習作 フォトスリンガー

※カメラを武器に戦うフォトスリンガー、というのを書いてみました


 痺れる様な臭いが鼻をつき、俺は奴らの存在を感じ取った。

 時空の狭間の影。存在の残滓。現象の亡霊。

 名前は様々だが、それはどうでもいい。奴らだ。奴らが間違いなくここにいる。

「スミス、どの辺りなんだ」

 俺の一歩後ろにいる保安官、スミスに聞く。帯電棒を脇に抱えてはいるが、やはり腰が引けている。無理もない。俺たちフォトスリンガーでなければ。普通の人間は奴らに触れられると時間を吸い取られて死んでしまう。それはおそらく最も苦しく哀れな死にざまだ。

 過去を失い、経験したことのない未来を早送りで見せられ、そして奪われて死ぬ。いや、それは喪失と言った方が正しい。肉体はもちろん死ぬが、自分にまつわる他者の記憶さえ消えていくのだ。絡み合う因果の糸がほどけ、ただ自分だけがこの世界から抜き取られていく。

 現象の亡霊……。元凶がここにいる。俺は周囲を見渡す。何のことはない果樹園だ。収穫を終えたリンゴの木。出荷できない小さなものがまだいくつか生っている。ほのかに甘いような匂いさえ感じる。

「ジミー、あれだ。果樹園の奥に作業小屋がある。そこで男性、何だったか。ホランドは……死んだ。干からびてたよ」

 スミスが帯電棒で二時方向を指す。五十メートルほど先に小屋がある。それの事らしい。

「干からびるまでとは……随分と空腹だったようだな」

「そうなのか? 亡霊のことは知らんが、彼の体重は37キロになっていたよ。まるでミイラさ。100キロくらいはありそうな男だったがな」

 まるで知らない男のように言っているが、小さな町だ。保安官が知らないはずはない。たくさん吸われた分、それだけ多くの知人の記憶も消えているようだ。

 たらふく食って、亡霊は昼寝でもしているのだろうか。近くにいることは分かるが、しかし、切迫するような感覚はない。空間の深いところに潜っているようだ。そのまま二度と現れないならいいが、しかし、それはないだろう。数年もすれば再び現れ、またあの作業小屋に死体が転がることになる。あるいはもっとひどい。誰かに張り付いてこの果樹園を抜け出して、町でもっと大勢を食い散らかすかも知れない。

 次善の策としては、この果樹園を含む一帯を帯電棒で囲うことだ。それなら普通の人間にもできる。しかし未来永劫電力を使用することになるし、せっかくここまで育てた果樹園も捨てることになる。

 そして最善の策は……俺たちフォトスリンガーが亡霊を退治することだ。まさにその最善策のために、俺はこうしてここに呼ばれて来た。

「ではスミス。俺は行く。しくじったらこの果樹園は封印だ。他のフォトスリンガーを呼ぶかどうかは、あんたらに任せるよ」

「おいおい、高い金を支払ったんだ。今からしくじった時の話をしないでくれよ」

「契約金には俺の死亡時の保険金も含まれている」

「その保険金は誰が受け取るんだ? あんたらは地面から湧いてこの世界に来るんだ。身寄りなんてないだろう」

「金を使う方法はいくらでもある。あんたには関係のないことさ。では行く」

「ご武運を」

 スミスが簡易式の敬礼をする。武運か。亡霊に関わってる時点で、運なんて尽きたも同じさ。

 俺は腰のホルスターからカメラを出す。X-pro2。俺と一緒にこの世界に来たカメラだ。手からカメラにフォトノンを注入する。電源が点き、カメラの設定が俺の脳とリンクする。換算50mmの画角が俺の視界に重なる。

 曇天。奴の明るさはどのくらいだろうか。作業小屋でやられたという事は、内側の物陰にでも潜んでいるのか。小屋の内部は暗いから、露出をプラス1で明るめにしたい。シャッター速度は1/250でいいだろう。F値は5.6。もっと絞りたいが、これ以上絞ると暗くなる。あとはISO感度を400に。これでいい。フォーカスはAFでシングルポイント。

 リンゴの木を観察する。奴が潜んでいる可能性は低いが、念には念をだ。影が二つあったり、不自然な枝がついていると、それは奴らの仕業だ。過去、もしくは未来が重なっている。亡霊の姿というわけだ。

 怪しいところはない。しかし。作業小屋に近づきながら他のものも確認する。石ころ。落ち葉。枯れ枝。人一人を食い殺すような奴が、小さいものに化けている可能性は低いが、可能性がないわけではない。足元の落ち葉を見る。手に取ってめくってみる。異常はない。念のため一枚撮る。何も起きず、ここに奴はいない。

 作業小屋まであと20m。俺は足を止め、周囲を観察しながら移動する。入口は南側に一か所だけ。窓もない。小屋の外壁に農具が立てかけてある。錆びたバケツ、割れた桶。壁板が割れて隙間から向こうが見える。妖精のような人形が置いてある。みんな土埃で汚れている。ぼろい小屋だ。蹴っ飛ばしたら崩れてしまいそうだ。

 年季が入っている。という事は、亡霊も年季が入っているという事だ。ずっと亡霊が存在していたという意味ではない。小屋が存在した、という現象の期間が長いということだ。ずっと存在していたという時間的な重みが、奴らの力に変わる。まあそれでも十年か二十年だろう。百年というわけではないから、たかが知れている。

 小屋の周囲を一回りし、足を止める。南側のドアがある位置だ。この距離では外観上の異常は見受けられない。擬態の精度が高いのか。あるいは小屋の内側に隠れているかだ。

 ドアの内側にも雑多なものが置いてある。果樹園で使う道具だろう。籠、鋏、ロープや角材。何に使うのか分からない道具もある。そのうちのどれかが亡霊かも知れない。

「近づかないと駄目か」

 念の為作業小屋の外観を撮る。撮る……反応はない。撮影した写真を確認するが、異常はない。うまく化けている。もうどこかに移動したという事も考えられるが、昨日の今日だ。それはないだろう。

 意を決し小屋に近づく。一歩一歩、注意しながら。フォトスリンガーは身の内にあるフォトノンのおかげで亡霊に触れられても多少は耐えられるが、食い尽くされればただの人だ。カメラも動かなくなるし、何もできなくなる。過信は禁物だ。

 小屋まで5m。まだ異常は感じられない。だるまさんが転んだ、みたいだな。見ている間は奴も動かない可能性が高い。しかしこの距離で目を逸らせば、食われるだろう。

「お前はどこにいるんだ」

 姿は見えないが、しかし、鼻が痺れる様な感覚が強くなる。悪臭というのではない。臭いはないが、嗅覚が直接痺れる様な感覚だ。間違いなくこの作業小屋にいる。

 ドアの前で止まる。俺の影が小屋の内側に伸びる。どれだ? どこだ?

 あぶり出す。俺は小屋の中全体を一枚ずつ区切って撮る。床。壁。木材。ロープ。鎌。籠。どれも反応がない。かすかに奴を感じるが、姿は見えない。

「あと撮れてないのは……」

 一歩下がって上を見る。屋根は撮っていなかった。ファインダーを覗きシャッターに指をかける。

 ファインダーの中で何かが動いた。ひさし部分が割れていたが、そこが僅かにぶれて木材が重なっている。現象の亡霊だ。シャッターを切る。

 小屋が爆発した。

 俺の体は爆風で後ろに飛ばされ、腹から落ちて二回ほど回転した。カメラをかばう余裕もない。取り落とした。

「くっ……そ、小屋自体が亡霊かよ……」

 血の混ざったつばを吐き捨てる。立ち上がると亡霊が姿を現していた。青白い透き通った小屋の亡霊が、明滅し、明滅のたびに僅かずつ位置を変え、作業小屋に重なって存在している。

 俺は落ちているカメラを拾う。その隙を逃さず、亡霊が仕掛けてくる。

 姿が消えた。直後、その前方の空間に亡霊が現れる。押しのけられた空間が風となって吹き付ける。そして連続して、消え、俺に近づきながら現れる。

 重なられると俺もホランドの二の舞だ。後方にステップして距離を取る。

 亡霊は動きを止めた。小屋の位置から10mほど。そこに現れたまま停止している。姿が切れかかった蛍光灯のようにちらついていた。俺を警戒しているようだ。

 俺はカメラを構えて撮る。撮った……が、浅い。奴が消える方が早かった。ぼんやりとしか写っていない。シャッター速度を上げ、ISO感度を上げて露出をゼロにする。小屋自体を撮るのなら露出は適正でいい。

 奴が俺の目の前に現れる。全身を叩かれるような風圧。そして消え、また同じ位置に現れた。二つの過去が重なり、その密度が高まり爆発する。

 腕で顔を守る。また吹き飛ばされるが、今度は着地する。カメラも落とさない。爆発の衝撃で奴も動きを止めている。シャッターを切る。

 撮れた。フォトノンが奴のエネルギーを捉え、亡霊として存在していた小屋の過去が、現在の物として実体化する。空間が震え、叫びの様な甲高い音が響く。

 亡霊が姿を消して小屋の方に戻る。また潜むつもりだ。

「往生際が悪い」

 俺はもう一枚撮る。もう逃がさない。AFが奴の姿を追う。もう一枚。

 過去か未来、いずれかの時点の小屋が更に実体化する。そして奴はエネルギーを失い、動きが鈍くなる。

「終わりだ」

 最後の一枚。フォトノンを込め、シャッターを切る。亡霊が消えた。

 鼻をつく臭いが消える。奴はカメラの中だ。撮影した画像を確認すると、実体化した奴の姿が五枚。そして周りにも実体化した小屋の残骸が散らばっている。サイズの割には中々しぶとい奴だった。

 俺は顔についた泥を払う。額が切れて少し血が出ていた。まさか重なることで破裂することを攻撃手段に使ってくるとは。

 亡霊も進化しているというのは、本当かも知れない。

「おーい、ジミー! 片付いたのかー?」

 スミスが近づいてくる。他にも何人かいる。俺がやられた時に備えて、帯電棒を打つ準備をしていたようだ。まったく、信用がない。

「終わったよ。片付けは頼む」

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