。気にしなきゃいけないものなのだろうか。

 

 ひまわりさんというものも、正式な部というわけでもない。少なくとも、部長がいるわけでもない。俺を除いて、男と女がふたりずつ。入社順、つまり日本でいう偉い順で、男、女、俺、女。これでは男が一人足りないことになるが、これはひまわりの部屋の隅で全くかかわることがない。何かひとつの作業をずっとやっているわけだが、かかわることも全くないし、できない。これまで同じ会計事務所にいて、こんな部屋があることも、何も知らなかった。


 俺は公認会計士で税務関連のコンサル中心で動いていたのに、そんな資格など、ここでは何の役に立ちそうもなかった。そもそもが、そういう部屋なのである。ろくに部屋から出ることも、ない。



「ひまわりというのはね、太陽に咲かせてもらってるものなんですよ。それで、いつも太陽の方を向いている。言っている意味がわかりますか」

 ギンギンに決まった目をしたひまわりの男が、ある日俺に言った。

「太陽からですね、私たちは土地を、大地を与えられて、咲かせていただいている。行っていることがわかりますか」

「そう! それでね、 私たちはね、いつも太陽に向かって、答えなければいけないの!それが私たち、ひまわりの役目なの!」

「いや、俺は公認会計……」

「いやいや!」男がいつも遮るのである。そして女が、男をサポートするように、言うのである。「私たちは、まず、ひまわりだっていうことを、まず、わからないと、だめ。」

 昼飯だと言われては、店に連れて行かれ、こんな話を延々と、聞かせられるのだ。そして何かとまどうような表情を俺がすると、「この人は……まだ……わかってない……しょうがない男だ……」という苛立った顔を露骨にするのである。」


 たまに、人が入ってくるのだ。部屋に。

「伊東さんこれお願いしますね」

「ああ! はい! ありがとうございます!」

 凍りついたような笑みを作り、見せるのだ。

 と思えば、ひまわりの部屋の扉が閉じると、その笑みを消して、「じゃあこれ、お願いします。」と、俺に紙を渡してくる。

「やり方を教えてあげますから、まず、パソコンを、立ち上げてください。」

「……」

 年末調整関連の書類の数字を、ソフトに入力するやり方を教えてくれるのである。公認会計士に。

 

 この男は、日商簿記2級を持っているということで、一目置かれているのである。たまたま、休憩スペースに置かれている予備校のパンフレットを、眺めていたところ、目ざといこいつに見られた。するとこう言うのだ。「

 日商簿記の1級を取得すると、が与えられる。

 そして、のだ。

 まるで次元の違う話なのである。

 こういうことは、ままある。弁護士は、それだけで社会保険労務士や行政書士になることもできるとか。そういう資格のシステム、決まりは、あることもある。じゃあ、かと言って、弁護士がストレートにいわゆる宅建宅地建物取引士になれるかといえば、これはそういうことでもない。宅建の試験を受けなければいけないのである。

 公認会計士には公認会計士の仕事があり、税理士には税理士の仕事がある。試験なしで税理士になれるからといって、完全な序列があるわけではないのである。

 かといって。公認会計士が、日商簿記に劣るということもないし、ましてや「取っておいた方がいい」と言われる筋合いはあるはずがない。人に言うような台詞でもあるまい。


 そのようなことを知ってか知らずか、あるいは何かが欠如しているのか、そういうことを当たり前のようにこの男は言うのだ。そしてこのひまわり男を信望しきっているかのようなひまわり女が、「そうよ、本当に言う通りよ。」と、追撃をするのである。ひまわりの部屋に来てから、しばらくは、Windowsパソコンの起動方法から、Word Excelの開き方、ファイルの保存方法からブラウザの開き方、終了する方法、いちから教えられてしまった。ダブルクリックなどと言うは一度もない。「2回押してください」と言うのだ。


 少しでも「そのくらい、わかる」という態度を見せると、露骨に敵意のある表情を向けてくるのである。どこを取ってもそうだろうが、きょうび、2回押してくださいはあるまい。最近は、クリックよりタップが多かろうが。

 一度など、Excelでマクロを使って賃金計算の処理をしていたところ、見咎められた。「あなた、何ですか、そのキーの押し方は。コントロールキーと、何押しました」

「CTRL・SHIFTに…マクロを割り当てて…」

「そんなこと、何を勝手に。誰がやれって言いましたか」

「誰って、俺がいつもマクロを設定する時、このキーに……」

「あーっ!!」

 そう言って、このひまわりは両手で頭を抑え、抱えて、PCのキーボードに突っ伏すのである。そして、動かなくなる。

 本当に動かなくなるのである。ただ、ぶつぶつ何事かを言う。最初は本当に救急車を呼んだほうがいいんじゃないかと思った。しかし、もうひとりの女のひまわりは動じず、俺をにらみつけるのである。 

「私の教えていないことを、私の教えていないことを、私の教えていないことを…」

 いつもこのような具合で、一歩でもこのひまわり男の先を行くと、こうなってしまう。

 何を言っているのかわからないと思うだろうが、俺自身も、わからないのだ。


 自分と同じタイミングでこの部屋に来た、女性は、「疲れる」と言って、さっさと来なくなってしまった。懸命なことだと思う。


 ひまわりだの、大地だの、太陽だのというのは、日々、にすっかり教えを叩き込まれてしまった。太陽が会社とか、事務所とか、そういう意味。大地で花を咲かせるだの、というのは、恩返しをするみたいな意味なんだそうだ。ある程度聞かせられた段階で、うっかり意味を理解してしまいそうになり怖くなって、おれは考えるのをやめた。

 ボランティアでもあるまい。恩返しとは、何だと言うのか。働いて対価を得るだけの話ではないのか。そう思っていると、そうでもないらしいのだ。この日商簿記2級のひまわりの男は知らないが、女は、聞くところによると、生活保護を受けているらしい。そういう話をされたことがある。「はあ?」と思った。働いてるのに、そんなもん、受けてんのか。

 そもそも、なんでそんな話が、当たり前のようにこの部屋では飛び交っているんだ?

 コピー機のスペースに連れて行かれ、コピーの取り方を教えられている俺は、眩暈を覚えた。


 そして他部署から預かった仕事を、きわめて無駄な時間をかけてこの馬鹿につきまとわれながら処理すると、それを持って、委託した人物のもとへ持っていくのである。

「こちら!完了いたしましたので!」

「あら! ありがとうございます!助かります!」

「いえいえ! ありがとうございます! また何かありましたらどうぞ!」

 いかにも、自分が処理したかのように、言うのだ。


 「あら、あちらの方は新しい方なんですか?」と他部署の「人間にんげん」が俺たち「ひまわり」に言うと、「そうなんですよ」と言う。「今、教えてますから」だの、「いろいろ、教えてやってください」という言葉が聞こえる。

 

 これが、ひまわりというものなのか?

 

 これが、障害者ということなのか?

 これが、平等ということなのか?


 SDGS…… ダイバーシティ…… 差別解消……


 そんな言葉の積もつた下は、


 こんな世界なのか?


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