メッセージ ~三年後のあなたへ~

秋風遥

前編

 春先の嵐が通り過ぎた後、空は青く澄み、暖かな日差しが降り注いだ。

 穏やかになった風が薄紅うすべにの花を揺らす。


 長く伸びた黒髪が風になびき、少女は軽く手で押さえた。

 平均的な身長、目立つ容姿ではないが綺麗な顔立ちをしてる。


「もう桜が咲いてるんだ」


 大学進学を控え、少女……こずえはこの町に戻ってきた。

 ここで中学と高校時代を過ごしたのだ。

 桜並木の向こうには、中学校の校舎が見える。


(あんまり変わってないね)


 こずえ五分咲ごぶざきの花におおわれた並木道を通り抜け、校舎の裏手に回った。

 グラウンドの外れに、大きな桜の木がそびえ立っている。

 他の桜とは違う、純白の花びらに埋もれ、鮮やかな緑色の葉が隙間すきまから顔を出す。


(白い花が珍しくて、よく見に来てたな……)


 引き込まれるように、追憶にひたる。

 この桜の木の下で、最後に彼と会ったあの日。

 雪のような白い花の下、寂しそうな笑顔の少年。


 その時から三年近く、彼とは会っていなかった。

 ついこの間まで―—―。




 追憶を振り切るように、こずえはきびすを返し、元の道に戻っていった。

 まだ春休みの時期であり、人の姿はまばらである。

 石造りの門が目に入ると、再び懐かしい記憶がこずえの脳裏によみがえった。


拓馬たくまくんと初めて会ったのは、ここだったっけ)


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 初めて中学校に通い始めたあの日。

 校門の前で立ちすくみ、中へ入るのを躊躇ちゅうちょしていたこずえ

 当時、この町には引っ越してきたばかりだった。もちろん、友達もいない。


 ……上手くやっていけるだろうか。


「おはよう!」


 こずえの不安を吹き飛ばすような、明るい声。

 振り返ると、人懐ひとなつこい笑顔の少年がいた。

 背はこずえよりも少し高い。男の子らしく整った顔立ちをしている。


(……かっこいい人だな)


 一瞬見とれ、こずえは慌てて挨拶あいさつを返す。


「お、おはよう」

「どこの学校だった? 会ったことなかったよな」

「引っ越してきたばかりだから、誰も知り合いはいないの」

「じゃ、俺が友達第一号だよな。よろしく!」


 屈託くったくのない笑顔で手を差し出す少年につられて、こずえも思わず手を差し出した。

 しっかりと握られた手の温かさに当惑しながら思う。


(友達って、そんなに簡単になれるものなの?)


 少年が急に大声を上げた。


「やべ、時間ない!」

「えっ!?」

「走ろう!!」


 強く手を引っ張られて、こずえは走り出した。

 手をつないだまま二人で校舎に駆け込む。

 途中何人かの生徒とすれ違い、こずえは恥ずかしさでうつむいた。


「間に合った! ……あ」


 教室の前で立ち止まった少年は、急に戸惑った様子で手を離した。


「……ごめん」

「ありがとう。遅刻しなくて済んだね」


 照れたように呟く少年に、こずえは思わず微笑んだ。

 その後は不思議と打ち解けて話ができた。


(男の子と話すのは苦手だったけど―—―)


 こずえは我ながら不思議だった。

 彼———拓馬たくまは誰とでもすぐ打ち解けて話ができ、いつも大勢の友達に囲まれている少年だった。

 同じクラスになり、よく話すようになったものの、きっと自分は大勢の友達の中の一人なのだろうとこずえは考えた。

 彼とはとても気が合うけれど、あまり期待し過ぎてはいけないと……。


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 校門の先に、校舎の入り口が見える。

 部活動の途中だろうか、ユニフォーム姿の男子が、制服姿の女子に話しかけている。

 その二人を見ていると、こずえは再び追憶に引き込まれていく。


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 学校生活にも慣れたある日のこと。

 友達の女の子二人と一緒に校舎から出たところで、サッカー部のユニフォーム姿の拓馬たくまが駆け寄ってきた。


こずえ!」

「あ、拓馬たくまくん。部活は終わったの?」

「まだだけど。こずえがいたからな」


 ドキリとしてこずえはためらい勝ちに尋ねた。


「どうして?」

「えっ、そりゃ……」


 拓馬たくまが少々慌てた様子で答えようとした時、グラウンドの方から彼を呼ぶ声が聞こえた。


「また後でな!」


 猛スピードでグラウンドに戻っていく彼を見送っていると、友人達が意味ありげにささやく。


「あいつ、こずえのこと気にしてない?」

「本当、よくちょっかいかけてくるよね」

「そ、そうかな……」


 恥ずかしさで顔が赤くなるのが自分でもわかった。

 ……そうかもしれないと思ったことはあった。勘違いではないと思っていいのだろうか。


「へぇ、こずえもまんざらじゃない? あいつもイケてる方だしね。でもやっぱり一番のイケメンは……」

「えー、……くんの方がかっこよくない?」


 友人達は人気の男子の話で盛り上がっている。

 でも、こずえは密かに拓馬たくまがいちばん素敵だと思うのだった。


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 学校の裏手の、雑木林ぞうきばやしに囲まれた小さな池。

 木漏こもれ日に水面みなもはきらめき、そよ風がさざ波を立てる。

 ふと風が止み、こずえは鏡のような水面みなもを のぞき込む。


 長く伸びた髪が歳月の流れを感じさせた。

 前にこの池を眺めた時は、肩をおおうくらいの長さだった。昔よりも大人に近づいた自分がこちらを見返している。


拓馬たくまくんも、大人っぽくなってた……)


 ついこの間、三年ぶりに彼を見たのを思い出す。


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 駅前の商店街を歩く若者達。春休みの時期であり、いつもより人通りが多くこぎわっていた。

 中でも、特ににぎやかな男女の一団。その中心に彼はいた。


 幼さが抜け、精悍せいかんさが増した顔つき。背は高く伸び、体つきもしっかりして、一人前の男性に近づいていた。

 昔と変わらない屈託くったくのない笑顔で、友人達と笑い合っていた。

 こずえの目には、前よりももっと彼がまぶしく映った。


 声を掛けようかと迷っているうちに、彼らは通り過ぎていってしまった。


(昔よりかっこよくなってる。……もう彼女がいるのかもしれない。あの中の誰かかも)


 彼と一緒に歩いていた女の子達を思い出し、胸が痛む。


(もう全部、終わったはずなのに)


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 校舎の横から、渡り廊下を見上げる。

 とても寒い冬の日、彼を探して走った廊下。


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「N高校だな」

「はい、よろしくお願いします」


 探していた後ろ姿を見つけ、駆け寄ろうとしたその時、ふいに耳に飛び込んできた声。

 拓馬たくまと教師の会話で、県外の高校へ行くのだと初めて知った。

 地元の高校に進学するこずえとは遠く離れることになる。


 振り返った拓馬たくまは決まり悪そうな顔をした。


「……こずえ

拓馬たくまくん、遠くの学校に行くの?」


 こずえは動揺を抑えて静かに尋ねた。

 拓馬たくまは苦笑した。


「うん、行きたい所があるんだ」

「そうなんだ」


 感情を隠したまま当たりさわりのない会話を続ける。

 後ろ手に隠した小さな箱は渡せないまま、しばらく机の中で眠っていた―—―。

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