親友に彼女を奪われて自暴自棄になった俺は、酔った勢いで隣の家に住む美人で優しいお姉さんと結婚してしまった

末比呂津

プロローグ

「はぁ……」

「あっくん大丈夫? さっきからずっと溜息ばっかついてるけど」


 暗い表情で嘆息する俺に、美崎さんが心配そうに訊ねてくる。


「ああ、大丈夫だよ……いや、やっぱ大丈夫じゃないな。美崎さんの手前、無理にでも強がろうとしたけどダメだ……全然気力が湧いてこないや……」


 気の抜けた声で返事すると、俺は手に持ったグラスを傾けてヤケ酒を煽った。


「元気出して。今のあっくん、見てるこっちまで自殺したくなるような顔してるよ?」

「そっか、ゴメン。俺、この顔で外を歩いたら自殺幇助ほうじょ罪で逮捕されるかもな……」

「……冗談を言う気力はあるみたいだね」


 なぜこんなに絶望しているかというと、つい先日、半年ほど前から付き合っていた恋人と別れたばかりだからだ。

 原因は彼女の浮気。

 しかも浮気相手は俺の高校時代からの親友なのだから、ショックも一層大きかった。

 勘違いなどではない。本人の口から直接聞いた。


『すまん、お前には本当に悪いことをしたと思ってる。俺達、付き合うことになったから、彼女とは別れてくれ』


 あまり悪びれた様子もなくそう言う彼の名前は伊達政樹だてまさき

 イケメンで面倒見が良く皆の人気者だが、まさか親友の恋人の“面倒”まで見るとは思わなかった。

 きっかけは政樹に彼女を紹介したこと。

 彼女は政樹に色々と恋愛相談をしていたようで、そのせいで次第に二人の間に危険な感情が芽生え始める。

 彼女は「私のことを本当に理解してくれるのは彼じゃなくてその親友なんじゃないかしら?」と思うようになり、政樹は「彼女のことを本当に理解してあげられるのは俺のほうかも……」と考えるようになる。

 気がつくと二人はお互いを好きになっていた、というワケである。

 その事実を告げられた際の俺の心境は、口に手を突っ込まれて心臓をもぎ取られたような衝撃だった。

 そして二人はさながら、俺から取った心臓で仲良くキャッチボールでもしているのだ。

 一方の俺、渕崎浅夫ふちざきあさおは、ショックのあまり大学にも行かず、こうして自宅の近所にある行きつけの居酒屋に入り浸って、酒浸りの日を送っている。


「あぁ……こんなことになるんだったらアイツに彼女を紹介するんじゃなかった……今更後悔しても遅いけど」


 自分で言うのもなんだが、ハッキリ言って俺は友達が多いほうではない。

 ましてや彼女なんて今まで一度もいた試しはなかった。

 だから初めての彼女を友達に奪われて、再起不能なくらい落ち込んでも仕方のないことだろう。


「可哀想なあっくん……私に出来ることがあればなんでも言ってね。あっくんが元気になってくれるならどんなことでもするから」

「ありがとう美崎さん。でも無理しなくていいよ。これ以上、俺の愚痴聞いててもうんざりするだけだろう?」

「ううん、いいの。だって私、あっくんとお喋りするの好きだもん」


 この先ほどから延々と繰り返される俺の泣き言にも一切文句を言わず、優しい言葉をかけてくれる人物は美崎麻由香みさきまゆかさん。

 隣の家で一人暮らしをしている三つ年上の女性で、外資系の金融機関で働くバリバリのキャリアウーマン。

 以前からただのお隣さん以上に親しいご近所付き合いをしており、仕事で留守の時が多い両親に代わって家事を手伝ってくれることもある。

 料理を作ってくれたり、掃除、洗濯をしてくれたり、さすがにそこまで世話になりっぱなしだと申し訳ないと言ったことがあるが、その時の彼女の返答がこれだった。


『いいのよ気にしなくて。私が一人暮らしで寂しいから、もっとあっくんと一緒にいたいの……嫌かな?』


 両手をモジモジさせながら上目遣いでこんなこと言われたら拒めないだろう。

 彼女が出来てからは家に来るのを遠慮してもらっていたけど、つい先日、飲んだくれているところを偶然発見されてからは四六時中ヤケ酒に付き合ってくれている。

 恋人と親友を同時に失った今、俺に味方してくれるのは美崎さんしかいなかった。


「まあでも、彼女が俺より政樹を選ぶのも仕方ないかもな。だって政樹はイケメンだし、性格もいいし、俺みたいに嫌な目に遭ってもウジウジ落ち込んだりしないし……」


 友達の彼女を奪っても、大して悪びれないくらいにな。


「私はあっくんのほうが断然格好良いと思うけどなあ」


 美崎さんがポツリと呟く。


「本当にそう思う?」

「うん。その彼女さんって見る目ないんだねー。私なら絶対にあっくんを選ぶのに」

「そう言ってくれて本当に嬉しいよ。ありがとう、美崎さんだけだよ俺を庇ってくれるのは」

「えへへ、あっくんにお礼言われると私も嬉しいなっ!」


 美崎さんは照れくさそうに頬を染めながら口元を緩める。


「これだけは覚えていてね。どんなことがあっても私はあっくんのことが大好きだよ」


 この美崎さんの言う「大好き」は家族愛のようなもので、恋愛感情などではない。

 以前にも俺のことを好きだと言ったことがあるが、その時も慌てて『あああ、あの……ちちち違うのっ! 好きっていうのはそういう意味じゃなくて、家族みたいに思ってるって意味であって、恋人になりたいとかそんなこと思ってるわけじゃなくて……あ、あれ私なに言ってんだろ……』と、訂正していた。

 なぜか顔を真っ赤にしながら言っていたが、その理由は未だによくわかっていない。


「そっか。でも美崎さんだって、もし彼氏が出来たらこうやって俺と会う機会も少なくなると思うよ」

「うーん、どうかなぁ? あっくんより素敵な人がいたらそうなるかもしれないけど、そんな人いるわけないもんねー」


 美崎さんが冗談めかして言う。

 美崎さんは外を歩けば誰もが振り返るほどの美人だ。

 おしとやかで清純な容貌とは裏腹に、グラビアアイドル並みの豊満な胸というギャップは、なんとも言えない色気がある。

 にもかかわらず、今まで一度も彼氏がいたことがないというのだから不思議だ。

 きっと彼女は何人もの男性と付き合うより、いつか出会う運命の相手とだけ、お付き合いしたいタイプなのだろう。

 少女漫画みたいだと思う者もいるだろうが、俺は悪いとは思わない。


「俺にもいつか運命の人と出会える日がくるといいなあ……」


 うわ言のようにそう呟くと、俺はズボンのポケットをまさぐって“ある物”を取り出した。

 それは大きな宝石がついた指輪だった。世間で言うところの婚約指輪というヤツである。


「……あっくんどうしたのそれ?」


 美崎さんは目を丸くして指輪を凝視する。


「ああこれ? 十八歳の誕生日におばあちゃんがプレゼントしてくれたんだよ。『アンタも結婚出来る歳になったんだから、いつか生涯を共にしたいと思う女性が現れたらそれを渡しなさい』って言ってな」

「ふぅん……」

「といっても、初めての彼女がこのザマじゃあ、いつ理想の相手に巡り合えるのかわかったもんじゃないけど」

「そっか……」


 その時、どういう訳か美崎さんが急に黙り込んで、なにか考えごとをするかのような表情りを見せ始めた。

 そしてやがて意を決したように顔を上げると、真っ直ぐな目でこう言った。


「ね、あっくんの理想の人って、自分のことを完璧に理解してて、前の彼女さんみたいに絶対に裏切ったりしない人なんだよね? それだったら、私が知ってる中でぴったりの人が一人だけいるんだけど……」

「へえ誰? 芸能人?」


 俺がそう訊くと、美崎さんは満面の笑みを見せて自分自身を指差した。


「ほら、ここにいるっ!」

「……え?」


 一瞬、思考が固まった。


「それどういう意味?」

「だって私はいつだってあっくんの味方だったし、ご両親以外でこの世で一番あっくんのことを理解してるっていう自信がある。これ以上相応しい人はいないでしょう?」

「いや、でも美崎さんの気持ちはどうなるの? 好きでもない男と結婚することになるんだよ?」

「あのねあっくん、よく聞いて――」


 美崎さんはそう前置きすると、神妙な顔つきで語り始めた。


「今まで内緒にしてたけど私、ずっと前からあっくんのこと好きだったの。家族としてじゃなく、一人の異性として。彼女が出来た時はもう忘れようと思ったけど、どうしても気持ちを抑え切れなかった。他の男の人を恋愛対象としてまったく見られないくらい好きだったから。だからもし私が結婚するとしたら、相手はあっくんしか考えられないの」


 美崎さんのあまりにも突然の告白に、俺は大きな衝撃と混乱を覚えた。

 今まで一度もそんな兆候を見せてこなかったから、どう反応していいかわからない。


「思い出してみて。私が今まで一度でもあっくんを傷つけたことがある?」

「いや、ないよ……」

「そうでしょ? 私ならきっとあなたを幸せにしてあげられる。だからお願い、私を選んで?」


 普段ならもっと冷静な対応が出来たと思うが、この時はアルコールで思考が鈍っていたせいで、間違った判断をしてしまった。

 なんだ美崎さんは落ち込んでいる俺を励ます為に、一芝居打っているのだ。

 自分が恋人の代わりになれば、俺が元気を出すと思って――そんなふうに解釈してしまった。

 自分を犠牲にしてまで元気づけようとしてくれる美崎さんに、俺は強く感動して、話を合わせてあげることにした。

 酒の力というのは恐ろしいものだ。シラフだったら絶対にこんな勘違いをしないのに。


「そうか……言われてみれば美崎さんほど俺のことを大切に思ってくれる人はいないもんな。確かに最高の結婚相手かもしれない」

「でしょう?」

「ああ、ずっと探し求めていた理想の女性はすぐそばにいたんだね!」

「嬉しいっ! あっくんにそう言ってもらえて!」

「ようし、そうとわかれば早速結婚しよっか!」

「うん!」


 もちろん本気で結婚しようと考えているわけではない。

 俺達がまだ年齢的に若過ぎることは美崎さんだって重々承知しているだろう。

 だからこれは単なる真似事のつもりだった。


「……っとその前に、まずはプロポーズをしないとな」


 俺は欧米人がよくやるように、美崎さんの正面で片膝をついて指輪を差し出した。


「美崎麻由香さん、俺と結婚してくれますか?」

「――っ、はい喜んで!」


 美崎さんは感極まった表情で、心底嬉しそうに叫んだ。


「やったぁ! 渕崎夫人の誕生だ!」


 俺は美崎さんの左手の薬指に指輪を嵌めると、ついテンションが上がって人目もはばからず、その場で万歳した。

 傍から見れば酔っ払いの奇行にしか見えなかっただろうが、彼女は一緒に喜んでくれた。


「ふつつか者ですがよろしくお願いします」


 それから俺達は、大学の飲み会みたいに散々飲みまくってはしゃぎまくり、そして気がついたらいつの間にか眠りに落ちていた。

 おかげで彼女にフラれたショックはだいぶ薄れた気がする。

 美崎さんに感謝しなければな。




 ……その日の晩、なんだか夢の中で美崎さんと二人で区役所に行って婚姻届を出したような気がするけど、どうせ夢なので気にする必要はないだろう。

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