第26話 キョーガの魔界時代

「……僕が魔王様のもとで仕えるようになったのは、この世界の暦で今から何百年か前のことだ。先代の後を継ぐことになり、僕は魔王様の世話係として修行することになった」


 キョーガが仕え始めた頃の魔王城には、既に魔王の息子と娘が1人ずついた。アズールとヴェイジアである。

 活発で我儘なアズールと、淑やかで物覚えの良いヴェイジア。キョーガは魔王の側で仕事を覚えていく中で、まだ幼かった彼らとの交流もある程度持つようになる。


「アズール様は、昔から頑固だ。一度決めたことは一切曲げず、貫き通す。だからこそ我儘で、手に負えない方でもあったね。……今では兄弟の長となっているようだけど、おそらく裏の糸はヴェイジア様が引いていよう」

「ヴェイジアって、さっき先生と交戦した?」

「そうだ、黒崎。ヴェイジア様は聡明さでは兄弟で群を抜き、次男のイレイスト様が次点かな。彼についてはまた後で。兎も角、ヴェイジア様は大人しく、言うことをよく聞く子どもだった。……まあその裏で、次代の魔王は自分だと画策していたようだけれど」


 流石に、幼い頃の子どもたちにはまだ野望などはない。魔王城の大人たちは彼らを可愛がり、人間界と変わらない子育てをしていた。


 しかし、魔王は違う。

 魔王となった時点で、彼女は一種の『概念』としての力を扱うようになる。それは華月も持つ『黒龍』という圧倒的な魔力だ。

 『黒龍』の力で魔界を一気に統治すると、魔王は魔界全体の政務へと取り掛かる。キョーガが仕え始めたのは、その統治から政務へと切り替わってからしばらく後のことだった。


「『黒龍』の力は巨大だ。どんな属性の魔法であれ、あれに致命傷を与えることなど出来はしない。魔王と『黒龍』が結び付いた時、魔力は最大限に発揮される。……だから黒崎、きみがあの力に怯える必要はない。は、黒龍の力は他の属性の魔法と同じだ」

「──はい」


 きゅっと胸元を握り締める華月に優しい目を向けてから、京一郎は「さて」と話を変えた。


「僕が仕事に慣れ、それから数百年。魔王様には次男のイレイスト様と三男のエンディーヴァ様、そして末娘……次女のオランジェリー様が生まれていた。それぞれに父親は違うらしいけれど、僕は魔王様がその時々の伴侶をどうやって決められているのかは知らない」


 イレイストは水属性を持ち、知的で穏やかな気性だ。エンディーヴァは地属性であり、気が小さく引きこもりがち。そしてオランジェリーは雷属性で、少々ぶりっ子で大人を嘗めた子どもだった。


「イレイスト様は水属性の申し子であったこともあり、僕も教育係の末端を担った。ただ彼は頭が良くて、一度読んだ内容は覚えてしまうし、一度聞けば何でも理解した。正直、僕が教えられることなんてほとんどなかったよ」


 懐かしい、と京一郎は微笑む。彼が日本の地で教師を目指した根底には、イレイストとの出来事があったのだろう。


「……それからしばらくして、魔界にある知らせが入った。魔界と『橋』で繋がっていたもう一つの国で、魔物や魔族たちが暴れて怪我人や死人を出したというニュースだ」


 普段、2つの世界は不干渉をルールとすることで互いの存在を認めてきた。それが魔界側によって一方的に破られたのだ。

 それが、魔王の意図でなくても。


「魔王様はお怒りになり、すぐに釈明の使いをもう一つの国に送った。しかし、釈明が受け入れられることはなく……2つの国は戦争状態になってしまった」


 その頃、もう一つの国に勇者が召喚されたという話が入った。勇者はその国で力をつけ、魔界に侵攻してくるであろうと誰もが恐れた。

 否、恐れたものは下位のものたちばかりだっただろう。魔族や魔物と称せられてきたものたちは、それぞれのおさの下で一つになり、魔王軍として勇者と戦うことを決めた。


「けれど、魔王様ご自身は気が進まなかったらしい。らしい、というのは、その時僕は既に魔王様のお側で世話する役割ではなく、軍の組織に関わっていたから。後でもう一度魔王様の側に仕えるけれど、この時が一番離れたかな。……まあというわけで、魔王軍と勇者の軍は正面からぶつかった」

「……結果は?」

「それは、白田くんがお父さんから聞いたことがあるだろう? 簡単に聞かせてくれないかな?」

「父は……」


 膝の上でぎゅっと拳を握り締め、光輝は目を閉じる。思い出すのは、自分を膝に乗せて懐かしそうに話す、父の姿だ。


「父は、言っていました。侵略を諦めさせたと。そして、魔王の日本観光を案内した、とも」

「短くまとめてしまえば、その通りだね。……ただ、魔王軍の立場から言わせてもらえば、あれは勇者軍の一方的な勝利だったよ。強かった、きみの父上と父上が率いた軍勢は」


 清々しいほどに負けた。

 勇者の剣に斬られれば魂ごと浄化され、跡形も残らない。そうでなくてもあちらの国は不思議な力を持つ人々が住まう土地で、それにも大層手を焼いた。

 やがて魔王のもとへと辿り着いた勇者は、魔王に誓約を迫った。──二度と、このような悲しき無意味な争いを起こさないことを互いに誓うこと。

 それは魔界のみならず、あの国─天界─をも誓約下に置く約束事だった。


「傷だらけの自軍と、傷だらけの敵の大将を交互に見て、魔王様は思わずといった様子で笑っていた。そして勇者に『見事だ』とお褒めの言葉を賜っておられた」


 魔王が勇者を褒めたのは、誓約の内容だけが理由ではない。

 勇者軍は完璧に統一され、抑えるべき敵の将とそうでないものとを完全に見分けて対処していたのだ。

 だからこそ見事であり、魔王は大敗を期したにもかかわらず誓約書にサインした。


「それから月日が流れ、魔王様は勇者の故郷だという『日本』を訪れた。その機会は2度あり、1度は白田の父に案内を頼んだ。そして2回目に、黒崎の父上と出逢うことになる」

「お父さんとお母さんが……」

「魔王様は、お父上が作るシュークリームが大好物だったよ。いつも嬉しそうな顔をして、頬にクリームをつけながら食べておられた。……あ」

「先生?」


 父と母の思わぬエピソードを聞くことが出来た華月だったが、京一郎が何かに気付いて硬直したのを見て不安げな顔をする。

 それは光輝も同様で、京一郎の顔を覗き込んで「どうしたんですか?」と尋ねていた。


「……思い出したよ」


 しかし、京一郎は2人の問には答えない。別のことを呟き、目を見開いた。


「思い出した。何故ヴェイジア様がタイムリミットを気にしておられたのか、その意味を!」

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