そういうのはいいから

 今日は偶然あっくんの通う大学の近くまで仕事で来る用事があった。

 昼頃に用事を終えて会社に戻る途中、ちょうどお腹が空いてきたので、すぐそばにある喫茶店で昼食をとることにした。

 大学の近くなだけあって、学生の姿が多い。

 あっくんと出くわす恐れがあるが、彼は普段、食堂を利用していると以前言っていたので可能性は低いはず。

 それに万が一、出くわしても互いに他人のふりをすれば問題はないと思う。

 と、思っていたのだけれど、店内に入って早々に思わぬ人物と遭遇した。


「――だからさあ、私としてはもうちょっと彼氏にしっかりして欲しいワケ。彼女が他の男にナンパされそうになったら『テメエ俺の女にちょっかい出すんじゃねえ!』くらい言ってくれなきゃ困るのよねえ」

「……篤子は彼氏になにを求めてるの?」


 たらこスパゲッティをフォークで絡めとりながら、私のかつての親友、小柳篤子は長々と愚痴を述べていた。

 数分前、客の中に偶然篤子の姿を見つけた私は、半ば強引に彼女に誘われるまま、同じ席で昼食をとるはめになった。

 どうやら篤子の職場もこの近辺にあるらしい。なんという偶然。

 あっくんと遭遇してしまった場合の対処は想定していたけれど、これは想定外だった。


「でもこれから赤ちゃんの父親になるんだからもうちょっと根性出して欲しいのよねえ。まあ出した結果、この赤ちゃんが出来ちゃったんだけど」

「……そういう言い方ってどうなの?」


 がなにを意味するのかについては、あまり想像したくない。


「だいたいそこまで言うならなんで彼と付き合い始めたの?」

「なんでって、職場で困ってる時に優しくしてもらったし、それになんとなく夏場に汗だくになった彼を見てたらセクシーさを感じてつい衝動的に」

「…………」


 前者についてはわからなくもないけど、後者は擁護出来ない。

 先ほどから 私達が言っている“彼”というのは、彼女が妊娠するきっかけとなった相手で、職場の上司でもある男性のことを指す。

 篤子の話によると、あれから彼と話し合った結果、子供は二人で育てるものの、結婚するかどうかはしばらく保留にするのだという。

 まだお互いに相手に対する気持ちがはっきりとわからないから、一緒に育児をしながら結婚するかどうか探っていくそうだ。

 世の中には色々なカップルがいるんだなあ……と、自分のことは棚に上げて考えてみる。


「それよりアンタのほうはどうなのよ。付き合ってる彼氏とかいるの?」

「え……ど、どうして急に?」

「だってアンタみたいな美人が彼氏いないなんてどう考えてもおかしいじゃん。よっぽどの男性恐怖症か同性愛者レズビアンだって言うなら話は別だけど」

「……なんでその二つなの?」

「ああそっか。そういえば最近はノンバイナリーとかトランスジェンダーなんてのもあるんだっけ?」

「どっちも違うから」

「ふーん。で、実際のところどうなの? 付き合ってる男はいるの?」

「いないってば……」

「なんだ。じゃあ気になってる人は?」

「えっ! そ、それは……」


 思わぬ質問に、咄嗟に口ごもってしまう。

 私の動揺を、篤子は目ざとく察知した。


「あー、その反応はいるってことね? どんな人なの?」

「そ、そんなの篤子に話すことじゃないでしょう」

「そう? でもこの経験豊富な私に話せば、どうすれば相手の男が喜ぶか適切にアドバイスしてあげられるわよ」

「そういうのはいいから」


 けれど口ではそう否定しつつも、あっくんが異性に対してなにを求めているのか興味があった。

 あっくんの趣味や好きな食べ物は把握しているけど、好きな異性のタイプは未だに掴めていない。

 好きな髪型は? どんな服装に惹かれるの?

 一番知っていると思われるのは前の彼女さんだけど、まさか本人に直接訊くわけにもいかないし。


「じゃあヒントだけでも教えてよ。どんなタイプの男なの?」

「どんなって言われても……一言で説明するなら――」


 と、言いながらふと何気なく店の入り口のほうへ視線を転じると、私は言葉を失った。

 たった今入店してきたある人物に目を奪われて、声が出せなくなったからである。

 その姿は紛れもなく、私が毎日のように顔を合わせるお隣さん――


「どうしたの麻由香?」

「へ? あ、いや別に……」


 篤子が怪訝そうに見つめてくる。

 まさかあっくんがこの店に来るなんて。しかもよく見ると同伴者までいる。確か前にあっくんの家に来た富安という名前の人だ。

 普段、お店を利用することはほとんどないと言っていたのにどうしてこの日に限って……?

 幸いこちらの存在には気づいていないようだが、二人は会話の声がこちらに聞こえるほど接近して来て、すぐ隣の席に腰を下ろした。




「なあ知ってるか渕崎? 最近はロシア人の美少女とラブコメする話が流行ってるみたいなんだぜ」

「さあ、知らないね」


 昼前に富安から今日は外食にしないかと誘われ、たまにはいいかと同行した俺だったが、延々と続く奴の馬鹿話に早くもうんざりしてきた。


「でももし俺が異国の美少女と付き合うなら、相手は断然インド人がいいな」

「……訊いてもどうせくだらない答えしか返ってこなさそうだけど……なんで?」

「だって世界最古のエッチに関するハウツー本、『カーマ・スートラ』を生み出した国なんだぜ? きっと凄い寝技を身につけているに違いないじゃないか。一度でいいから褐色肌の美女とカーマ・スートラの奥義を味わってみたいな」

「お前の考えって偏見に満ちているよな」


 恐らくコイツの発言は多くのインド人を敵に回すことだろう。


「あ、でも確かヒンドゥー教では牛は神聖な動物だから食べちゃいけないんだよな。俺ハンバーグが好物なんだけど……どうしたらいいと思う?」

「牛に蹴り殺されればいいんじゃね」

「……冷たいこと言うなよ」


 この男の話は大抵、いかにもモテない男の妄想といった内容が多い。そんな話が好きな人間なんているはずもなく、しかも三十分前からずっと聞かされっぱなしなのだから辛辣な態度にもなる。


「なら渕崎のほうはどうなんだ。どんな女が好みなんだ?」

「はあ、なんで急にそんな話になるんだよ」

「だって俺ばっかずっと喋りっぱなしで疲れるじゃないか。お前もなにか言ってくれよ」


 自分で勝手に喋り始めたクセに。


「お前にそんなこと話す義理はない」

「別に隠すほどのことでもないだろう。世間に顔向け出来ないような特殊な性的嗜好の持ち主だったら話は別だけど。実はロリコンだったとか」

「勝手に人を異常者扱いするなよ」


 色んな意味で面倒臭い奴だ。

 真面目に相手にするのも馬鹿馬鹿しいが、小児性愛者と間違われるのも面倒だ。適当に嘘を言って誤魔化せばいいか。


「そうだなあ、俺の好みはやっぱメイド服を着てくれる人かな。それで家事をしてくれて俺の面倒をみてくれる人がいいな」

「え、お前メイドが好きなのか?」

「そうだよ、内緒にしてたけど俺メイド服萌えなんだ。おまけに俺のことを『ご主人様』って呼んでくれて、膝枕で耳掃除とかしてくれたらもう最高だなぁ」


 もちろん全部噓っ八である。

 富安を納得させる為にわざわざ本当のことを言う必要はない。

 相手が信じさえすれば噓でも構わないのだ。もうちょっとマシな嘘をつくべきだったかもしれないが、ロリコンと間違われるよりはいいだろう。

 しかしまさかこの嘘が麻由香さんに聞かれていて、それが後にあのような結果を招くとは、この時の俺には知る由もなかった。

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